天使様、お箸文化を喧伝する
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アクア曜(水の日)のダンスレッスンで、自分が二ヶ月間みっちり女性パートを仕込まれていたという衝撃の事実を知り、すっかりふてくされて自室にこもっていたが、根が真面目なレオンは次の日には、朝から「カッコいい男になる計画」スケジュールをこなしていた。そして、ルクス曜(光の日)の午後、マナー教育の授業に臨んでいた。
(ダンスはもう知らない!でも、完璧なマナーこそ、『カッコいい男』の基本中の基本だ!ここで完璧な姿を見せれば、きっとみんな、僕が女の子みたいだなんて思わなくなるはずだ!)
彼の切り替えの早さは、ある意味、大物であった。
指導するのは、グレイスフィールド家に仕える侍女長であり、レオンたちのマナー教師でもある、カサンドラ・フォン・ヴァインベルク。
彼女は、領内に土地を持つヴァインベルク伯爵家の出身で、かつては王都の社交界にもその名を馳せた貴婦人だった。政略結婚で一度は領外へ嫁いだものの、夫の家との価値観の違いから離縁し、実家へ戻ってきたという過去を持つ。貴族社会の表も裏も知り尽くしている彼女の所作は、寸分の隙もなく、その指導は常に厳格だ。
しかし、その厳しい表情の裏で、彼女は天使のように純粋なレオンの姿に、事情があって手放すことになった我が子の面影を重ねてしまい、つい指導が甘くなってしまうことを、まだ誰も知らない。
「それでは、始めます。まずは姿勢から。背筋を伸ばし、天から一本の糸で吊られているような意識で」
カサンドラの凛とした声が、勉強部屋に響く。
レオンは、注意されるまでもなく、常に完璧な姿勢を保っていた。それは、和江おばあちゃんが茶道や華道で何十年もかけて培った、揺るぎない体幹と美しい所作の賜物である。
「…素晴らしいですわ、レオン様。まるで、何十年も修練を積まれた方のようです」
カサンドラは、思わず感嘆の息を漏らした。
姿勢、歩き方、お辞儀の角度。何をさせても、レオンは非の打ち所がなかった。そして、授業は食事のマナー実践へと移る。
昼食と夕飯の間のサパーということもあり、食卓に並べられたのは、スープと、小さめのパンと、彩り豊かな豆のサラダ。
ナイフとフォークの使い方も、レオンは美しかった。カチャカチャと音を立てることもなく、滑らかに食器を操る。
しかし、レオンは、皿の上で転がる小さな豆に苦戦した。完璧な姿を見せようと焦るあまり、小さな手でフォークを操るのがまだ難しく、フォークの背で押さえようとしては、つるりと滑られ、追いかけ回しているうちに、一粒、テーブルクロスの上へと転がり落ちてしまった。
「レオン様。お行儀が悪いですよ」
カサンドラの、氷のように冷たい声が飛ぶ。
(しまった…!)
