天使様、世界樹の主となる
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『魔力喰らいの祭器』――その絶望的な名が、母エレナの口から告げられた瞬間、聖域の空気は完全に凍り付いた。
世界樹は、まるで断末魔の叫びを上げるかのように、その身を激しく揺らし、生命力そのものである魔力が、根元に鎮座する黒い箱へと、ごぼごぼと音を立てて吸い込まれていく。
「これを、どうすればいいんだ…!」
アデルが、焦燥に駆られて叫んだ。
「触ってはだめ!下手に刺激すれば、暴走して、蓄えた魔力を一気に解放するかもしれないわ!」
エレナが警告を発した、まさにその時だった。
祭器が、カッと禍々しい光を放ち、脈動が急速に早まる。世界樹から魔力を吸い取るスピードが、尋常ではなくなった。
「まずいわ、暴走が始まった!ユリウス!」
「言われなくても!」
母と息子の連携は、完璧だった。
「古き理よ、その内に秘めよ!二重の封印!」
エレナが、上級の封印魔術を詠唱し、祭器の周りに二重の光の輪を形成する。
「風よ、氷よ、我が盾となれ!三重結界!」
ユリウスもまた、得意の複合魔法で、封印の内側に三重の防御結界を展開した。
「レオン、下がるんだ!」
アデルは、弟を庇うように前に立ち、安全な場所へと連れて行こうと、その小さな腕を掴んだ。
しかし、レオンは、その手を振り払った。
彼の蒼い瞳は、ただ一点、苦しみに喘ぐ世界樹に、固く、固く注がれていた。
(だめだ…このままじゃ、この樹が死んじゃう…!)
彼の心に響くのは、精霊たちの悲鳴と、大樹の苦悶。
(ドライアドさんみたいに、この樹にも、心があるんだ。命があるんだ!助けなきゃ!)
和江おばあちゃんの、どこか懐かしい声が、彼の脳裏に響いた。
(植物だって生き物だよ。元気を分けてあげれば、ちゃんと元気になるのさ)
その瞬間、レオンの心は決まった。
「嫌です、兄様!」
彼は、アデルの制止を振り切ると、暴走する祭器のすぐそば、苦しみにのたうつ世界樹の、太い幹へと走り寄った。
そして、その小さな両腕で、必死に、その巨大な幹に抱きついた。
「レオン!何をするんだ!」
アデルの悲痛な叫びも、彼の耳には届かない。
(僕の力を、あげる…!だから、元気になって…!)
彼は、生まれてから一度も意識的に解放したことのない、自らの魔核の奥深くにある、全ての力を解き放った。
「僕の魔力を、全部、あげるから…!」
レオンの体から、純粋な、黄金色の魔力が奔流となって溢れ出し、世界樹へと注ぎ込まれていく。
その瞬間、奇跡が起こった。
世界樹の幹が、内側から、温かい光を放ち始めたのだ。枯れ落ちていた葉が、瞬く間に生命力溢れる瑞々しい緑を取り戻し、閉じていた蕾が一斉に花開く。
「なっ…!」
その幻想的な光景に、誰もが息をのんだ。
そして、エレナとユリウスが必死に抑え込んでいた祭器は、ついに限界を迎えた。
結界の中で、音もなく、しかし凄まじい光の奔流となって、蓄えられていた魔力が爆発・霧散した。
「ぐっ…!」
「うわっ…!」
エレナとユリウスは、魔力のほとんどを使い切り、その場にぐったりと膝をついた。
二人が張っていた結界が解けると、今まで祭器に吸い取られていた、清浄な魔力が一気に解放された。聖域全体に、祝福の風が吹き渡る。
窪地には、澄み切った水がみるみるうちに満ちていき、美しい湖がその姿を取り戻す。水面では、ぐったりとしていた魔魚たちが、再び宝石のような鱗をきらめかせ、喜びに満ちて跳ね上がった。
そこは、もはや「がっかりな聖域」ではなかった。誰もが息をのむほどに美しく、神聖な空気に満ちた、真の聖域へと生まれ変わったのだ。
しかし、その奇跡の中心で、レオンの小さな体は、ぐらりと傾いていた。
「レオン!」
アデルが、慌ててその体を抱きしめる。レオンの顔は蒼白で、意識が朦朧としていた。全魔力を放出したことによる、極度の枯渇状態だった。
その時。
アデルと、そしてレオンの頭の中に、荘厳で、幾重にも重なったような、不思議な声が直接響き渡った。
『…我が主よ。汝の魂の輝き、生命の奔流、心より感謝する…』
「主だと!?レオンはまだ6歳だぞ!貴様ら、レオンに一体何をした!」
『…この子は、我らを選んだ。我らもまた、この子を選んだ。これは、魂の契約…』
「契約だと?この神聖なる我が弟を、ただの木の僕にでもしようというのか!」
アデルは、弟の身に何か強制的な契約が結ばれたのだと勘違いし、世界樹に向かって叫んだ。
「(あったかい…お日様の匂い…おばあちゃんのお家の…)縁側みたい…」
朦朧とする意識の中、レオンがぽつりと呟いた。
「縁側!?何を言っているんだレオン!しっかりしろ!」
アデルが必死に呼びかける。
『…縁に、側に…。なるほど、汝は、万物との縁を繋ぐ者か…』
世界樹に宿る全属性の上位精霊は、レオンの無邪気な寝言を、何かとてつもなく高尚な哲学だと、盛大に勘違いしたようだった。
「違う!弟は疲れているだけだ!今すぐ、その契約とやらを解け!」
『…契約は、魂の誓約にして、この縁は我が喜び。我は、この子の『カッコいい男』への道を、見届けよう…契約は成った…』
