妖精の里
結界はまだ壊れていない。だが、モニターの向こうに見える大樹は、すでに葉も茶色く変わり、今にも枯れてしまいそうだ。
現在位置は、里へのトンネルの入り口だ。ダンジョンの領域外では、ダンジョンマスターの力が制限されてしまうため、トンネルが開通するまでここで作業をしていたのだ。
妖精の里までは、20キロメートルほどの距離がある。歩いていけない距離ではないが、今は時間が惜しかった。
名持ちのナイトアントのうちの1体を呼び出し、トンネルの先まで運んでもらうことにする。
「よろしく頼む」
「ギギ」
呼び出されたナイトアントは、こちらの指示に一言だけ鳴いて肯定の意を示すと、体を屈める。背中には、急ごしらえの鞍が取り付けられていた。
「ファムちゃん、力を貸して!」
「里の皆を助けたいんです!」
「ギィ!」
ナイトアントの背中にまたがる。フィーネとリリーネは腰に付けたポーチから顔をのぞかせ、ナイトアントに声援を送っていた。
彼女たちの声援に気合の入った鳴き声で返すと、ナイトアントが立ち上がる。
「さあ、出発だ!」
ナイトアントは力強く、背中の重さなど感じていないかのようにトンネルを駆け抜ける。
長いトンネルにずらりと並ぶアントたちが、次から次へと後ろへ過ぎ去っていく。その様子は、まるで見送りをしてくれているかのように見えた。
ナイトアントの背中は乗り心地がいいとは言えず、振り落とされないようにしがみ付くのがやっとだ。
半時間ほど、その背中にしがみ付いていただろうか。
平坦だったトンネルが急な上り坂に変わる。妖精の里が近いのだ。
上り坂になっても、ナイトアントのスピードは変わらない。その強靭な6本の足で土を蹴り、トンネルの出口へと突き進んでいく。
あと少しで地上に到着するはず――だったが、目の前に現れたのはまるで網のようになって行く手を阻む植物の根だった。
先ほどトンネルが完成した時には、このような障害物はなかったはずなのに、なぜ?
迂回することも考えたが、今はほんの少しの時間すら惜しい。
「仕方ない、このまま強引に――」
「待って! 止まって、ダン!」
「フィーネ!? くっ、止まれ!」
強引に障害物を乗り越えようとした時だった。根を見たフィーネが叫ぶ。
とっさに停止の号令を発すると、ナイトアントはガリガリと地面を削りながら急停止する。遅れて、フィーネたちは行く手を阻む根の近くへと飛び立った。
「これ、大樹様の根っこだと思う」
「大樹の根? どうしてこんなところに……それよりも、早く先に進まないと時間がないぞ!」
どうやら、行く手を阻んでいたのは大樹の根のようだ。
地上で結界を張っていた大樹は、地下ではこうして侵入者を阻むのだろう。
「どうする……迂回するか? だが他の場所も――」
大樹の根は突然通路に現れた。他の迂回路を作ったとしても、同じようにその通路が塞がれてしまう可能性がある。
根がない場所を探そうにも、大樹は妖精の里の中心に生えているのだ。里の地下全域に根を張り巡らせているはずだ。
強引に突破しようにも、傷つけてしまうのはためらわれる。
ダメージを与えてしまって、万が一里の結界が消滅してしまえば終わりだ。妖精の里は、火の海に包まれることになる。
ここまで来て、あと一歩が届かないのか――
諦めに、膝をつきそうになったそのとき、リリーネの声が通路に響いた。
「大樹さま! リリオーネです! 声が聞こえていたら、道を開けてください!」
その小さな体から発せられたとは思えないほど大きな声が、薄暗いトンネル内でこだまする。
「私たち、みんなを助けに来たんだよ! 大樹さま、道を開けて!」
リリーネと共に、フィーネも大樹の根へと呼びかけ始める。
もう迂回路を探している余裕はない。ここを通るしかないのだ。
大樹が意思をもってここを塞いだのならば、根をどけて道を開けることもできるだろう。俺も前へ出ると、2人に並んで大樹の根へと手を伸ばす。
「頼む。ここを通してくれ! これ以上時間がかかれば、間に合わないかもしれない」
「お願いします、大樹さま!」
「大樹さま! お願い!」
呼びかけが届いたのだろうか? 大樹の根が震え、道を開ける。
その先には、外の光が見えた。あの光の先が妖精の里だ。なんとか間に合った。
