凱旋
第二章
凡人勇者一行は、魔王が元々いたというダンジョンを訪れていた。
パーティーの中に、エルフの姿は無い。
おどろおどろしさ、禍々しさに満ちた巨大な洞窟を抜け、地底の大空洞にある巨大な城へ。
長大な洞窟は、所々に最近のものと見られる崩落の跡などがあった。
モンスターの姿はまるで見当たらない。
混乱して見回しながら歩を進める魔族の様子が、何よりもわかりやすく異常な状況であることを示している。
「なにー⁉ なにがあったのー⁉」
地底城の外観もまた、激しい攻撃に晒されたような形跡が目立った。
城の回廊に至っても尚、あたりには一体のモンスターの姿も無かった。
がらんとしてひとけの無い食堂で、一同は小休止していた。
不意に食堂の入り口のひとつへイヌ耳を向けたハーフワーウルフがそちらへ視線も飛ばし、周りも追従する。
そこには、ひとりの魔族の女の姿があった。
「姫様……」
苦しそうな、泣きそうな顔で声を漏らした女に対し、
「なんじゃ?」
「はいワン」
人間の少女とハーフワーウルフの少女が自然に応え、呼びかけた魔族は眉を寄せた。
「アタシのことだよー?」
少女たちに同行していた魔族も眉を寄せていた。
* * *
とある地方領主の屋敷の応接間で、とある勇者一行と領主が向き合っていた。
「先日とは違い、こんな高そうなお茶まで出してもらって、心苦しいのじゃ」
「いえいえいえ、滅相もございません。ひめ……勇者様のご活躍は、私めの耳にまで入っておりますゆえ」
つい先日の対面とはまるで立場の入れ替わったふたりを、今は素顔を晒しているクレスがおもしろそうに見ている。
勇者パーティーの一員として神聖都市を魔王から守った魔族の存在は、瞬く間に世間に知れ渡った。そのため、連れといるぶんには、クレスは行動に困らなくなった。
一般人が思い描く構図の上では、ミコトはそのパーティーを率いる勇者である。近場の町を含め、英雄の凱旋のような形となってしまった。
クレスはミコトが英雄扱いされるのがうれしく、ルルナは人間たちの姿を少し冷ややかに見ていた。
高価そうなお茶の入った高級そうなティーカップは、シュロより少し大きいぐらいのアルマの前にまで置かれている。
「それで、わらわの使い魔からの伝言なのじゃ」
「使い魔から?」
まるで理解できない顔をした中年男に、ミコトは真顔で頷く。
「少し前まで神聖騎士団の団長をしておった、クナイトという男じゃ」
領主は目を剥いた。
「神聖都市に個人的な見返りを期待した貴殿の発言に話を合わせたが、そもそも神聖都市を陥落させるつもりだった自分個人としてのやりとりだった。ただし、発言上、嘘は一切ついていないので、取引としては問題無いはずだ。……あとは、神聖都市と神聖騎士団は、基本的にそういった袖の下の類は通用しない、といったところじゃったかな」
確認を求めるようにミコトに見られ、ルルナとシュロは首肯した。
呆然自失の領主を置いて部屋を出る際、ミコトは思い出したように付け足す。
「あと、光の大神官様がおっしゃっていたのじゃが、わらわの故郷である、このあたりの地方の民に何か困ったことがあれば、神聖都市と神聖騎士団は助力を惜しまないとのことじゃ」
領主に変化は無かった。
屋敷を後にし、ルルナはうっすらと軽蔑を表情に浮かべていた。
「あそこまで自分の利益にしか興味がないのは、いっそ清々しいかもね」
最後のミコトの言葉に反応が無かったことに対してである。
ミコトは字義通りに朗報として伝えたのだが、本人は、領民に下手なことをすれば自分が処罰されるといった念押しなどとさえ受け取ったかもしれない。
「あの人、伝言が、すごくショックだったワン?」
「わらわが伝説級アイテムを譲ったときの対価は、村の土地と現金。適正かどうかはともかく、あの男にしては随分気前がよいとは思ったのじゃが、クナイトが来ることを踏まえ、手土産としてどうしても欲しかったのじゃろうな。それで思い切って上乗せしたのじゃろう」
クレスとオウカはふむふむと頷き、ルルナは呆れ、シュロは微笑んでいる。
「それに対して、クナイトは格安の現金で買い上げたそうなのじゃ。どういうやりとりをしたのかはわからぬが、神聖騎士団団長のおぼえがよくなれば、神聖都市といい関係を築けると考えたのじゃろうな。先を見据えた投資として格安にした結果、わらわたちが受け取った現金以下だったということで、現金だけでも損の、土地まで加えると大損もいいところじゃからの。そりゃあ、ちょっと絶望もするじゃろう」
「きれいすぎる因果応報で、いい気味ね」
少しだけ同情するようなクレスとオウカに対し、ルルナは少し機嫌がよくなった。
「まあ、自分たちのとこの神官から内通者は出すわ、騎士団長だった本人がアレだわ、袖の下が通用しないっていうのもどうかと思うけどね」
