繰上返済
今の私は、ドイツ製の高級セダンの助手席に座り、すいすいと流れる車窓なんかを眺めたりしている。
運転しているのは、私の上司。
つまり、社長だ。
こういうのって、上司が後部座席に乗って、部下が運転する光景がよくあると思うんだけど、ウチの会社って真逆で、社長や専務の方が運転したがるんだよね。
自慢じゃないけど、入社して以来、エラいお方と自動車に同乗して、運転を担当したことがないね。
もしかして、運送会社に有りがちな話なのかな。
本社のあるK市からN市内の南方にある住宅街まで、高速使って1時間弱。
その間に、今回の案件と私の役割について、一通り承った。
まず、これから会うお方は、社長の大学時代の同窓生。
40年くらいのお付き合いになるのかな。
そのご友人の相談に乗ってほしい、というのが、今回のミッションだ。
社長の地位を鑑みると、やはりどこかの会社の経営者かなと安直に想像してしまうが、意外にも地元製造業のサラリーマンをされているということで、立場的には私とそんなに変わりはないらしい。
ちょっと気楽かな。
とにかく社長のご友人なので、粗相が無いように、せいぜい気をつけなくちゃね。
もちろん、常識的な礼節はわきまえますよ。
社長は、時間貸し駐車場に自動車を預け、そこから10分程度歩くことになった。
自宅の前まで行かないのは、自動車が大きすぎて、路駐すると狭い道路幅を圧迫して、近所迷惑になるという配慮からだった。
確かにドイツ製高級セダンはデカいからね。
もっと近くにも駐車場はあったんだけど、尺が合わなくて入りきれなかったのだ。
「最近は、歩くようにしてるんだ」
社長は、少し息切れ気味にも陽気に言った。
糖尿病を患っておられるので、運動する習慣があるのは良い話だ。
私は、美貌の維持のため、チョコっとできるフィットネスに通ってる。
無頓着にしてると、いろんなところがプヨプヨしてきて、僅かばかり授かった美的要素がどこかに行ってしまうので、最低限の注意は払っている。
ご友人のお住まいは、2階建てのごく普通の住居。
大きさとか広さとか、私の実家と、そんなに変わりはない。
これが宮殿みたいな豪邸だったら、何かをひっかけてぶっ壊したりしないかなって緊張しちゃったろうね。
何となくフレンドリーな雰囲気があって、却って良いかも。
玄関口に、高齢の一歩手前くらいの男性が現れ、社長に向かって満面の笑みを浮かべた。
グレーの混じった頭髪は、おでこが広くなった感じもなく豊かで、ほっそりしているが長身のイケメンのおじさまって感じ。
「割と元気そうだな」
社長の最初の感想。
割と、か⋯⋯
何かあって、乗り越えた直後なのかな。
「すまんな、わざわざ来てもらって。
そちらのヒトが、その⋯⋯⋯」
男性の視線が私に向く。
私は、すかさず会釈を返した。
「キミの相談役として連れてきた雨森クンだ」
社長のご紹介に合わせて、もう一度、会釈。
「こんなに若くて綺麗なヒトに来てもらえるなんて嬉しくなっちゃいますね。
この度は、よろしくお願いいたします。雨森さん」
「こちらこそ不束者ですが、よろしくお願いいたします」
と言って、3度目の会釈をして、名刺をお渡しした。
キレいって言ってもらえた。ウレしいよぉ。
チョコっとフィットに通った甲斐があったね。
さて、お家に上がらせていただいて、応接室で美味しいコーヒーとお菓子をいただきながら、お互いの近況などを一通り共有したら、本題のお話が出てきた。
まず、こちらのお相手は、児玉さんという方で、現在は61歳。
お勤め先の会社は、すでに定年を迎えられ、現在は再雇用制度を利用した嘱託職員として、勤務を継続している。
「相談というのは、住宅ローンのことでして」
児玉さんの手には、A4サイズの厚みが5センチほどあるグレー色の書類綴じファイルだった。
「書類は、この通り全部保管してあります」
私は、ファイルを手元に置き、パラパラと中身を確認してみた。
綴じてあるのは、折りたたんだ建築図面、新築当時の工事請負契約書、ガス・水回り設備の仕様書、登記簿、付近の公図、保険や支払い関連の書類、固定資産税の領収証まで、確かに全部がずっしりと収まっていた。
「本当は、専門家に相談しようと思っていたのですが、下村が『社員にFPがいるから』と教えてくれてね」
なるほど。
確かにAFP認定者ではあるが、相談業務の実践経験は全く無いぞ。
これが初仕事になるかな。
社長推薦とあれば、気合を入れねば。
未熟ですが、雨森美咲はイッショ懸命やらせていただきますよ。




