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天使様、大魔導士を布教する

 レオンの「カッコいい男計画」は、彼の日常にすっかり溶け込んでいた。


 スケジュールに沿った座学や剣術指南はもちろんのこと、彼は自主的にメニューを修正していた。

(週に二回の自主鍛錬では、基礎体力がなかなかつかない。『継続は力なり』だ!)

 そう結論付けたレオンは、あの大魔導師ラジオ様が考案したという至高の準備運動、『ラジオ体操』だけは、毎朝欠かさず行うことに決めたのだ。


 テラ曜(土の日)の早朝。

 今日もレオンは、一人、朝日が差し込む庭で元気に体操を始めていた。

 チャーンチャチャ、チャチャチャチャ、チャーンチャチャ、チャチャチャチャ…


 初めの頃は、脳内に響く音楽と号令を頼りに行っていたが、今ではすっかり動きをマスターし、自分で歌いながらできるまでになっていた。

「あーたーらしい朝が来た、希望の朝だ~♪」

 高らかに、そして少し舌足らずに歌いながら体を動かす。その周りでは、キラキラとした無数の光の粒――下級精霊たちが、応援するかのように楽しげに飛び回る。朝日を浴びて輝く精霊たちと、天使のような少年が、謎の聖歌を合唱しながら健康体操に打ち込む。それは、幻想的で、同時にひどくシュールな光景だった。


 地道な努力の甲斐あって、彼の体力は少しずつ向上していた。まだ庭を三周するのがやっとで、城壁一周という途方もない目標には程遠いが、確かな進歩を感じていた。

「よし、今日も完璧だ!」

 レオンが満足げに汗を拭っていると、背後から声がかかった。

「レオン様、失礼いたします。その歌は…一体何なのでしょうか?」


 そこに立っていたのは、護衛のロイ・ハーゲンだった。彼は、生真面目で実直な青年だが、最近、訓練で体を痛める若い兵士が増えていることに、心を痛めていた。

「ロイさん!これは、大魔導師ラジオ様の聖歌ですよ!」

「せいか…でありますか?」

「はい!この歌を歌いながら体を動かすと、とても調子が良くなるんです!この歌を聞いていると、なんだか体を動かしたくなりませんか?」


 レオンが悪気なく尋ねると、ロイは真剣な顔で頷いた。

「はい。不思議と…その、晴れやかな歌声を聞いていると、体がうずうずしてくるような、力が湧いてくるような感覚があります」

(やっぱり!)

 レオンは、内心で拳を握りしめた。

(ロイさんのような屈強な騎士にまで影響を及ぼすなんて…!聞くだけで体に作用する、まさしく高等魔術!大魔導師ラジオ様、すごすぎる…!)


 しかし、同時に彼は小さな疑問も感じていた。

(でも、僕自身は魔力を使っている感じが全くしないんだよな…。もしかすると、この聖歌と動きそのものに、魔力を活性化させる術式が組み込まれているのかもしれない…)

 レオンは、壮大で、そして根本的な勘違いを、さらに深めていく。

「ロイさん!この体操は、きっと騎士団の皆さんのお役にも立てるはずです!」

「は、はあ…」

「父様にご相談してみます!」

 そう言うと、レオンはぱたぱたと執務室へと走っていった。


 ◇


「―――というわけで、父様!我が騎士団の練度を飛躍的に向上させる、画期的な集団教練魔術が発見されたのです!」

 レオンは、父マルクの前で、目を輝かせながら力説していた。

 マルクは、山のような書類から顔を上げ、眉をひそめる。

「…集団教練、魔術?」

「はい!古代に存在したという、伝説の大魔導師ラジオ様の『聖歌』と、それに合わせて行う『神聖な舞』です!」

「らじお…?せいか…?まい…?」


 息子の口から飛び出す単語が、一つとしてマルクの知識の中にはない。彼は、早くも襲ってきた胃の痛みに、そっと手を当てた。

「どのようなものなのだ、その…聖歌とやらは…」

「はい!『あーたーらしい朝が来た、希望の朝だ』という、とても前向きな歌詞で始まるのです!そして、『腕を振って脚を曲げ伸ばす運動』や、『胸を反らせる運動』といった舞を合わせることで、絶大な効果を発揮します!」

 レオンが、その場で歌いながら実演してみせる。

 マルクは、息子の奇妙キテレツな歌と踊りを、呆然と見つめるしかなかった。

(な、何だ、この動きは…。いや、それ以上に、息子の言っていることが、全く、これっぽっちも理解できん…!)


