オートマタ死す
光の柱は、天空を突く程高く、横は一度に視界に収められない程長い。
アドニスは周囲を見回した。さっきまでいた、あの冥獣の姿はどこにもない。
「幻覚、というやつか…… ?」
だが、意識はハッキリしている。それに、腕の中には、憔悴しきったリゼの重みが。
「ここに留まっていたら、また冥獣が現れるかもしれない。それに、もしかしたら……」
迷っていても仕方がない。アドニスはリゼを背負うと、光に向かって進み始めた。
視界がどんどん光で埋めつくされていく。そして、彼はついに光の柱を潜った。
「これは……」
こんな事があり得るのだろうか。
視線の先には、見上げる程の高い壁がそそり立っていた。灰色のそれは、大きな損傷もなく、整備が行き届いているのがわかる。
徐々に目が慣れてくると、さらに不可思議な光景を見つけた。
「あれは一体どういう原理なんだ?」
高い壁に囲まれた大地のその上。そこには、一回り小さな円形の大地が存在していた。
さらにその上にも数十メートルの間隔で二つ大地があり、円錐のように、上へ行くほどその面積は小さくなっている。自分の立つ地上を含めると、計四層。驚くことに、各層には支柱のようなものはなく、完全に独立して浮いているようだ。その空中には、竜が羽ばたき、見たことのない楕円形の巨大な生物が浮かんでいる。
そして、ここから見ると最早手のひらサイズの最上層。そこからは白い光が天高く立ち昇っていた。
「冥霧に呑まれてない…… 本当にこんな所があったのか……」
緑色の草原、青く澄み切った空。アネモネは正しかったのだ。
アドニスはリゼを見た。
「リゼ、お前は生きられる。後少しだけ我慢していろ」
リゼは小さく頷いた。
「人間は中にいるのかーー」
「貴様! 何者だ!」
アドニスの声は、突如として聞こえてきた怒号にかき消された。一瞬、声の発生源が分からず、辺りを見渡す。が、すぐにわかった。
壁の上部に空いた、横に伸びる小さな隙間。そこから弓矢のような物の先端が、ギラリと光を反射していた。それも、一つだけじゃない。
「なんだお前は?」
「貴様に質問する権利などない! 次こちらの意に反する行動をすれば、即刻射殺する! 今すぐに手を挙げろ!」
相手の戦力は不明。どうやら、指示に従った方が良さそうだ。
アドニスは空いている手を上に挙げた。
「おい見ろよ! 奴の右腕、真っ黒だぞ!」
「それどころか、身体中血みどろじゃないか!」
「あ、あれではまるで冥獣だ!」
壁の内側が、にわかに騒然とし出す。
まずいことになった。
「待て、これは違う。俺は冥獣じゃーー」
「しゃっ、射殺しろぉぉ!」
誰かが悲鳴の如く叫んだ。
話し合いの余地はないようだ。こうなれば、一旦全員を無力化させるしかない。その上で話を聞いてもらおう。
「なるほど、君が侵入者だったのか」
耳元で声。アドニスは咄嗟に横に飛んだ。
「ごめんごめん。驚かせちゃったかな?」
今までアドニスがいた位置のすぐ真横。そこに金髪の青年が立っていたのだ。
「こいつ、いつの間に……」
「やあ、こんにちは。僕はアルカ。アルカ・イーオス。君の名前は?」
アルカと名乗る青年は、フランクな口調で自己紹介をする。全体的に温和な印象を与える顔立ち。しかし、笑みを含んだその目は、少々胡散臭さを放っていた。白を基調とした、格式高そうな服装をしているが、位の高い人間なのだろうか。
今の所、村で散々見てきた、露骨な敵意は感じられない。
「…… アドニス・アゴニアだ」
「ふーん、アドニスねぇ」
アルカは意味深な視線を注いでくる。
「あ、アルカ隊長! そいつは冥獣です! 早く殺さないと!」
壁の方から、かしこまった声が催促する。
「ああ言ってるけど。本当?」
「違う、俺は冥獣じゃない」
「だよねぇ。どう見ても人間だ。ウチの部下が失礼なこと言っちゃって、ごめんね。それより、その脚かなり酷い怪我みたいだけど、大丈夫?」
