内示
第2会議室は、収容人数が4人とされているが、実際に4人がテーブルを挟んで向き合えば、そこにお茶の給仕を行うための入室が困難になる程度の大きさだ。
ゆえに、この会議室の用途は、1対1の面談を行うことが多く、現に今も、私ともう1人のお方による面談のために使われている。
会議室の使用は、全て事前予約制であり、権限者のみがログインできるグループウェアを通じて、スケジュール登録するルールとなっている。
だが、今回の手続きでは、先立って予約していた方々が、その使用権を譲ってくれる形で、この会議室を使わせていただいている。
先の使用権者たちは、ペコペコと頭を下げながら、快く提供してくれたわけだが、社内でこのような芸当がシレッとできてしまえるような立場と言えば、今の私の面談者が誰なのか想像できるのではないか、と思う。
「入社して何年たったかな?」
問1はそれ。
私は、「4年と8ヶ月です」と答えた。
大学を卒業してからプロパー社員として勤めた期間とイコールだ。
誕生月が10月だから、その時はまだ22歳。
そして現在は、26歳と2ヶ月というのが私の年齢である。
「今日は、何で呼ばれたのか想像できるかな?」
それが問2。
事前に何らかの通知があったわけでなく、いきなりの呼び出しだったので、何もわかるわけがない。
だけど、ノーヒントながら、ここでその思惑をピタリと当てることができたとしたら、そのことが私に対してプラスに働くことは無いように思う。
チコちゃんに「おまえ、つまんねえヤツだな」と言われる展開だ。
つまり、これは私に対するサプライズと解釈するべきだ。
「まったく想像できないです」
と、私が答えると、社長はニンマリと笑顔を見せた。
うっかり社長と紹介してしまったが、私の目の前にいるこのヒトは、私が勤める市村輸送株式会社の代表取締役の市村 清武だ。
年齢は約60歳。
私の父と同じくらい。
創業から50年が経過し、3代目社長に君臨してからの10年間で、本州に二十以上の営業拠点を持ち、年商200億超、保有車両台数は700台、雇用社員数は2000人を超える規模にまで急成長した。
そして、私は本社部門に所属する会社初の女子総合職として雇用されているわけだが、その採用を決定したのが、市村清武社長だ。
「仕事は楽しいかね?」
問3。
これは、正直な気持ちが求められているのか、それとも持ち上げとくべきなのか、回答が難しい。
「正直なところを答えて」
私の気持ちを察したのか、社長のフォローが入った。
「採用、人事、総務課の仕事をさせていただきましたが、それに関わる任務や問題解決にあたるのは好きです。
でも、女子という理由だけでしなきゃいけない仕事があるんです。
例えば、お茶出しとか、炊事とか………
大事な仕事であることはわかっています。
でも、そのために業務スケジュールを調整したり、参加したい講習やアポイントをお断りしたりすることがあって………
そういうのがあると、やっぱりモチベーションが下がってしまいます」
「なるほど」
と、社長は首を大きく縦に振りながら言った。
「女性ならではの不安要素だね。
でもね、今からボクが出す提案でね、そういうのは解決できると思うよ」
社長は、上着の内ポケットから白い封筒を取り出し、中に折りたたんで入っていた紙を広げて、私に向けてテーブルの上に置いた。
見出しが『辞令』とされた文書だった。
さらに、その内容は、
『20XX年1月1日より、未来推進部 未来推進課 課長とする』
だった。
「未来推進………」
私は両手で紙を持って、その言葉をなぞった。
「ちなみに部長はボクね」
社長は得意げに言い放った。
「何をする部署なんですか?」
私が訊ねると、社長からは即座に、「それはキミが決める」と回答があった。
「会社の未来を考えるのが使命だ」
「会社の未来………」
私は、社長の言葉をなぞるくらいしかできなかった。
「キミは、その課長だ。
いくら何でも、課長にお茶出しを命じるヒトはいないだろう。
ボクの感覚だけどね」
「私が課長………」
今の私に役職は付いていない。
同期の男子社員の何人かは係長昇進を達成し、中には副課長まて行ってるヒトはいるけど、そんな出世とは無縁と思われた私がいきなり課長である。
「年度予算は1000万円」
社長は、茫然とする私に対して、追い討ちをかけるように言った。
「それからスタートだ。
もちろん、それにはキミの給料や設備使用費なんかも含まれるからね。
ああ、ボクの部長手当も忘れないでくれよ」
「それは、おいくらですか?」
私は、とっさに訊ねていた。
「毎月10万。ボクの設備使用費は考慮しなくていいよ。
ボクのは管理費用で落ちてるからね。
キミが使用する分だけで良い。
必要なのは、社用車とか、PCとかかな
あと、キミの給料は裏面に載ってるから確認したまえ」
紙を裏返すと『給与辞令』の見出しがついた文書になっていた。
私の給与は………年俸で520万円となっていた。
今より大幅アップなのは良いけど、その分、予算に大きくのしかかってくる。
あと、社会保険料の会社負担分も費用に計上されるので、だいたい600万くらいが私関係の人件費となる。
社長の部長手当が年額120万円。
設備使用費や、ガソリンとかの消耗費が100万程度とすると、残りは180万くらいになる。
とてもスタッフは雇えないので、初年度は私一人で何とかしなければならない。
もちろん課長給料をもらうんだから、それ相応の成果が要求される。
「自分の給料を勝手に下げるのはダメだよ」
と、社長。
「以前に、予算が足りないからって、それをやったヤツがいたけど、業務命令違反で懲戒処分にしたからね。
ズルはダメ」
うっ………
今、私が考えようとしていたことだ………
社長は、お見通しか………
「追加の予算を確保したいなら、ボクに稟議を上げ、決裁を受けるという正攻法で行かなきゃね。
もちろん、ボクが納得できる理由が必要だよ」
「………わかってます」
私は、小さくため息をもらしながら、うなずいた。
「総務課の黒沢課長には、すでにキミのことは伝達済みだ。
今年も残りわずかだが、現状業務の引き継ぎは確実に済ませておくように。
ボクからの話は以上だ。
他に、何か訊いておきたいことはあるかね?」
「私のデスクは、どこに移るのですか?」
私の質問に対して社長は、あごに右手を添えて思案し、こう答えた。
「ボクの近く」
何とも曖昧な答えが返ってきた。
ウチの社長は、『社長室』のような個室に入るのがキラいなので、本社スタッフが集う広い部屋の一画に陣取り、周囲に『圧』をかけながら仕事をされている。
私の今のデスクは、割と社長から遠い位置にあるので、その『圧』とやらは、さほど感じていないが、年明けからは、それに曝されるということだ。
まあ、私の位置に関する具体的な回答は、これ以上は期待できないと思うので、ここは『ボクの近く』という回答でうなずいておこう。
「配置については、ボクから黒沢クンに頼んでおこう」
「ありがとうございます」
私は、ペコリと頭を下げた。
「他には?」
「もう一つあります」
私は呼吸を整えて、社長の顔を正面から見た。
「なぜ私に、この役割を決めたのですか?」
「キミが信頼でき、期待に応えてくれると思った」
あっさりと即答された。
「それが人事を決める基本的な根拠だろ?」
私は何も返せなかった。
社長との面談は、これでおしまい。
新しい部署で何をするのか考えるのは、今のところは後回しにして、残り10日程度で現業務の引き継ぎを済ませなくてはならない。
とりあえず年内は忙しいだろうな。
イッショ懸命やらなきゃね。