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冥霧

 開口一番、少女は妙なことを言う。


「ママがどうした?」


 聞いてみたが、少女は答える様子もない。ただ、あまり光の無い金色の瞳で、こちらをじっと見つめるばかり。

 

「知らない顔だな。お前、どこの家の人間だ?」


 この村の人口は百人程度。互いが一人一人の顔を熟知している。

 だが、この少女は一度も見たことがない。それに、普通なら冥霧にもアドニスにも近寄るべからず、と親にしつけられているはずだが。見たところ、彼女はまだ十にも満たないようだ。

 身長は座った彼と同じくらい。所々に傷のついた黒いワンピース。右の横髪は赤い紐で束ねられている。そして、なぜか前髪が二箇所、思い切り反り返っている。


「なぜ答えない」


 まさか、言葉が通じていないのだろうか。


「とりあえず、そこから離れろ。お前のような子ども、冥霧に入ったら数秒で死ぬ」


 こちらは案外素直に聞き入れてくれ、少女は両足で跳ねるようにして、アドニスの方へ近寄った。


「そしたら、さっさと自分の家に戻れ。アドニスには近寄るなと教えられているだろ」

「ママ…… アドニス…… ?」


 また意味のわからないことを。放っておこうか。だが、少女がここに長居をして、それを他の誰かに見られたら大変だ。咎められるのは、間違いなく自分だからだ。

 アドニスは静かに立ち上がる。


「お前がここにいることは、俺にとって不利益になる。家に連れて行ってやるから、どこから来たか教えろ」


 少女は一瞬首を傾げた後、なぜか冥霧の方を向く。そして、あろうことか、まさにそちらに向けて指を指したのだ。


「冗談か? 俺はそういう面白さとかはわからない」


 しかし、少女は一向に指を下ろす気配がない。

 どうするべきか考えあぐねていると、ふと少女の異変に気がついた。


「翼…… ?」


 間違いない。少女の背中には、右側にだけ小さな翼が生えているのだ。しかも、それはぴょこぴょこと動いているではないか。

 アドニスは試しにその翼を引っ張ってみた。だが、全く抜けない。


「痛い」

「本当に生えてる。お前何者だ?」


 そう尋ねると、突然少女はこちらに振り向いた。しかし、その目はアドニスではなく、その奥を見ているようだ。


「ウルカヌ」


 少女が口にした言葉に、アドニスはしばらく理解が追いつかなかった。


「今なんてーー」


 と、にわかに村の中心部が騒がしくなってきた。

 騒ぎは徐々に大きくなっていき、人々が驚く声と共に、ただならぬ悲鳴までが聞こえてくる。それらの内の一際大きな声が、アドニスの耳に届いた。


「あれって、ウルカヌ!?」

「おいおい! 生きてたのかよ!?」


 今、確かにウルカヌと言っていた。


「親父が生きてた?」


 アドニスは少女のことも忘れ、騒ぎの方に向かった。

 村の中心部、広場の方ではかなりの人だかりができていた。村のほぼ全員が集まっているのではないか。そんな彼らの視線の先。人だかりから外れて、ぽつりと立ち尽くす者がいた。

 歳の割に、筋骨のたくましい身体。長く癖のある赤毛。生まれつき片足が悪いために、独特な歩き方。全てが記憶に残るウルカヌの像と一致していた。

 

「親父」


 だが、なぜだろう。あれをどうしても父として認識できない自分がいた。

 生気のない顔。その半分には黒い結晶が、肩までびっしり生えていた。冥獣と同じ症状だ。普通の人間なら死んでいてもおかしくない状態。

 それだけではない。もっと別の何かが、本当のウルカヌとは違っているような気がした。


「アドニス!」


 声の方を向くと、すぐ近くにアネモネがいた。


「アネモネ。本当に親父がーー」

「何かおかしいよ! 確かにあれはウルカヌさんなんだけど、何か違うというか……」


 言葉で表せないが、アネモネも何か異変を感じているらしい。

 そうこうしている内に、ウルカヌの前に一人の男が進み出た。村長だ。


「止まるんだ、ウルカヌ! その結晶、冥獣のものだろう! その姿で歩き回られては困る! まずはフォーチュナーさんの所で見てもおう! いいな?」


 少々及び腰になりながらも、懸命にウルカヌの説得を試みる村長。これでとりあえず一段落つくだろう。

 しかし、事はそう簡単に運ばなかった。ウルカヌがこちらに向け前進を始めたのだ。


「おい! 止まれと言っているのがわからんのか!」


 村長の叫び声に、周囲が再び大きくざわめき出す。


「アドニス! 止めに行かないと!」


 初めて見るアネモネの切羽詰まった表情。

 このまま見過ごしてはいけない。アドニスは頷くと、夢中で人混みの中に突っ込んでいった。


「どけ、道を開けろ」


 人混みをかき分け、奥へ奥へと進む。だが、時折後退してくる人に揉みくちゃにされ、簡単には前に進めない。


「ウルカヌ! どこへ行く気だ!」


 前方から村長の声。

 しかし、前の人たちが邪魔で、何が起きているかは確認できない。


「お、おい! そ、それ以上動けば、命の保証はできないぞ!」


 物々しい言動から、事態が悪化していることだけがわかる。

 その時、人混みの終わりが見えた。アドニスは手荒に人々を押し退け、一気に前へと進む。視界が開けた。


「親父」

 