そういえば、魔王に切られた脚がそのままになっていたのを思い出す。
「これは……」
アドニスは返答に窮した。
自分は人間ではない。村ではいつもそう言ってきたのに。何かが喉の奥を塞ぎ、その言葉をせき止めてしまった。
「君が知ってる事を洗いざらい教えてくれたら、君も、その子も助けてあげるよ」
突然のアルカからの提案。
「僕、こう見えて結構顔が利くんだよね。ほら、僕ってめちゃくちゃイケメンでしょ? 媚びを売っておくなら今の内だよ」
そう言いながら、アルカは頻りに意味不明なポーズを取る。よく分からないが、助けてくれるのなら、それに甘えた方が良い。
「本当に助けてくれるのか?」
「もちろん。僕は絶対約束を破らない」
なぜかアルカは「僕は」の部分をやけに強調した。
「わかった。それならーー」
「その小童が侵入者か?」
先程とはまた別の声。痰が絡んだような、ガラガラとしたその声には、割合に力強い響きがあった。
壁の向こうにある小さな鉄扉。そこから現れたのは、背の高い老人だ。
「うっわ、これまた面倒な人が来ちゃったね」
アルカは苦い顔でそう耳打ちすると、アドニスと老人の間に割って入る。そして、大げさなくらい深く頭を下げた。
「これはこれは、ネレウス総帥。常は、上層で日向ぼっこという大役に忙殺されてるというのに、今日はどうしてまたこんな所へ? ここでのお昼寝はあまりお勧めしませんよ」
「毎度のことながら、貴君は不敬千万な奴だ。元より、我々の使命は国の平和を恒久的に保つ事。層の違いは関係ない」
ネレウスはアルカの言葉を軽くあしらうと、ゆっくりとこちらに進んでくる。
白くなってはいるが、まだツヤのある長い髪。身長は高く、腰が曲がっていなければ、二メートル以上はあるのではないか。ただ者ではない。
「何をしている。そこを退け」
「侵入者の対処は、僕にお任せください。僕が先に駆けつけた訳ですし、横取りは困りますよ」
「騎士団の最終的な決定権はわしにある。それとも、貴君は侵入者に与し、謀反でも起こす魂胆か?」
アルカはしばらく動かずにいたが、降参したように横に数歩ずれた。
その奥から、深いシワの中に埋もれた、竜のように鋭い目がこちらをジロリと睨む。片目には黒い眼帯が付けてあった。
「なるほど…… 奇しくも、そのような容貌で…… 神もふざけた真似をする」
「ん、何の話だ?」
ネレウスは答えない。こちらを睨んだまま、ピクリとも動かない。
「貴様、他に仲間は?」
「いない。俺たち二人だけだ」
「そうか」
ネレウスはまた動きを止める。何度も何度も、喋る体力もないのだろうか。
いや、変だ。
彼は右手に、あんな槍のような得物を持っていただろうか。全体が赤い鉱石のような物でできている、目立つ得物を。
直後、それが消えた。
「なにっ」
頭では処理の追いつかない速度。しかし、アドニスの本能は危機を察知し、反射的に腕を動かした。
「くっ…… !」
「ほう、今のを受け止めるか」
得物の先端が、目と鼻の先にある。
アドニスはどうにか右手で、それの侵攻を食い止めていた。だが、少しでも気を緩めれば、それは彼の胸を貫くだろう。枯れ果てたような老体からは、想像もつかない腕力だ。
「なんだこれは…… まさか灯晶術…… ?」
「ちょっと、ネレウス総帥! まだ彼は他にも情報を持っているかもしれないんですよ!? いくらなんでも今殺すのは早計ですって!」
大声でアルカが咎めるが、ネレウスは全く聞く耳を持たない。
「だが、所詮はその程度だ」
あり得ない。いきなり武器を押し込む力が、爆発的に増した。この攻撃を避けることはできない。アドニスは瞬時に悟った。
彼はわざと姿勢を後ろに逸らす。直後、彼の首辺りを、鋭い一突きが貫いた。
「火種は早々に踏み潰さねば」
消えゆく意識の中、腕の中にいたリゼには攻撃が及んでないことを確認する。アドニスは最後の気力を振り絞り、アルカを見やった。
「リゼを…… 頼む……」
アドニスの視界から光が失われる。彼の首は宙をまった。