上手く出来ないことに悲しくなり、レオンは思わず、ぽつりと呟いた。
「こういう時、『おはし』があれば、簡単なのですけど…」
「おはし?」
カサンドラに興味を持ってもらったことがうれしくなり、意気揚々と語り出す。
「はい。『おはし』です。私の、ええと…遠い記憶によれば、東方の国では、食事に使うのです!実際にやってみせますね!」
「ルチア!これくらいの棒2本持ってきて!羽ペンでもいいよー!」
「かしこまりました!」
ルチアはバタバタと食堂を出ると、ものすごい速さで2本の小枝を持ってきた。頭には葉がついている。どうやら、木に登ってちょうどいい小枝を折って持ってきたらしい。その速さは、もはや侍女というより、森を駆ける子魔獣のそれである。ルチアの能力は意外とすごいのかもしれない。
レオンは、2本の小枝を上手に操り、皿の上の豆を、ひょいと優しくつまみ上げてみせた。
「こうやって、二本の棒で、お料理を『つまむ』のです。そうすれば、お豆さんのような小さなものでも、一つ一つ、確実に、静かにお口に運べます」
その、魔法のように繊細で、見たこともない動きに、カサンドラは目を丸くする。
「それに、ナイフやフォークのように、お料理に穴を開けて傷つけてしまうこともありません。お魚料理なども、身をふっくらと保ったまま、骨だけを綺麗に取り除くことができるのですよ。素晴らしい道具だと思いませんか?」
和江おばあちゃんの記憶から、淀みなく語られる「お箸」の素晴らしさ。レオンは、ただ純粋に、その文化の優秀さを伝えたかっただけだった。そして、あわよくばその文化が広まれば、フォークでお豆に苦労することもない。
しかし、その言葉は、思わぬ人物の耳に、全く違う意味で届いてしまっていた。
「なんですって、レオン!?」
たまたま、授業を覗きにきた母エレナが、目を輝かせて駆け寄ってきたのだ。
「素材を傷つけず!?小さなものを、確実につまめるですって!?」
その瞳は、母親のものではなく、完全に『研究者』のそれだった。
「ちょっと、レオン!母様にも実際にやってみせて!」
レオンは豆をつまんで見せる。
「すごいわ!カサンドラ!クロノを呼んでちょうだい!マーゴ(日本で言うゴマ)を持ってくるように伝えて!」
エレナからの呼び出しを受け、厨房を統括する料理長クロノが、と駆けつけた。
「奥様、お呼びと伺いましたが…?」
「ええ、クロノ!あなたに、革命的な道具を見せてあげるわ!マーゴは持ってきた?さー、レオン、マーゴはつまめる?」
「先の方をもっと尖らせればできるかと…」
「誰かー!ナイフを持ってきてちょうだい!」
その場の誰もが、エレナの暴走を止められない。もう、その場でナイフで小枝を尖らせて、レオンに実演を迫るエレナ。テンション爆上がり中である。言われるままにマーゴをヒョイっと2本の小枝でつまんで見せるレオン。
「すごいわ…!なんて画期的な道具なの!これがあれば、繊細な薬草の調合が格段に進歩するわ!花の雄しべや、芥子粒よりも小さな種を、手で触れずに、傷つけずに扱える…!素晴らしい!素晴らしいわ!」
エレナは、興奮のあまりその場でくるくると回り始めた。
それを見ていた料理人のクロノは、「なるほど…素材を傷つけず…長さも長くすれば…熱い油の中から、食材を一つ一つ、絶妙なタイミングで引き上げるのに、火傷の心配もなく、大切な衣も剥がれない!これぞ、揚げ物料理の革命になりますぞ!」
とこちらも静かにテンション爆上がり中である。
その二人の瞳は、もはや母親のものでも、料理長のものでもなかった。未知なる真理と、料理の神髄を垣間見た、二人の探求者のそれであった。
「すぐに木工職人と、銀細工師を呼びなさい!この『おはし』の試作品を、大至急で作らせるのです!」
レオンは、話がどんどん大きくなっていくことに、ただただ戸惑うばかりだった。
(え、ええと…僕はただ、みんなで楽しくお豆を食べるための、お食事道具として…揚げ物…革命…?)
◇
そして、後日。
グレイスフィールド家では、二つの新しい道具が爆誕していた。
一つは、エレナの研究室で使われる、銀製の精密作業用具。彼女はそれを、レオンの言葉からヒントを得て、『ピンセット』と名付けた。
もう一つは、厨房で使われる、木製の調理用具。クロノはそれを、野菜(菜)をつまむことから、『菜箸』と名付けた。
二人は、画期的な道具を開発(?)したレオンに、感謝しきりだった。
しかし、当のレオンは、少しだけ浮かない顔をしていた。
彼の食卓には、相変わらず、きらびやかな銀のナイフとフォークが並べられている。
(僕が、ご飯を食べるための『おはし』は…どこへ…?)
自分の純粋な提案が、またしても周囲の専門家たちの情熱によって、斜め上の発明品を生み出してしまった。
「どうしてこうなった…」
レオンは、フォークで豆を追いかけ回しながら、小さくため息をつくしかなかったのだった。
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