天使様、精霊祭に行きたい
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季節はセラフィ月に入り、グレイスフィールド領は収穫の喜びに満ちていた。黄金色に輝く小麦畑が風に揺れ、果樹園からは甘い果実の香りが漂ってくる。年に一度の、最も活気にあふれる季節の到来だ。
屋敷の中も、領民たちが心待ちにしている精霊祭の準備で、どこか浮足立っていた。
精霊祭とは、『収穫をもたらしてくれた精霊に感謝』する、いわゆる収穫祭のようなもの。
「精霊祭…」
レオンは、自室の窓から遠くに見える城下の方を見つめながら、ぽつりと呟いた。ただでさえ広い城内から、城下の様子がわかるわけもなく、ただ、見たこともない城下の精霊祭の様子に、想いを馳せるレオン。
彼の記憶にあるのは、和江おばあちゃんが体験していた、日本の賑やかな縁日の光景。綿あめ、金魚すくい、そして夜空を彩る花火。
この世界の精霊祭とは、一体どんなものなのだろう。
「僕も、行ってみたいなあ…」
その、小さな呟きを聞き逃さない者がいた。
「じゃあ、父さんに聞きに行ってみれば?俺もついて行ってやるよ」
いつの間にか部屋に入ってきていた兄のユリウスが、ソファに寝転がりながら、面白そうに言った。
兄という強力な後援者を得たレオンは、早速、父マルクの執務室へと向かった。
「父様!お願いがあります!僕たちも、精霊祭へ行きたいです!」
案の定、マルクは「人混みは危険だ」「お前たちのような子供が行く場所ではない」と、難しい顔で首を横に振る。
しかし、今回はユリウスと、話を聞きつけたエレナという二人の援軍がいた。
「まあ、あなた。領主の子として、民がどのように暮らし、何を喜んでいるのかを、その目で見るのは、とても大切な勉強ですわ」
「そうそう。それに、モリィもいるんだから、心配ないって」
妻と次男からの援護射撃に、マルクはぐっと言葉に詰まる。
マルクは
(モリィがいるなら、並の騎士団より安全かもしれん…)
と内心思いつつも、父親としての心配から、まだ渋っていた。
「…分かった。だが、条件がある。護衛にロイも連れて行くこと。絶対に『お忍び』で行くこと。身分が知られれば、無用な騒ぎになるからな」
「はい、父様!」
こうして、レオンは初めての城下町への外出許可を、見事勝ち取ったのだった。
◇
自室に戻り、ウキウキで外出の準備を始めるレオン。その傍らで、ユリウスが、寝転がったまま、意地悪く口を開いた。
「ところでレオン。お忍びで行くのに、その侯爵様みたいな、上等な服で行くつもりか?」
「えっ?」
レオンは、自分が着ていたシルクのシャツを見下ろし、固まった。
(考えてもみなかった…!確かに、こんな格好では、一目でお貴族様だとバレてしまう…!)
「へ、平民の人が着るような服なんて、持ってない…ユリ兄様は持ってるのですか?」
「俺は、まぁ、ちょこちょこ行くから、その辺は抜かりない。でも残念だな。俺一人で行くか!」
レオンの顔から、さっと血の気が引いていく。せっかく許可をもらったのに、精霊祭に行けないかもしれない。その絶望感に、彼の大きな瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
その、あまりに悲壮な様子を見かねた一人の侍女が、救いの手を差し伸べた。
「あ、あの、レオン様!」
ドジだが心優しいメイドのルチアだった。
「もし、もしよろしければ、私が子供の頃に着ていた服があるのですが…!レオン様と同じくらいの年の時のものですから、きっとサイズも合うかと…!」
「本当ですか、ルチア!」
レオンの顔が、ぱあっと輝く。まさに、地獄に仏、闇夜に差し込む一筋の光だった。
しかし、その光が、彼をさらなる絶望の淵に叩き落とすことになる。
ルチアが、満面の笑みで持ってきたのは、素朴な木綿の生地で作られた、しかし胸元に可愛らしい花の刺繍が施され、袖口と裾にフリルがあしらわれた、紛れもないワンピースとエプロンドレスだった。
「こ、これは…!女の子の服じゃないですか…!」
レオンは、絶句した。
「はい!村一番の仕立て屋だった私の母が、お祭りのために作ってくれた、私の一番のお気に入りだったんです!」
ルチアは、一点の曇りもない善意の笑顔で、それをレオンに差し出す。
「ぶっ…!くくく…あはははは!いいじゃないか、レオン!お前にぴったりだ!」
ユリウスは、腹を抱えて床を転げ回っている。
レオンの頭の中で、天秤が激しく揺れ動いた。
片方には、『カッコいい男』としての、最後のプライド。
そしてもう片方には、『お忍び』『城下町』『精霊祭』という、抗いがたい魅力に満ちた強ワード…
(こんな格好、『カッコいい男』とは真逆だ…!断固として拒否すべきだ…!でも…でも、これを断ったら、精霊祭に行けない…美味しそうな串焼き…楽しい音楽…賑やかな人々の笑い声…!)
