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天使様、兄の企みを無邪気に打ち砕く

 ヴェント曜(風の日)の魔法の授業は、レオンの世界を根底から変えた。

 目には見えなくとも、この世界は優しく温かい『精霊』たちに満ちている。その事実は、彼の心をかつてないほど高揚させていた。

(精霊さんたちに、もっと会ってみたい…!ちゃんとお友達になりたい!)


 彼の探究心は、もはや屋敷の庭だけに留まらなかった。

(今日の午後は、ノブレス・オブリージュ実践の日だけど…精霊とお話するのも、ノブレス・オブリージュ実践に入るよね!よし、母様と父様に、森に行く許可をもらってこよう!)

 こっそり抜け出すのではなく、きちんと許可を取る。それが、レオンの良い子たる所以だった。彼はウキウキした気持ちで、先ぶれを出すのにルチアを探すため、自室の扉を開けた。

 しかし、彼の小さな冒険計画は、廊下に出た瞬間にあっけなく終わりを告げる。


「レオン。どこ行くの?」

 壁に寄りかかって待ち構えていたかのように、次兄のユリウスがにやりと笑っていた。その目は、最高の獲物を見つけた猫のように、好奇心にきらめいている。

「ユリ兄様!え、ええと、ルチアを探しに…」

「ふぅん?その前に、ちょっと兄さんの部屋に付き合ってよ。すっごく面白い話があるんだ」

 有無を言わさぬ笑みで、ユリウスはレオンの肩を抱き、自室へと連行していった。


 ユリウスの部屋に連れてこられたレオンは、不思議そうに兄を見上げた。

「兄さん、面白いお話とは何ですか?」

「うん。単刀直入に言うぞ。」

 ユリウスは、机に座ると、子供らしい興奮を隠せないといった口調で切り出した。

「レオンがこの前言ってた、『頭の中の楽器』!あれ、金儲けの匂いがする!王冠金貨ザックザクだぞ!こいつを事業化して一発当ててやるよ!」

「お、王冠金貨…?」

「そう!だから、その『楽器』の詳しい構造を教えてくれ!まずは、絵に描いてみて!」

(事業化!一発当てる!なんだかカッコいい響きだ!)

 レオンは、兄の提案に目を輝かせ、喜んで羊皮紙にペンを走らせた。


 しかし、彼の絵心は、残念ながら壊滅的であった。数分後、羊皮紙の上に現れたのは、芋のようにも、なまこのようにも見える、謎の物体だった。

「…………」

 ユリウスは、その絶望的な絵を数秒間無言で見つめた後、こめかみを押さえた。

「…うん、分かった。お前、絵は描くな。口で説明してくれ」


 そこから、ユリウスの天才的な頭脳による、驚異的なヒアリングが始まった。

「ええと、木の枠に、たくさん串が刺さっていて、そこに丸いタマがたくさんついているんです」

「タマの数は?」

「上の大きいタマが一つで、下の小さいタマが四つです!」

「そのタマをどうするんだい?」

「指でこう、パチパチって弾いて、計算するんです!」


 レオンの拙い説明と、芋のような絵。常人であれば、ここで匙を投げるだろう。しかし、ユリウスは違った。最初は絡まっていた糸のようだった情報が、ユリウスの頭脳の中で、瞬く間に美しい設計図へと織り上げられていく。

(なるほど…五進法と十進法を組み合わせた、一種の計算補助器具か。上の珠が『五』、下の珠が『一』を表す。桁が串に対応しているとすれば…これは、とんでもなく速く、そして正確に計算ができるぞ…!)


「なるほどな…!完全に理解した。ありがとう、レオン!あとは兄さんに任せなさい!」

 ユリウスは、宝の地図を手に入れた探検家のように、にやりと笑った。


 ◇


 それから数日後。

「できたぞ、試作品!」

 ユリウスが、木の香りのする真新しい物体を手に、レオンの部屋を訪れた。彼は、領地の木工職人に「個人的な趣味の品」と偽り、こっそりとこれを作らせていたのだ。

「わあ!そうです、これです!『そろばん』です!」

 レオンは、思わず歓声を上げた。久しぶりに見る前世の道具に、彼の心は懐かしさでいっぱいになった。


「じゃあ、早速実演してもらおうか」

 ユリウスは、帳簿の写しを広げると、ニヤリと笑った。

  「我が領地の、先月のアエリス月からフローラ月にかけての小麦の収穫量と、王都への輸出量の差額は?」

 それは、家庭教師のアルマンですら、羊皮紙とペンを使わなければ計算できないような、複雑な問題だった。

 

 しかし、レオンは、懐かしいそろばんを前にすると、自然と指が動いた。

 パチパチパチパチッ! 指が見えないほどの速さで、軽快に珠が弾かれる。それは、もはや計算というよりは、一種の音楽を奏でているかのようだった。

「…はい、出ました。答えは、金貨にして三百二十七枚と、銀貨八枚分の儲けです」

「なっ…!?」

 ユリウスは、自分の計算結果と寸分違わぬ答えが、わずか数十秒で導き出されたことに、驚愕を隠せない。

(なんだこれは…魔法か?いや、魔法じゃない。純粋な『計算』の速度と正確さが、尋常じゃないレベルだ。これがあれば、国の会計は根底から覆るぞ…!)


