天使様、秘密基地を作る
グレイスフィールド家の天使様、レオン・フォン・グレイスフィールドは、新たな目標を見つけていた。
それは、彼が屋敷の図書室で偶然見つけた一冊の冒険小説がきっかけだった。その物語の主人公である孤高のスパイは、人里離れた場所に、巧妙に隠されたアジト…すなわち『秘密基地』を持っていたのだ。
(そうだ…!『カッコいい男』は、自分の城、自分だけの秘密の隠れ家を持つものだ!)
和江おばあちゃんの記憶にある『00⚫︎』や『ル⚫︎ン三世』のアジトのイメージも混線し、彼の脳内では、理想の秘密基地の姿が完璧に構築されていた。
(壁が回転する隠し扉、机のボタンを押すと武器が出てくる仕掛け、そして天井からロープで脱出する緊急脱出路…!完璧だ!)
子供らしい、しかしどこか時代劇が混ざったような壮大な妄想を胸に、レオンは計画の実行を決意した。場所は、屋敷の裏手にある、普段はあまり人の近寄らない樫の木の根元。太い根が地面から盛り上がり、まるで天然の洞窟の入り口のようで、子供の冒険心をくすぐるには十分だった。ここに、地下へと続く秘密基地を作るのだ。
エイド曜の午後、レオンは小さなスコップを手に、意気揚々と穴掘りを開始した。
「ふんっ、ふんっ!」
小さな額に汗を浮かべ、土まみれになりながら、彼は一心不乱に土を掘り返す。
しかし、子供の力はあまりに非力だった。数時間かけても、掘れたのはせいぜい子犬が気持ちよく寝そべることができる程度の、浅いくぼみだけ。
「はぁ…はぁ…思ったより、大変だ…」
レオンが息を切らしていると、ひょっこりと次兄のユリウスが姿を現した。
「レオン。何やってるの?アリの巣でも探してるのか?」
「違いますよ、ユリ兄様!これは、僕の秘密基地です!」
レオンは、土まみれの顔で、誇らしげに胸を張った。
ユリウスは、その小さな穴と、弟の壮大な宣言のギャップに、くつくつと笑いをこらえきれない。
「秘密基地ねぇ…。そんな小さなスコップで掘っていたら、完成する頃にはレオンはおじいちゃんになっちゃうよ?土魔法で、大きな穴を掘ってあげるよ?手伝おうか?」
レオンはユリウスからの魅惑的な誘いに迷ってしまう。
地下の秘密基地はほしい。なんなら、今すぐにでもほしい。
(喉から手が出るほど欲しい…!ユリ兄様の魔法なら、僕の理想の隠れ家が、あっという間に…)
しかし、同時に複雑な感情が湧き上がる。人に手伝ってもらった基地は、本当の意味で「秘密」と言えるのだろうか?
しかも、まだ魔法を使えない自分と、いとも簡単にそれをやってのけようとする兄。たった2つしか違わないのにもかかわらず、その圧倒的な差に、ほのかな嫉妬も感じていた。
「いいです!」
葛藤の末、レオンはきっぱりと首を横に振った。
「『カッコいい男』の秘密基地は、自分の手で作り上げるからこそ価値があるのです!安易に魔法に頼るのは、軟弱者のすることです!」
それは、魔法をまだ使わせてもらえない自分の、ささやかなプライドだった。
妙なこだわりを見せる弟に、ユリウスは「ふぅん、まあ、好きにすれば」と肩をすくめ、面白そうにその場を立ち去った。
しかし、ユリウスの言う通り、レオンの力だけでは穴掘りは一向に進まなかった。
途方に暮れたレオンは、自分が掘った穴を眺めながら、うんうんと唸り始める。
(うーん、それにしてもこの土、少し粘土質だから固いのかなぁ…これじゃあ、水はけが悪そうだな…)
思わぬところで出る「和江おばあちゃんの知恵袋」なのだった。
最初は、ただの土質への感想だった。
(まずいな、このままでは基地の床が湿気でカビだらけになってしまう…!そうだ、暗渠排水だ!)
名目は、あくまで「秘密基地の居住性向上のため」。彼は、おばあちゃんの記憶を元に、どこからか小石を集めてくると、穴の底に敷き詰め、隅の方に小さな排水路のようなものを作り始めた。
(日当たりも重要かな。秘密基地の入り口は、南向きがいいに決まってる。洗濯物だって、南向きが一番乾くんだから!)
彼は、木の枝をコンパス代わりに、太陽の位置を確認し、秘密基地の「入り口」の最適な方角を割り出した。
(土が固くて、これでは良い秘密基地は作れない…。そうだ、腐葉土を混ぜて、土をふかふかにしてみよう!)