「少なくとも、領主の今後に対する牽制として働けば、じゅうぶんじゃないかしら」
お姉さんの発言にエルフは「まあね」と応じて肩を竦めた。
ミコトの村に着いたクレスは少し驚いた。
「なんか、きれいになってるー?」
それぞれの家の作りが直され、各々、ちょっとした装飾などを施している。
当初はミコトも目を見開いたものの、すぐに何事かを察した顔になっていた。
勇者一行に気づいた村人たちが周りに声をかけ、笑顔で集まってくる。
「勇者様、おかえりー‼」「姫様、ご無事で何より~‼」
本人が一般人と知らされた後も、十年以上熟成された、村人たちによる「姫様」呼びは直らなかった。嫌がらせではなく、好意的なものである。
結果、「勇者様」呼びが加わるだけらしい。
「神聖都市の光の大神官様からいただいた謝礼と、それで買ってきたお土産があるのじゃ。みんな、急ですまぬが、今夜は宴会といきたいのじゃが、手分けして調理してもらえるかの?」
「さすがは姫様‼」
村人たちは、歓喜に沸いた。
ミコトは実家で料理を手伝っていた。
クレスは広場への会場づくりの力仕事に駆り出され、シュロは高齢者の家へ調理の手伝いに出向き、ルルナとオウカはハーブやキノコを探しに散策に出ている。
「ところで父上、村が綺麗になっているようなのじゃが?」
「みんな、あの領主に余裕があると思われないようにしてたからね。気兼ねなく修繕とかができるようになって、喜んでるよ」
「やはりの」
思った通りの理由に少女は微笑んだ。
余裕があると思われれば、増税などをされかねなかった。そういった心配もいらなくなり、納税の必要もなくなった。皆、少しは生活にゆとりができるはずだ。
「わらわがいなくなると、あの領主が約束を破ったりするのが心配じゃったが、今回の件で、それも無くなりそうだしの」
煮物の火加減を見ながら、父親は娘に問う。
「まだ、冒険は続けるのかい? 神聖都市を救ったなんて、一生に一度でも、そんな実績があったら、凡人にはじゅうぶんすぎる成果だと思うけど」
親としては、当然手順を踏んで危険に挑むと思っていた。本人もだろうが、まさか、いきなり魔王クラスと戦うことになるなんて想定していなかった。やはり冒険しないことが一番安全なのだ。
野菜を剥きながら、ミコトはつらい顔になる。
「心配はわかるし、ありがたいのじゃ。言ってることも、その通りなのじゃ。わらわは、登録上は勇者であることがわかって、自分でも何かできることがあるかもしれないと思って、ぼんやりとした理由で冒険に出たのはたしかなのじゃ」
両親も調理作業にかかったまま、お互いに視線は合わせない。
「わかったのは、自分には何も無いということじゃった。心強い仲間に恵まれ、みんなそれぞれに特技があって、でもわらわは、戦力にはなれなかった。自分は凡人だと心底痛感したのじゃ」
それはとても悔しくて、目じりに涙が浮かぶ。
「でも、同時にわかったことがあるのじゃ。能力が無いことは、何もできないこととは別なのじゃ。何本もの聖剣を持ち、ひとりで簡単に魔王も倒せそうな勇者に言われ、実際に経験もした。どんなにすごい人でも、ひとりでできることには限界がある。手が届く範囲には限界がある。だから、わらわにも、できることがあるのじゃ。わらわがやることは、見方を変えれば、すべてわらわにしかできないことなのじゃ。『神聖都市を救った勇者』という肩書は、たぶん、わらわにとっては武器になる」
両親は、娘の成長が嬉しくて、危険な旅を止めることができないことが哀しくて、泣きそうになっていた。
凡人の少女は、照れ臭そうに笑い、それでも申し訳なさから、親を見ることはしない。
「こんなわらわでも、勇者ではなくなったとしてもついて来てくれるという、身に余る仲間たちができたのじゃ。父上と母上、それに村のみんなを置いて出ていくのは申し訳ないのじゃが、わらわに救える人が、まだいるかもしれぬ。だから」
ついに決意を伝えるべく顔を向けたミコトの視線の先、父は滂沱と涙を流し、言葉を発することができなくなっていた。
母も泣きながら、笑顔で言う。
「いいのよ。この村だって、もうあなたに救われたわ。だったら、勇者は次の人たちを救いに行かないと」
作業がひと段落したシュロがミコトたちの家の前へやってくると、籠いっぱいのハーブとキノコを抱えたルルナとオウカが佇んでいた。
ルルナは考えに耽るような顔で、オウカは泣きそうだった。
シュロはいつものごとくやさしい微笑みを浮かべて、聴覚に優れたふたりに倣って立ち止まる。
「みんなー、どうしたのー?」
やって来たクレスは、何も考えることなく、家の中へ入っていく。
「ミコトー、次はー?ってー、どうしたのー⁉ 三人とも泣いてるのー⁉」
エルフは溜息をついて肩を落とし、シュロはオウカと顔を合わせて苦笑した。