 マルクが混乱の極みに達した、その時だった。執務室の扉がノックされ、ロイが入室してきた。

「失礼いたします、侯爵様。次期予算の件で…」

「おお、ロイか!ちょうどいいところに!」

 マルクは、藁にもすがる思いでロイに助けを求めた。

「ロイ、お前、レオンが言っている『大魔導師ラジオ』とやらを知っているか…?」

「はっ!レオン様が毎朝歌っておられる、あの聖歌と体操でありますか!」

 ロイは、真面目な顔で答えた。

「先日、私も拝聴いたしましたが、あの歌には不思議と士気を高める効果があるように感じられます。試してみる価値は、十分にあるかと愚考いたします!」

(…ロイが言うなら、そうなのか?)


 実直で有能なロイの言葉に、マルクの心は少しだけ揺らいだ。

「…分かった。一度、騎士団で試してみることを許可しよう」

「「ありがとうございます!」」

 レオンとロイが、嬉しそうに声を揃えた。マルクは、また一つ、自分の理解を超える事柄が領内で進行していくことに、深いため息をつくしかなかった。


 ◇


 そして、翌日の騎士団の朝練。


 訓練場には、屈強な騎士たちがずらりと整列していた。その最前列に、小さな先生としてレオンが立っている。

「それでは皆さん、始めますよ!大魔導師ラジオ様の、ありがたい聖歌と神聖な舞です!まずは、聖歌から歌います!」


 レオンの指導のもと、百戦錬磨のゴツい男たちが、戸惑いながらも合唱を始める。

「あ、あーたーらしい…あさが、きた…?」

 たどたどしい合唱と、それに続く奇妙な体操。その光景は、あまりにもシュールだった。

 しかし、体操が進むにつれて、騎士たちの間から、驚きの声が上がり始めた。

「うおっ、脇腹の筋が、すげえ伸びる!」

「なんだか、この歌を歌うと力が湧いてくるような…!」

「これが聖歌の力か…!」

 彼らはすぐに、この奇妙な儀式が、見た目とは裏腹に、心身に絶大な効果を秘めていることに気づいたのだ。


 体操が終わる頃には、騎士たちの顔は、爽快な汗と、謎の達成感に満ち溢れていた。

「レオン様、これは素晴らしいですぞ!」

「偉大なる大魔導師ラジオ様に、感謝であります!」

 騎士たちからの絶賛の嵐に、レオンは胸を張った。

「ほら、やっぱり!大魔導師ラジオ様の魔術は、すごいんですよ!」

 彼の言葉に、騎士たちは「「「おおーっ!」」」と、尊敬の眼差しを向ける。レオンの勘違いは、ここにきて、確固たる「事実」として、周囲に認知されてしまったのだ。


 ◇


 それから、一月後。

 グレイスフィールド領では、奇妙な噂がまことしやかに囁かれていた。

「グレイスフィールド騎士団は、古代の大魔導師『ラジオ』様の加護を得たらしい」

「毎朝、謎の聖歌を合唱し、神聖な舞を捧げることで、不死身の肉体を得ているそうだ」

 噂は、屋敷の使用人から城下の町へと広まり、領民たちは、その「聖歌」と「舞」をこぞって真似し始めた。健康になるのはもちろんのこと、「大魔導師ラジオ様のご加護がある」と、篤く信じるようになったのだ。


 そして、ある晴れた朝。

 父マルクは、執務室の窓から、いつものように領地の景色を眺めていた。

 ふと、城下の広場に、何百人もの領民たちが集まっているのが目に入った。

(何かの祭りか…?)

 そう思った、次の瞬間。広場にいる全員が、一斉に、あの奇妙な動き――ラジオ体操を始めたのだ。

 マルクは、手にしていた羽ペンを落とした。


 そして、体操が終わると、領民たちは全員、城ではなく、天に昇る朝日に向かって、深々と手を合わせた。

「「「偉大なる大魔導師ラジオ様!我らに健やかなる朝を与えたまえ!」」」

「「「ラジオ様の聖歌は世界一ィィ!」」」

 その、地鳴りのような感謝の合唱。


 マルクは、自分の領地で、いつの間にか未知の神『ラジオ』を崇める新興宗教じみた何かが爆誕している光景を、ただ呆然と見つめるしかなかった。

「……クラウス」

「はっ」

「胃薬を…。それと、至急、王都の教会に連絡を…。我が領地が、異教の神に乗っ取られるかもしれん…」

 自分の息子が、その新興宗教の、図らずも「教祖代理」と呼ばれていることなど知る由もなく。ましてやレオン本人も知る由もなし…

「どうしてこうなった…」


 侯爵の尽きることのない苦悩をよそに、グレイスフィールド領は、今日も王国で最も健康的で、そして信仰心あふれる朝を迎えていた。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます♩

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