天使様、冒険への扉を叩く
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レオンの「カッコいい男計画」が始まって、早三ヶ月が過ぎようとしていた。季節はアエリス月からベルダ月へと移り、領地の木々は日に日にその緑を深めている。
彼の日常は、自身で立てた完璧なスケジュールによって、規則正しく、そして充実していた。地道な鍛錬のおかげで体力はつき、座学の知識は面白いように吸収されていく。
しかし、彼の心の中には、日に日に大きくなる、一つの強い願望があった。
(精霊さんたちに、もっと会いたい…!お話がしたい!)
あの日、温室でドライアドと話せて以来、レオンの精霊への興味と探究心は爆発していた。庭に集まってくれるキラキラした下級精霊たちは最高の遊び相手だが、言葉を交わすことはできない。
「父様と母様のお時間が空いたら、アデル兄様が帰ってきたら、森へ連れて行ってあげる」
その約束を、レオンは指折り数えて待っていた。だが、侯爵である父は常に多忙を極め、母もその補佐に追われている。兄の帰省は、まだ先だ。
我慢して、我慢して、我慢して、ついに三ヶ月。
6歳児の忍耐は、限界に達していた。
その日の夕食後、家族が談話室で寛いでいる時間を見計らい、レオンは意を決して両親の前に進み出た。
「父様、母様。お願いがございます」
その、いつもよりずっと真剣な表情に、マルクは読んでいた書類から顔を上げた。
「森へ、連れて行っていただきたいのです」
レオンは、できるだけ丁寧に、しかし強い意志を込めて言った。
マルクは、ふう、と深いため息をついた。
「レオン、時間が出来たらと言う話だっただろう?もう少し待ちなさい」
いつものように、にべもなく一蹴される。
だが、今日のレオンは、それで引き下がるつもりはなかった。
「いつになったら、お時間を作ってくださるのですか!」
これまで溜め込んできた不満が、ついに堰を切って溢れ出した。
「僕、約束してから、もう三ヶ月近くも我慢していました!毎日、毎日、ずっと待っていました!」
その剣幕に、マルクだけでなく、傍らで刺繍をしていたエレナも、面白そうに本を読んでいたユリウスも、一斉にレオンを見た。
「『カッコいい男』は、有言実行です!約束は、守るべきだとアルマン先生も言っていました!」
「なっ…!」
正論を振りかざされ、マルクが言葉に詰まる。
レオンは、さらに一歩踏み込んだ。
「いつまでもお時間を作ってくださらないのなら…僕、一人でも行きますから!」
普段の彼からは想像もつかない、強い言葉。それは、もはや駄々ではなく、決意表明だった。
その言葉に、マルクの顔色が変わった。
「馬鹿なことを言うな!」
穏やかだった父親の表情が、一瞬にして険しくなる。
「お前は、森がどれほど危険な場所か、何も分かっていない!森には、ゴブリンやオークのような、凶暴な魔獣が出るんだぞ!」
マルクの声が、談話室に響き渡る。彼の胃が、キリキリと悲鳴を上げていた。
レオンも父の言うことはわかっていた。自分一人で行くのが危ないことも、無謀なのも。ただ、約束をいつまでも守ってくれない父に、頭ごなしに言われて反発心から、素直に言うことを聞く気には、到底なれないのだ。
「わかってます!そのために僕だって、毎日頑張って自主鍛錬や剣術の稽古をしているんです!」
もう、売り言葉に買い言葉である。
「わかってない!お前程度の剣術で何とかなるわけないだろう!美しい花に猛毒があることも、甘い香りのキノコが人を惑わすこともある!一度道に迷えば、二度と帰ってこれない者も大勢いるんだ!お前のような小さな子供が、一人で行って無事でいられる場所ではないと、何度言ったら分かるんだ!」
それは、侯爵としてではなく、ただただ息子の身を案じる、一人の父親としての、悲痛な叫びだった。
「僕程度の剣術って!…父様、僕の剣術、見たことなんか無いじゃないですか!」
まあ、見たところで、意見が覆される実力ではないのはレオンもわかっているが、悔しさと寂しさから、つい、そう口答えしてしまった。
その言葉は、マルクの心の、一番柔らかい場所を抉った。
(確かに、見たことはない…)
毎日の書類仕事、領地の見回り、王都での会議。日々に忙殺され、息子たちの教育は、ほとんど妻のエレナに任せきりだ。アデルが学院で首席を取ったと聞いても、ユリウスが新たな悪戯を成功させても、そして、レオンが日々の鍛錬を始めたことも、全て報告で聞くだけ。この目で、ちゃんと見てやったことが、一体何度あっただろうか。
まさか6歳の息子に、父親としての不甲斐なさを断罪されるとは。
「っう…!」
思わぬ反論に、マルクは黙り込み、談話室が、重い沈黙に包まれる。
その沈黙を破ったのは、母エレナの、鈴が鳴るように穏やかな声だった。