世界樹は、レオンの心の一番強い願いを、正確に読み取っていた。
世界樹、アデル、レオンの噛み合わない、奇妙な対話が終わった、その時。
完全に元気を取り戻した世界樹の根元が、ひときわ強く輝き、そこから、ぽんっ、と軽い音を立てて、一体の美しい獣が、静かに姿を現した。
それは、雪のように真っ白で、太陽の光を浴びてきらめく、モフモフの毛並みを持つ、大きな犬だった。
『我が主の、最初の『しもべ』として、我が眷属を遣わそう。この子は、我の目となり、足となり、そして牙となって、主を守るだろう』
意識を取り戻しかけていたレオンは、目の前の大きなモフモフを見て、思わず手を伸ばした。
「わんわん…」
その犬は、嬉しそうにレオンの手に鼻先をすり寄せた。
こうして、レオンは意図せずして、世界樹に宿る、世にも珍しい全属性の上位精霊と、契約を結んでしまったのだ。
◇
エリナ、ユリウス、レオンの魔力がある程度戻り、動けるようになると、みんな興味津々で白い犬を取り囲む。
「これは魔犬かな?」とユリウス。
「精霊じゃないのかしら?」とエリナ。
「世界樹の精霊が、『しもべ』とか言ってましたよ?」とアデル。
「わんわん、お名前は?」
『世界樹様の眷属で使い魔のモリィだよー!レオン様、よろしくねー!』
意外と軽い調子だった。
「眷属で使い魔って何?」
『世界樹の精霊様の代理って感じかなー。ほら、世界樹様は動けないじゃん!だけど、契約した主のそばにいないと寂しいじゃん!だから、代わりに僕がレオン様と一緒にいるよーってこと!』
「えー!!主って何?」
『えー!!何って、世界樹様とレオン様契約したでしょ?』
「えー!!契約って何?」
『えー!!レオン様、世界樹の精霊様に「縁に側にいてほしい」って言ったじゃん!ずっとそばにいて欲しいってプロポーズみたいなもんでしょ?だから世界樹様がその契約を受け入れたんだよ?』
「僕、言ってないよ!『縁側みたいだ』って言ったんだよ!」
『ほら、言ったんじゃないか!』
「それはそうゆう意味じゃなくて…うーん…」
『レオン様、契約いやだったの?』
大きな犬が、しょんぼりと耳を垂れる。その姿は、あまりにも哀れを誘った。
(うぅ…ここで『いやだ』なんて言ったら、この可愛いわんわんが、もっとしょんぼりしてしまう…!仕方ない、ここは話を合わせよう…!これもノブレス・オブリージュの一環だ!)
「いやじゃないよ!うん!僕、契約望んでた!そうだった!」
みるみるうちに元気になるモリィ。レオンは空気が読める子だった。
『…みなさま…ありがとうございました。世界樹様は救われました!あなた方のおかげです』
ルナがやってきて声をかける。
「いや、この聖域が大事にならずに本当によかった。」
「でもさ、君、『純粋な心の持ち主しかこの聖域は入れない』って言ってたけど、こんな魔道具設置するやつが入れるなんて、本当にそうなの?」
ユリウスの鋭いツッコミにルナはたじろいだ。
『…いや、そのはずです…と言うか…わたしはそう聞いて育ちましたけど…何か?』
言われてみれば…と思いつつ、何度も「純粋な人しか入れない」と断定してしまっている手前、言葉を覆すこともできない。1000年以上前に、案内人を継いだときに、前の担当に、そう聞いていたルナにしてみれば
(だって、そう聞いてたもん。実際どうかなんて知らないし、そもそも純粋さってどうやって測るかも知らんし)
と言う気持ちである。伝承なんてそんなものである。
そこへモリィがとんでもないことを言い出してしまった。
『えー!!純粋な人って何それ??そんなわけないじゃん!そもそも純粋かどうかなんてどうやったらわかるの?』
『いや、だから知らんし!私だってそう思ってたし!』
思わず本音が駄々もれるルナ。
「でも、モリィちゃん、結界みたいな膜で選別されていたのは確かなのよ。何基準で選別されてたの?」
『あー、あれはね、一定の魔力量に達してないと入れないんだよ?』
なんと!魔力量で篩をかけられていたというオチだった。
◇
聖域から戻ると、結界の外で待機していたロイが、心配そうに駆け寄ってきた。
「皆様、ご無事で…!おお、そのお犬様は…!?」
「うん、まあ、色々あってね…」
ユリウスが、疲れ切った顔で答える。
「あ、ロイ、この結界みたいな膜は、魔力量で振り分けされてるだけだってさ。汚い大人じゃなくてよかったな!」
微妙な慰めの言葉を、アデルにかけられるロイ。
「…え?」
ロイが、固まった。
(つまり、俺は…穢れていたのではなく、ただ、魔力量が、足りなかっただけ…?)
騎士として、それはそれで別の意味で少しショックだったが、少なくとも「汚い大人」の烙印を押されたわけではない。彼は、複雑な表情で、少しだけ救われたように胸を撫で下ろした。
レオンは、初めての契約精霊の使い魔となった、大きな白い犬「モリィ」のモフモフの背中に乗り、悠々と城へと帰還するのだった。
彼の帰還姿を、屋敷の者たちが、度肝を抜かれて出迎えたのは、言うまでもない。
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