  ユリウスは、その価値を正確に見抜いていた。

(これをポルトス侯爵領の商人に売れば…金貨が何枚…?いや、金貨の山だ!)

  彼の頭の中には、すでに詳細な事業計画書と、巨万の富を築き上げる自分の姿が鮮明に描かれていた。

「レオンありがとう!開発協力の謝礼だよ」

 ユリウスは、もう一つの小さなそろばんをレオンに渡すと、ウキウキで自室へと戻っていった。


 ◇


 一人になったレオンは、手の中のそろばんを眺めていた。

(計算もできるけど、この平らで滑らかな木の板…なんだか、滑らせてみたら楽しそうだな…)

 6歳児の純粋な好奇心が、むくむくと湧き上がってくる。


 レオンは、屋敷の磨き上げられた長い廊下へ向かうと、そろばんをそっと床に置き、片足を乗せて、壁を蹴った。

「しゅーーーっ!」

 磨き上げられた床に、窓から差し込む陽光が反射し、まるで光の川の上を滑っているかのようだ。

 そろばんは、驚くほど滑らかに、床の上を滑っていく。

「わあ!楽しい!」

 レオンは、夢中になって、そろばんスケートを楽しんだ。


 その、楽しげな奇行の真っ最中だった。

「あら、レオン?何をしていらっしゃるの?」

 ちょうど角を曲がってきた母エレナが、不思議そうな顔で息子を見つめていた。

「わわっ!」

 レオンは慌てて止まろうとするが、止まれない。彼は、見事なスライディングで、母の足元に滑り込んだ。

「レオン、それは何かしら?危ないわよ」

 エレナは、足元のそろばんを拾い上げると、その精巧な作りに少し目を見張った。

「ユリ兄様がくれた『そろばん』です!計算もできる、すごい玩具なんです!」

 レオンは、悪気なく、そして得意げにそう答えた。


 その瞬間、エレナの穏やかな微笑みが、すっと消えた。

「…そう。ユリウスが。少し、母さんとお話ししましょうか。ユリウスも呼びなさい」

 その静かな声には、有無を言わせぬ圧があった。


 ◇


 兄の部屋へ行き、事情を話すと、ユリウスは「げっ」と顔を引きつらせながらも、母の待つ部屋へと向かった。部屋に入ると、エレナは静かにそろばんをテーブルの上に置いた。

「ユリウス。これは、あなたが領地の木工職人に『個人的な依頼』として作らせたものね。家の紋章も入れず、帳簿にも載せずに」

「な、なんでそれを…」

 ユリウスの顔から、さっと血の気が引く。

「この家の母親を、そして侯爵夫人を甘く見ないでちょうだい。あなたがコソコソしていることくらい、お見通しよ」


 エレナの瞳は、全く笑っていない。

「そして、この素晴らしい道具のアイデアは、レオンから出たものよね。アルマンから報告が上がってるわ。それを、あなたは両親に報告もせず、自分一人の手柄として、勝手に儲けようとしていた。そうね?」

 図星を突かれ、ユリウスはぐうの音も出ない。

「家の名を騙らず、自分の才覚で商売をしようとしたその気概は、褒められないこともないわ。でも、やり方が間違っている。そして何より、弟のアイデアを独り占めしようとしたことが、母さんは一番悲しい」


 静かに、しかし厳しく叱る母の言葉に、ユリウスは俯いた。

「でも、これを作ったのは俺だ!」

「ええ、そうね。その技術と行動力は素晴らしいわ。あなたの才覚は、グレイスフィールド家の誇りよ。でも、それを正しい道で使いなさい。誇りを持てるやり方でね。発案者はレオンよ。もしこれを家の事業とするなら、あなたとレオン、両方の功績として考えなければならないわ。あなたは、レオンにちゃんと報酬の相談をしたの?まさか…この試作品1個で済まそうとしたわけじゃないわよね?」

 エレナの言葉に、ユリウスは青ざめる。レオンは、兄が叱られているのを見て、オロオロするばかりだ。


 エレナは、ふう、と一つ息をついた。

「この『そろばん』については、一度父様とも相談します。それまで、勝手な行動は許しません。これは没収します」

 そう言うと、彼女はそろばんを手に取った。

「ですが、この道具の有用性は、母さんも認めます。素晴らしい発明よ。とりあえず、家の執務室で試験的に使ってみましょう」


 叱られてしょんぼりするユリウスと、兄が叱られて悲しそうなレオン。

 ユリウスは、自分の壮大なビジネスプランが、始まる前に頓挫したことに、がっくりと肩を落とした。

「ユリ兄様…元気出してください。はい、アメちゃん!」


 どん底の気分の中、レオンが差し出したキラキラした包み紙。そのあまりの純粋さに、ユリウスは怒る気力も、悲しむ気力も、全てどこかへ飛んで行ってしまった。

「……どうも」

  死んだ目でレオンを見て、アメを受け取るユリウス。

(…ああ、もう。レオンってやつは…)

 ユリウスは苦笑いをするしかなかった。


 その日、侯爵家の次男坊は、母親には敵わないという事実と、世の中の理不尽さを、身をもって学んだのであった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます♩

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