天使様、魔法の理と精霊を知る
レオンの「カッコいい男計画」が始まって、数日が過ぎた。
地道な体力作り、兄との波乱万丈な座学、そして騎士団での(いろんな意味で)衝撃的な剣術指南。目まぐるしい日々の中で、レオンが最も心待ちにしていた曜日が、ついにやってきた。
ヴェント曜(風の日)。母、エレナから直々に魔法を教えてもらえる、特別な日だ。
「母様!よろしくお願いいたします!」
レオンは、母の研究室である温室の扉を、期待に胸を膨ませて開けた。
むわりとした濃密な湿気と、甘く青い植物の匂いが彼を迎える。色とりどりの花や薬草が、生命力に満ち溢れて輝き、温室全体がまるで一つの生き物のように、静かに呼吸しているかのようだった。
(これであの『組紐屋のリョウ』のような、カッコいい必殺技が使えるようになるんだ!)
彼の頭の中では、魔法の糸で悪人を懲らしめる、クールでワイルドな自分の姿が完璧に再生されていた。
「ええ、いらっしゃい、レオン。今日は、あなたに魔法の理の、ほんの入り口を教えてあげるわ」
エレナは、古い羊皮紙の巻物を机に広げ、優しく微笑んだ。そこには、複雑な図形や、見たこともない古代の文字が記されている。
「まず、魔法とは何か、というお話からね」
エレナは、巻物の一点を指さした。そこには、大地を巡る光の川と、そこから立ち上る無数の光の粒が描かれていた。
「この世界には、大地を流れる魔力の奔流…『地脈』というものがあるわ。そして、空気中には、私たちを生かしてくれている『精霊』たちが放つ、魔素というエネルギーが満ちている。魔法使いは、これらを自分の中に取り込んで、力として放出するの」
「地脈と、精霊…」
「そう。地脈から直接力を引き出すのは、パワフルだけど、とても荒々しくて制御が難しい。まるで未加工の原油のようね。一方で、精霊たちが精製してくれた魔素は、とても繊細で扱いやすい。丁寧に精製された油かしら。力任せの魔術師は地脈の力を好み、私たちのように精霊と対話できる者は、より精密な魔法が使えるようになるのよ」
エレナは、魔法の発動には「古代語の詠唱」が必要なことなどを、丁寧に説明していく。次に、彼女は人体の構造が描かれた図をレオンに見せた。心臓のすぐ近くに、小さな宝石のようなものが描かれている。
「そして、これが魔法を使う上で最も大切な器官、『魔核』よ。生まれつき誰の体にもあって、魔力を蓄え、放出する、いわば魔法の臓物ね」
エレナはそっとレオンの胸に手を当てた。「ここにあるのよ。あなたの命と同じくらい、大切な力がね」
「宝石!僕の中にもあるんですか?」
「ふふ、残念ながら、外からは見えないわ。でも、魔力を感じられるようになれば、自分の中にあるのが分かるようになるわよ」
エレナは、魔核が年齢や修行によって成長すること、無理をすると鼻血が出たり頭痛がしたりすること、そして魔法は魔核に蓄えられた魔力を使って発動するため、魔力量が多ければ多いほど、派手な魔法が使えることなどを語り聞かせた。
(鼻血…和江おばあちゃんも、血圧が上がると鼻血が出ていたな…。なんだか似ているかも…)
レオンは、ここでも自分の特異な知識と、この世界の理との間に、奇妙な共通点を見出していた。
「ギルドや学園にある鑑定石を使えば、自分の力が何段階目なのかが見えるのよ。魔力量は1とか、筋力は2といった形でね」
「まあ!ゲームみたいで面白そうです!」
「げえむ?」
「え、ええと…その…盤上の遊戯のことです!」
危うく、また一つおばあちゃん知識が漏れ出るところだった。
一通りの座学を終え、レオンは最も聞きたかったことを質問した。
「母様!その、精密な魔法を使うには、『精霊との対話』が必要だとおっしゃいましたよね?精霊って、一体何なんですか?」
「良い質問ね」
エレナは嬉しそうに頷くと、温室の植物たちを愛おしげに見回した。
「精霊というのはね、この世界の万物に宿る、自然エネルギーの意識体のようなものよ。ほら、あそこに陽の光が差し込んでいるでしょう?あの光の中には、きらめく小さな埃のように見える精霊がいるの。彼らは、下級精霊よ。形は持たないけれど、私たちの周りをいつも漂って、世界に力を与えてくれているの」
「この森の奥深くには、蝶や小鳥の姿をした中級精霊がいるかもしれないわね。彼らは知性を持っていて、お話しすることもできるのよ。そして、ごく稀に、人を導くほどの力と知性を持った、上位精霊も存在すると言われているわ」