ここまでくれば、あとは歩いていける。里の妖精たちをパニックに陥らせないためにも、ナイトアントのファムはこの場で待機だ。
「ファムちゃん。ありがとう! おかげで間に合ったよ!」
「ギ、ギィ……」
「はい! 絶対に助けます! だから、ファムさんはここで休んでいてください」
フィーネたちが、ファムへと感謝の言葉を掛ける。
ここまでの道中、全速力で休むことなく走り続けたのだ。体力に自信のあるナイトアントといえども、かろうじて立っているといった様子だった。
「よくここまで運んでくれた。あとはゆっくり休んでくれ」
「ギギ……」
肯定の意を返したナイトアントが、その場に崩れ落ちる。どうやら、疲労が限界を超えて気絶してしまったようだ。
気絶する瞬間。ナイトアントは何かを訴えるようにこちらを見ていた。その視線が意味するものは、何だったのだろうか。
「あと少しで、妖精の里に着くぞ。2人とも、心の準備はいいのか?」
フィーネたちにとっては、追放されてから初めて故郷に戻ることになる。
もしかしたら、不安に思っているかもしれない……。
「うん! 早くみんなを助けに行こう!」
「絶対に、みんなで帰りましょう!」
心配は無用だったようだ。2人の顔に不安など浮かんでいなかった。
「そうだな……よしっ! いくぞ!」
そして、俺たちはトンネルを抜け、妖精の里へと足を踏み入れた。
「着いたよ! ここが妖精の里だよ!」
「みんな! 助けに来ましたよ!」
トンネルの先は、緑に覆われた美しい里であった。
辺りの木々には小さな窓が取り付けられており、その中で妖精たちが暮らしていたということがうかがえる。
木の根元に生えているカラフルなキノコ、そして辺りに咲く色とりどりの花々。
まるで絵本の世界にでも出てくるような、のどかな景色だ。
揺らめく結界の外で怒り狂う巨大な竜と、周囲を包む炎さえなければ――
妖精たちに呼びかけるフィーネたちだが、見慣れぬ人間がいるためか、妖精たちはこちらを遠巻きに眺めるだけだ。中には、不安や恐怖の感情を顔に浮かべている者までいる。
どうしたものかと考えていると、二人の妖精がこちらへ飛んでくるのが見えた。
「止まれー! 止まるであります!」
「とまれー」
やってきたのは、ドングリ製の兜をかぶった生真面目そうな妖精と、こんな状況にもかかわらず、どこか眠たげな桜色の髪の妖精だった。
2人とも、その手には木の枝を削って作ったと思われる槍を握っている。
こちらに槍を突きつける妖精たちだったが、フィーネとリリーネの姿に気づいたようだ。
ドングリ兜の妖精は、フィーネとリリーネの顔を確かめるようにじっと見つめると、やがてぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「フィーネ、リリーネ! 生きていたでありますか!」
「わはー、ぶじでよかったねー」
「うぅ……よかった、よかったであります……どれだけ探しても見つからないから、もう死んだものかと……」
フィーネたちは里から追い出されたと聞いていたが、彼女たちの様子を見る限りでは、問題なさそうだ。
ドングリ兜の妖精は俺の存在を忘れ、わんわんと泣きじゃくっている。
「ふふーん! アタシを誰だと思ってるの!」
「うっかりふぃーねー」
「むむっ、うっかりじゃないよ! しっかりだよ!」
「ふぃ、フィーネちゃん……」
再会を喜ぶ彼女たちだが、今はそんな場合ではない。
助けに来たことを伝えようと、彼女たちの下へ一歩踏み出すと、先ほどまで泣きじゃくっていたドングリ兜の妖精が、警戒をあらわにこちらに槍を突きつける。
「と、とと、止まるであります! き、貴様は何者でありますか!」
「くせものー?」
「俺は――」
「しゃ、しゃべるなであります! え。えーっと……そうだ! おとなしく地面に手をついて、膝をあげるのであります!」
彼女たちの問いに答えようとしたのだが、黙るようにと言われてしまう。
突然現れた人間に混乱しているのか、その言動もどこかおかしい。
「待って! ダンは悪い人じゃないよ!」
「そうです! 皆さんを助けに来たんですよ!」
「ほー」
「むむっ、それなら証拠を出すであります!」
怪しい人間ではないという証拠を出せと言う、ドングリ兜の妖精。