レオンは、庭師のハリーのところへ急ぐ。
「ハリーさん!腐葉土をください!」
「レオン様、どうされました?お庭に何か植えるのですか?」
「秘密基地を作るんです!」
ハリーの頭には疑問符がいっぱい浮かんでいる。
(秘密基地に腐葉土…?わしが子供の頃に作った秘密基地は、もっとこう、泥と木の枝で適当に…まあ、侯爵家のお坊ちゃまが作る秘密基地は、なんか違うのだろう…うん、きっとそうだ)
ハリーは無理やり自分を納得させた。
「どれくらいの量が必要ですか?わたしがお運びしますよ?」
またしても、甘い言葉に揺らぐレオン。
先程、『自分の手で作り上げるからこそ価値がある』とユリウスに豪語してしまった手前、助けを借りることが戸惑われた。
「いいえ!大丈夫!自分で運びます!」
こうして、今度は、小さな手桶を手に、何度も庭師が管理している場所と裏庭を往復し、栄養満点の腐葉土を運び込んだ。
彼の頭の中では、あくまで「最高の秘密基地」を作っているつもりだった。しかし、その行動は、客観的に見れば、完璧な家庭菜園作りの工程そのものだったのだ。
◇
数日後。
ユリウスが「あの秘密基地ごっこ、まだやってるのかな」と、冷やかし半分に裏庭を訪れて、絶句した。
そこに、彼が想像していたような泥の穴は、どこにもなかった。
代わりにあったのは、美しく土が盛られて畝が作られ、周囲を石で綺麗に囲われ、完璧な日当たりと水はけを確保した、理想的な畑―――いや、『菜園』だった。
レオンは、その菜園の中心で、土まみれになりながらも、やりきったという満足感に満ちた顔で汗を拭いていた。
「見てください、ユリ兄様!最高の秘密基地の『基礎』が、ついに完成しました!」
「…………」
ユリウスは、一瞬言葉を失った後、こらえきれずにその場に崩れ落ちた。
「ぶっ…!あ、あはははは!レオン、それ、秘密基地じゃなくてただの畑じゃないか!悠々自適の隠居生活でも送るつもりかよ!」
「違います!これは、居住性を極限まで高めた、次世代の秘密基地なのです!」
地下のアジトのはずが、穴すら掘られていない状況にもかかわらず、本気で反論する弟の姿が、ユリウスの笑いのツボをさらに刺激した。
ひとしきり笑い転げた後、ユリウスは面白いことを思いついた。
「せっかくだから、何か植えてみたらどうだい?母さんの研究室に、面白い肥料があったはずだよ。それを使えば、何かすごいものができるかもね」
「なるほど!秘密基地の食料を自給自足するのも、サバイバル能力の高い『カッコいい男』の嗜みですね!素晴らしいアイデアです、ユリ兄様!」
レオンは、兄の提案に完全に乗り気になった。
二人は、こっそりと母エレナの研究室に忍び込み、棚の奥で怪しげな紫色の光を放つ、小瓶に入った液体…『魔力濃縮・植物活性スーパー肥料』を拝借した。
そして、完成したばかりの「秘密基地(という名の菜園)」に、トマノ(トマトに似た野菜)とキュリリ(キュリリに似た野菜)の種を植え、そのスーパー肥料をたっぷりと与えた。
効果は、絶大だった。
魔法の肥料と、レオンが作り上げた完璧な土壌が、奇跡的な相乗効果を生んだのだ。種は、数日で芽を出し、6歳児の背丈ほどもあるツルをぐんぐん伸ばし、あっという間に宝石のように輝き、太陽の香りがする実をつけた。
「野菜、採れました!」
レオンは、収穫した真っ赤なトマノを、その日の夕食の食卓に誇らしげに並べた。
一口食べた瞬間、家族全員が衝撃に目を見開いた。
「な、なんだこのトマノは!?甘みと酸味のバランスが、まるで計算され尽くした芸術品のようだ…!?」
父マルクが、侯爵であることも忘れ、目を剥いた。
「まあ!私の肥料と、レオンが改良した土壌の組み合わせ…素晴らしいわ!この味、この魔力の凝縮率!これは、王都の学会に発表しなくては!」
母エレナが、研究者として、その未知なる味の構成要素を分析しようと、鬼気迫る表情で咀嚼していた。
レオンは、皆が喜んでいることに満足しながらも、少しだけ複雑な心境だった。
(僕の、僕だけの秘密基地が、みんなの美味しい野菜畑になってしまった…)
「どうしてこうなった…?」
彼の小さな呟きは、家族の歓声と、おかわりを要求する声にかき消されていった。
(でも、みんながこんなに喜んでくれるなら、まあ、いっか…)
『カッコいい男』への道は、またしても、思いもよらぬ方向へと、豊かに実ってしまったのであった。
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