「母様は、精霊とお話しできるのですか?」
レオンが、キラキラした瞳で尋ねる。
「ええ。私は、この温室にいる植物の精霊たち…木の精霊や花の精霊と契約しているのよ。だから、この子たちが何を欲しているのか、声を聞くことができるの」
「すごい…!僕にも見えますか?」
レオンは、きょろきょろと温室の中を見回すが、彼の目には美しい植物しか映らない。
エレナは、そんな息子の姿に優しく微笑んだ。
「彼らは、心が綺麗な人にしか姿を見せないと言われているわ。でもね、レオン。あなたはきっと、すぐにお友達になれるわよ」
「本当ですか?」
「ええ。だって、あなたは庭の木や、道端の小さな花にも、いつも優しく話しかけているでしょう?『こんにちは』『今日も綺麗だね』って。彼らは、ちゃんと聞いているわ。自分たちに敬意を払い、愛してくれる人が、彼らは大好きなの」
レオンは、はっとした。それは、彼が前世から、八百万の神々への敬意として無意識に行っていた習慣だった。この世界では、その行為が、精霊たちとの絆を育む、何よりの魔法だったのだ。
「さあ、お話はこれくらいにして、いよいよ実践よ」
エレナは立ち上がると、レオンの手を取った。
「今日は、約束通り『魔力制御』の訓練をしましょう。まずは、自分の中にある魔力を感じること。あなたの体の中を流れる、温かい川のようなものを想像してごらんなさい」
レオンは言われた通りに目を閉じ、精神を集中させた。体の中心に、確かに温かい何かが、穏やかに流れているのを感じる。これが魔核の中の魔力なのかな?
「上手よ。では次に、その川の流れを、意識して、右腕の指先へ…次は左足のつま先へ…ゆっくりと、全身を巡らせてごらん。焦らなくていいわ。自分の体という領地を、隅々まで視察する領主様のようにね」
それは、途方もなく地味で、根気のいる作業だった。
(動いて…動いてよ、僕の力…!)
最初は魔核からなかなか出てこようとしない魔力を、うんうん唸りながら押し出そうと頑張ってみる。何十分か経って、ようやく、温かい水が一滴、魔核から染み出すのがわかった。
その一滴を、今度は右手の方へ動かしてみるが、まるで言うことを聞かない赤子のようだ。まっすぐ進まず、すぐに脇道に逸れてしまう。額に汗が滲み、息が詰まるような集中が続く。
それでも、レオンは、驚異的な集中力でそれをこなしていく。和江おばあちゃんが、茶道で培った精神統一の極意が、無意識に彼を助けていた。
そして、さらに一時間ほど経っただろうか。ついに、ちりり、と右手の指先に、微かな静電気のような感覚が走った。それは、生まれて初めて自分の『力』に触れた、感動的な瞬間だった。
(すごい…!これが僕の魔力…!これを自在に操れるようになれば、きっとリョウの必殺技が…!)
彼のモチベーションは、相変わらず少しだけズレていたが、その真剣さは本物だった。エレナは、初めての訓練で魔力を体の末端まで到達させた息子の姿に、「(普通は何日もかかるのに…この子は…)」と、改めてその底知れない才能を垣間見ていた。
その日の授業が終わり、レオンは一人で庭に出てみた。
彼は、庭で一番大きな樫の木にそっと触れると、習ったばかりの魔力制御で、ほんの少しだけ、手のひらから魔力を流した。そして、母に教わった言葉を思い出しながら、優しく話しかけた。
「こんにちは、精霊さん。そこにいるのですか?」
すると、彼の周りで、何かが変わった。
それは、まるで闇夜に舞う蛍のように、あるいは、陽光にきらめくダイヤモンドダストのように、キラキラとした光の粒が、彼の周りに集まり始めたのだ。
普通の人には見えない、下級精霊たちの姿。レオンにはまだ、その姿をはっきりと視認することはできない。だが、なんだか空気が温かくなったような、たくさんの温かい手で、そっと撫でられているような、不思議で心地よい感覚があった。
「これが、精霊…?」
レオンは、そっと手を伸ばした。光の粒の一つが、彼の指先に、そっと触れた気がした。
『カッコいい男』への道は、思いがけず、この世界の神秘の扉を開く、最初の鍵となった。
彼の自己改造計画は、また一つ、新たな、そして広大な目標を見つけたのであった。
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