彼女たちの持つ心を読む力で、悪人ではないことを証明しようと思ったのだが、口を開こうとすると涙目で震えながらこちらに槍を向ける。
何もしていないはずなのになぜこうも警戒されるのだろうか。そのあまりの怯えように、悪いことなどしていないのに、罪悪感がこみあげてくる。
さらに、いつの間にか後ろへと回り込んだもう1人の妖精は、どこか楽し気にこちらを槍でつついている。
チクチクとした感触がくすぐったいのでやめて欲しいのだが、口を開くことができないのでそれも言い出せない。
とりあえず、このままでは埒が明かない。
こちらを涙目で見つめるあの妖精には悪いが、少しばかり強引に話をさせてもらおうと口を開こうとしたときだった。
「この里に入るには、大樹さまの許しが必要なはずです! 大樹さまが認め、ダンさんがここにいるということが、悪い人間ではない何よりの証拠です!」
「そうだよ! ダンは悪い人じゃないよ!」
「む、むむ……いや、でもでありますな……」
リリーネの説明を聞いたドングリ兜の妖精は、それでも納得がいかないようで、槍の先をゆらゆらとさせつつ迷っているようだ。
「おー! さすがはしっかりりりーねー」
眠たげな眼の妖精は、感嘆の声と一緒にぱちぱちと拍手を送る。
そして、その眠たげな顔をきりりとした真剣なものに変えると、未だに納得がいかない様子のドングリ兜の妖精へと指示を出した。
「キル! 女王様に報告!」
「え? で、でも……」
「早く!」
「は、はひぃ! 了解であります!」
キルと呼ばれたドングリ兜の妖精は、一目散に飛んでいった。
「ありがとう。えーっと……」
「わたし、ハルオーレ。ハルってよんでいいよ」
「ああ、ハル。さっきは助かったよ。俺はダンだ」
「ダン、どういたしましてー」
ハルと名乗った妖精は、ぽわぽわと微笑む。どうやら、彼女はこちらを怖がっていないようだ。
「いま、キルがじょおーさまをよびにいったから、もうちょっとしたらくるはずー」
「それじゃあ、ここで待たせてもらおうかな」
「うむー」
「あっ、ダン! ちょっとみんなとお話してくるね!」
「あの、それじゃあ私も……ダンさんが怖くないって、皆さんに説明してきますね」
フィーネとリリーネは、どうやら里の妖精たちに無事を伝えに行くようだ。
数か月も戻ってこられなかったのだから、それなりに気になることなどもあるのだろう。
「ああ、よろしく頼むよ」
「うん!」
「分かりました!」
妖精たちの元へと飛んでいくフィーネたちを見送り、近くにあった倒木に腰かける。
誤解は何とか解けそうだが、急いでいるのに余計な時間を使ってしまったのは痛い。
結界は後どれだけ持つだろうか、焦りの気持ちが徐々に膨らんでいく。
「だいじょーぶだよー。たいじゅ、もうちょっとだけ、だいじょうぶ」
「えっ?」
耳元で聞こえた声に振り返ると、ハルがふわふわとした笑みを浮かべている。
あの時、一瞬だけ浮かべた凛とした雰囲気はどこかに消え、また眠たげでとろんとした表情だ。
「あせっても、いいことない。りらっくす、りらっくす」
「……そう、だな」
どこかほんわかとした雰囲気の妖精に諭される。そうだ、焦ったところで何も良くはならない。
むしろ、それが思考を乱してかえって悪い結果を招くだけなのだ。それは今までの戦いでも学んだはずだ。
彼女の言葉が事実ならば、結界が消えるまでにはもう少しだけ時間の余裕があるはずだ。
深呼吸する俺を見て、うんうんと頷いていた彼女は、他の妖精を集めてくると言い残してどこかへ去っていった。
それと入れ違いに、フィーネとリリーネがこちらへと戻ってくる。
「ダンさん。ただいま戻りました」
「ダン! ただいま! ハルちゃんとお話ししてたの?」
「2人ともおかえり。ああ、なんというか、不思議な雰囲気の子だったな」
何というか、超然とした雰囲気を持つ妖精だった。
突然現れた俺にも怯えひとつ見せなかったのだ。肝が据わっているのか、それとも底抜けにのんびり屋なだけだろうか。
「ふふーん! アタシの友達なんだよ!」
「ハルさんは里の皆さんと仲がいいんですけど、結構なぞに包まれているんですよね……」
そんな話をしていると、遠くから猛スピードでやってくる小さな影が視界に映った。





