内部通報6
木戸係長は、私の左側面に焦点を合わせるように斜めに座り、左足を右足の上に重ねて組んで、私に視線を合わせたり、合わせなかったりを繰り返した。
髪は緩いパーマをかけてフワッとさせたセミロングで、ほんの少しの動作でも、前髪が上下に揺れるので、落ち着きのない印象がある。
私は、ちょっといじわるして、こちらから第一声を出さないようにしていたのだが、そして1分程度が経過したのが、今の状況だ。
「雨森課長」と、木戸係長はしびれを切らしたように口を開いた。
「ボクを呼び出しておいて⋯⋯いったい何の話ですか⋯⋯⋯」
係長の問いかけに対して、私は視線を相手に向け、しばらくじっと見つめた。
「⋯⋯ヒマじゃないんだけどな⋯⋯⋯」
つぶやくように愚痴が漏れてきたが、私は聞き流し、グッと身を前に乗り出して、係長に顔を近づけた。
係長は、目を大きくして仰け反り、私から少し離れた。
「10秒待ちます」
と、私は言って、右手の拳を係長に見せた。
「私に話しておきたいことがあれば、それまでに言って下さい」
「え⋯⋯え⋯⋯⋯」
係長は、忙しなく全身を揺さぶった。
その後、私は右手の人差し指、中指と開いていき、5本指が全部開いたら、親指、人差し指と閉じていった。
元の拳に戻ったところで、私的な10秒が経過した。
「係長からの申し立ては無し、それで良いですね」
「⋯⋯えっと⋯⋯何の話⋯⋯ですかね⋯⋯⋯」
「SKKの池上さんは、全てを私に話して下さいました」
「池上さんが⋯⋯いったい、何を?」
「しつこいようですが、木戸係長から、私に話すことはありませんか?」
係長は、まるでノド元に押し上げくる言葉を抑えこむように口をつぐみ、私をじっと見た後に、こう言い始めた。
「⋯⋯確かに⋯⋯池上さんとは不倫関係にありました⋯⋯そのことは認めます⋯⋯⋯」
「いつ頃からの関係ですか?」
「1年くらい前⋯⋯かな⋯⋯⋯」
「つまり、SKKと取引を開始した当初からということですね。
社内倫理規定に『利害関係者との不倫行為の禁止』があるのは、ご存知ですよね」
「もちろん、わかってるよ」
「罰則はありませんが、反省文の提出はあります」
「わかった⋯⋯話は、それだけかな?」
係長は、少しだけ気分が晴れたような笑みを浮かべ、今にも立ち上がりそうな気配があった。
「まだあります」
と、私が伝えると、その笑みは消えた。
私はバッグから書類を取り出し、係長側に向けて、テーブルの上に置いた。
「SKKから受け入れた派遣社員6名の勤怠記録です。
請求明細書として添付されてきたものを、月別にシートにわけて、まとめられたものです
個別の内訳については確認を省略しますが、直近6ヶ月間の受入社員全員の合計労働時間は6457.5時間となり、請求金額は11,301,218円になります」
「請求額が違ってたの?」
と、係長が訊ねてきた。
「いえ、合ってます」
私の返事を聞いて、係長の両肩が下がった。
「じゃあ、問題ないんじゃ⋯⋯」
「勤怠記録と請求書のやり取りは、表計算ソフトとメールを使って、やり取りしてましたね」
「まあね」
私は、タブレットをテーブルの上に置き、係長の側に画面を向けた。
「これが、その勤怠記録。今は、先月分が表示されています。先月は4人の受け入れがあって、総出勤日数は83日間、のべ総労働時間は910.5時間、請求額は1,568,460円となっております」
そう説明した後に、先月の請求書をタブレット画面に写し、金額がピタリと一致していることを伝えた。
「やはり問題はない⋯⋯⋯」
と、係長はつぶやいた。
「今、お見せしている記録類は、池上さんから提供された資料です。でも、もう一つここに」
私は、一旦、タブレットを自分の方に向けて、別の文書ファイルを開けて、もう一度、係長の方に向けた
「⋯⋯同じもの⋯⋯だよね⋯⋯⋯」
係長は、警戒しながら言った。
「おっしゃるとおり、同じモノです。ただ、こちらは、木戸係長が意図的に消去した池上さん宛のメールから復元したものです」
「意図的に⋯⋯って⋯⋯ヒト聞きが悪いなぁ⋯⋯⋯」
係長は、少しだけ頬を膨らませ、口を尖らせる。
「今さら、隠してもしょうがないですよ。全部、分かってるんですから」
「キミ、性格悪いって言われてない?」
「よく言われます」
私が躊躇なくそう答えると、係長は口をつぐんでしまった。
「注目は、この表計算ソフトの月別の区切りのシートタブです。
今から、長押ししますから、よく見ていて下さい。ここが重要ポイントです」
私は右手の人差し指で、シートタブのあたりを強めに押した。
すると、画面に黒の枠線に包まれたメニューが現れた。
「今の操作は、PCでマウスを右クリックしたのと同じです。
シートタブに関連するメニューが現れました。
重要ポイントは、ここの『再表示』が有効になっている点です。
つまり、これは、『非表示』にされているシートがあるということを示しています。
池上さんから提供された文書ファイルでは、この表示が無効になっていました。
ここに大きな違いがあったのです」
私は、『再表示』を実行させ、『非表示』にされていたシートをすべて表示させた。
木戸係長は、組んでいた足を正し、神妙な目つきでタブレット画面に注目していた。
「『非表示』にされていたのは、派遣社員の勤怠記録です。
労働時間に関しては、同じ記録値を引用していますが、計算結果が異なっています。
先月の実績の例では、のべ総労働時間827.5時間と、910.5時間から83時間少ない数字になります」
その時の木戸係長は、うつむいた姿勢で、私から目を反らしていた。
私は、思わず「木戸係長!」と大きめの声で呼んでしまった。
係長は、ハッとした顔をして、背筋をまっすぐに伸ばし、私の顔に焦点を合わせ直した。
「これは、休憩時間が引かれている場合と、そうでない場合の差です。
契約では、休憩時間は労働時間に含まれませんから、当然に請求額にも入ってこないはずですが、休憩時間が控除されていない大きい値の時間に基づいて派遣料金が計算され、それをSKKとの取引開始時から、ずっと会社は払ってきたのです。
その総額は⋯⋯」
私は、タブレットを操作し、今説明している計算式とその結果について記されたシートを表示させた。
「取引開始時まで遡って、1,162時間もの休憩時間分が過剰に支払われたことになります。
金額にすると、1,975,400円になります。
1日1時間の小さな搾取ですが、1年以上となると、割と大きな金額になりますね。
木戸係長と池上さんで山分けですか?」
私の問いかけに対して、係長は顔面蒼白で、完全に言葉を失っていた。