数分間の、血を吐くような葛藤の末。
欲望は、プライドに、あっさりと勝利した。
「……分かりました。これを、お借りします…」
レオンは、涙目で、その可愛らしいワンピースを受け取ったのだった。
◇
「よし、行くか!」
準備を終え、一行は裏門に集合し馬車に乗り込もうとしていた。
今日のパーティは、兄のユリウス、護衛のロイ、そして小型犬くらいになってもらった使い魔のモリィである。
「え…?レオン様…?」
お忍びの護衛と聞き、冒険者のような革鎧姿で待っていた護衛のロイが絶句する。 目の前に、見たこともない美幼女が、ユリウスと一緒に立っているのだ。 頭に素朴なリボンが結ばれ、愛らしい花柄にフリル。どこからどう見ても、少し緊張した面持ちで、初めてのおつかいに出かける、愛らしい少女にしか見えない。
しかもロイが声をかければ、恥ずかしそうに頬を赤らめて俯き、
「…これしかなかったのです…」
はにかむような、その答えに、実直な騎士の心臓は撃ち抜かれた。
(いかん!護衛対象に、このような不埒な感情を抱いては…!しかし、いくら平民の衣装とはいえ、これは身分とか関係なく誘拐されるレベルだ!多分…『この衣装しか用意できなかった』ってことだと思うが…これは…守護らねばならん!あらゆる脅威から!)
ロイは内心で葛藤しながら、必死に護衛計画を練り直し始めた。
(ルートAはチンピラが多いから危険だ。ルートBは…貴族のボンボンがナンパしてくる可能性がある…!いっそ、俺がレオン様をずっと肩車して歩くか…?いや、それこそ不敬罪だ!)
今回の護衛の難易度に、彼の頭痛はすでに始まっていた。
◇
「ほら、レオン。これが今日のお前の小遣いだ。無駄遣いするなよ」
町へ向かう馬車の中で、ユリウスが小さな革袋をレオンに手渡した。中からは、チャリン、と硬貨の音がする。
「いいか、レオン。この国のお金の単位は『ルーア』だ。一番小さい、この黒っぽいのが小鉄貨で、1ルーア。まあ、価値はほとんどないな」
ユリウスは、兄らしく、この世界の常識を弟に教え始める。
「これが10枚集まると、この鉄貨になる。10ルーアだ。屋台で売ってる、肉の串焼きがだいたい30ルーアくらいだから、まあ、これが基本だな」
「これが10枚集まると、この銅貨になる。100ルーアだ。城下で屋台で買い物と言えば、鉄貨か銅貨くらいしか使わないな。」
「銅貨が10枚で、この銀貨。1000ルーア。銀貨が10枚で、金貨が一枚。10000ルーアだ。ちなみに、国王陛下の肖像が刻まれた、特別な王冠金貨ってのもあって、それは百万ルーアの価値がある」
【アルセリオス王国の通貨】
・1ルーア(小鉄貨)
・10ルーア(鉄貨)
・100ルーア(銅貨)
・1000ルーア(銀貨)
・10000ルーア(金貨)
・1,000,000ルーア(王冠金貨)
「へえ…」
レオンは、初めて見るお金に、目を輝かせている。
「今日のお前には、特別に鉄貨10枚と銅貨9枚(1000ルーア)をくれてやる。これで好きなものを買っていいぞ」
「ありがとうございます、ユリ兄様!」
『レオン様、甘いのも買える?』
「うん、甘いの見つけたら、一緒に食べようね!モリィ!」
レオンは、その革袋を、宝物のようにぎゅっと握りしめた。
やがて馬車は城下町の入り口に到着し、一行はそこで降りた。
レオンの目の前には、今まで見たこともない、活気に満ちた世界が広がっていた。
「わあ…!」
初めての城下町でワクワクが止まらない、レオン。
(『カッコいい男』への道の第一歩!僕の、初めての任務なのだ!)
自分が美幼女になっていることもすっかり忘れて、テンション爆あがりのレオンである。
こうして、愛らしい少女(?)の姿に身をやつした天使様の、波乱万丈の精霊祭での一日が、今、始まろうとしていた。
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