「まあ、あなた。そんなに大声を出さなくても、レオンには聞こえていますわ。レオンも、父様を困らせてはいけませんよ」
彼女は、刺繍の手を止めると、優雅に立ち上がり、父と子の間に立った。
「レオン。あなたの気持ちは、よく分かりました」
まず、彼女は息子の主張を、真っ直ぐに受け止めた。
「ですが、父様の言う通り、今のあなたが一人で森に入るのは無謀です。それは、勇気ではなく、ただの『無知』というものよ」
優しさの中にも、凛とした厳しさがある。
「でも、いつまでもあなたを、このお屋敷という鳥かごに閉じ込めておくつもりもありません。…良い機会ですわ。森へ行くための『資格』を、あなたが手に入れなさい」
「資格、ですか?」
「ええ。『森で生きるための知識』を身につけること。それが、あなたへの課題です。この課題を、あなたがきちんとクリアできたなら、森へ行くことを許可しましょう」
厳しい条件を提示されたにもかかわらず、レオンの顔は、ぱあっと輝いた。
道が示されたのだ。ただ「だめだ」と否定されるのではなく、進むべき道が。
「はい、母様!僕、頑張ります!」
エレナは、満足げに頷くと、夫に向き直った。
「というわけですので、あなた」
「え、エレナ!?いいのか、本当に!?」
「ええ。では、次回のヴェント曜(風の日)の魔法の授業は、特別講義にしましょう。テーマは、『魔獣と、薬草・毒草』のお勉強よ。私が直々に、みっちりと教えますわ。しっかり勉強なさい、レオン」
「はいっ!」
マルクは、まだ何か言いたそうだったが、エレナに「あなたも、あの子を一生、箱入り息子にしておくおつもり?」と、聖母のような微笑みで言われ、ぐうの音も出なくなってしまった。
その一連のやり取りを、ソファの影から、ユリウスがニヤニヤしながら見ていた。
(へぇ、面白くなってきたじゃないか。あいつ、本当に森に行く気だ。母さんの特別講義、僕もこっそり聞いてみようかな)
レオンは、次回の特別授業への期待に、胸を大きく膨らせていた。
(よし!しっかり勉強して、絶対に森へ行くぞ!待っていてください、精霊さん!)
天使様の、純粋な探究心と、子供らしい強い意志。それが、ついに冒険への重い扉を、ほんの少しだけこじ開けた瞬間だった。
◇
その夜。侯爵夫妻の寝室は、静かな月明かりに照らされていた。
マルクは、ベッドサイドの椅子に腰掛け、深いため息をついていた。今日のレオンとのやり取りが、ずっしりと彼の心に重くのしかかっている。
そこへ、エレナが安眠効果のあるカモミールティーを二つ、トレイに乗せてやってきた。
「あなた、眠れませんか?」
「…ああ」
エレナは、カップの一つを夫に手渡し、静かにその隣に座った。
「…私は、父親失格だな」
ぽつりと、マルクが弱音を吐いた。
「仕事にかまけて、息子がどんな努力をしているのか、ちゃんと見てやれてもいなかった…。あの子の言う通りだ。私は、あの子の剣術を見たことすらない」
英雄だった兄と比べられ、文官である自分に劣等感を抱いていた若い頃。その兄が死に、望まぬ形で家督を継いでから、ただ必死に、がむしゃらに働いてきた。家を守るため、民を守るため。そして、息子たちの未来のため。そのはずだったのに。
「私は、父親らしいことを、あの子たちに何一つ…」
「いいえ」
エレナは、優しく、しかしきっぱりとした声で、夫の言葉を遮った。
「あなたは、誰よりも立派な父親ですわ」
彼女は、マルクの大きな手に、そっと自分の手を重ねた。
「あなたが毎日、領地と民のためにその身を粉にして働いてくださるから、あの子たちは何不自由なく、健やかに成長できるのです。それを、あの子たちもきっと、心のどこかで分かっていますわ」
「だが…」
「レオンは、あなたに見てほしかったのですよ。自分の頑張りを、自分が一番『カッコいい』と思っているお父様に。今日のことは、あの子なりの、とても不器用な甘え方だったのかもしれませんわ」
エレナは、悪戯っぽく微笑んだ。
「それに…あの子の、一度決めたらテコでも動かない頑固なところ。一体、誰に似たのかしら、と考えれば、答えは明らかですわよね?」
その言葉に、マルクははっとした。そして、思わず苦笑いが漏れた。
「…私か」
「ええ、あなたそっくりよ」
二人の間に、穏やかな空気が流れる。
「ありがとう、エレナ。君がいてくれて、本当に良かった」
「ふふ、お互い様ですわ、あなた」
妻の優しさと賢さに救われ、マルクの心は少しだけ軽くなった。
父親としての悩みは尽きない。だが、この愛する家族を守るためなら、どんな困難にも立ち向かおう。彼は、改めてそう誓うのだった。
レオンの小さな反乱は、思いがけず、侯爵夫妻の絆を、より一層深めることになったのである。
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