 数メートル先で、ウルカヌは既に立ち止まっていた。槍を構えた数人の男たちに取り囲れている。そして、彼の目の前には、三つ足の鉄製の器に乗った、大きな白い鉱石が。

 灯晶塊(とうしょうかい)。一定範囲における冥霧の侵入を防いでくれる、神秘的な力を持つ石だ。村では御神体の如く丁重に扱われ、月に一度村の者総出でそれを拝むこともある。

 

「灯晶塊…… 何をするつもりだ?」


 嫌な予感がした、その時だった。

 ウルカヌの顔がこちらに向いた。死人のように|虚な視線が交わる。予期せず果たした四年ぶりの再会。何を言えばいいのか。


「悪いな…… 全部嘘だ……」


 ウルカヌは掠れた声で言う。


「なに?」

「お前はただ突き進め…… もう決して立ち止まるな…… 後は頼んだ……」


 聞き返す暇もない。

 ウルカヌは前に向き直るや否や、灯晶塊に手を伸ばした。


「待て、親父ーー」

「貴様! それに触れるな!」


 村長の怒号の後、数本の槍が一斉にウルカヌを狙う。

 沈黙が訪れた。誰も彼もが言葉を失った。場違いに心地よい微風によって、動かなくなった彼の赤毛がそよぐ。そんな無音の中、薄氷にヒビが入るような、微かな音が耳を掠めた。


「なんだ?」


 音は次第に大きくなっていき、ついには周囲に響き渡るほどに。

 そして、皆がようやく気づいた。灯晶塊に大きな裂け目ができていたのだ。そして、次の瞬間。


「そんなバカな…… 灯晶塊が!」


 村長が叫ぶ。


「砕けた……」


 巨大な塊は粉々に砕け散り、地面にこぼれ落ちていく。これまで傷一つ付かなかった灯晶塊が。


「大変だ! 冥霧が! 冥霧がこっちに迫って来てるぞ!」


 誰かが発した言葉に釣られて、アドニスも村の外を見る。

 その光景はまさに絶望だった。

 百年以上の間、灯晶塊の力によって、見えない壁に阻まれていたはずの冥霧。それが今、境界線を越え、こちら側に侵入してきていたのだ。

 死を想起させる黒が、次々と家屋を呑み込んでいく。その中から響いてくる、おどろおどろしい獣の唸りや咆哮。


「そんな…… 灯晶の御加護が…… 俺たちは見放されたのか…… ?」

「に、逃げろ!」

「逃げるって、どこに! ここは冥霧に囲まれてるんだぞ!」

 

 慌てふためく者、その場に倒れ込み泣き叫ぶ者。

 おそらく数十秒後には、ここも冥霧に飲まれるだろう。そんな中、アドニスは一人その場に立ち尽くしていた。

 父が目の前で死に、彼の為に故郷が滅びようとしている。村の全員が死ぬ。それなのに、何の感慨も湧かない。無表情のまま。ただ、それらを少しの色付けもない、単なる事実として認知するだけ。人間の反応とかけ離れている。


「俺は何をすればいい……」


 単純にアドニスは混乱していたのだ。彼にはこの事態を悲嘆することも、また、食い止めることもできない。なぜなら、彼には感情がないのだ。


「そうだ、アネモネ……」


 アネモネに会って、何かが変わるわけではない。それでも、彼女なら何か助言をしてくれる気がした。

 それで、辺りを見回していると、膝を突きうなだれている村長が目に入る。


 今はあんな人間より、アネモネを探してーー


『まずは村長と仲良くなること』


 不意にアネモネの言葉が蘇った。

 

「おい、村長」


 村長が青ざめた顔を上げる。目が合うなり、彼の顔は激しい怒りによって歪んだが、すぐに死人のように萎れていった。


「消えてくれ……」

「お前の役に立つことをしてやる」

「そう思うなら、わしの前から消えてくれ……」

「そうすれば、俺と仲良くする気になるのか?」


 村長は力なく笑う。


「だから、貴様は化け物なんだよ」


 直後、村長の後方から冥霧が押し寄せ、彼の身体を呑み込んでいった。

 

「どういう意味だ?」


 気がつけば、アドニスの視界は一面黒に染まっていた。冥霧は既に村全体に及んだらしい。さっきまで盛んに聞こえていた、人々の生へ縋りつく叫びは、今や全て苦痛に満ちた悍ましい呻きに変わってしまった。

 皆死ぬのだ。アネモネも。もう彼女声を聞くことも、あの笑顔を見ることも叶わなくなる。


「きゃぁぁぁ!」


 突如遠くから聞こえてくる悲鳴。アドニスは辺りを見回す。


「今のは、アネモネ…… ?」

「やめて! 離して!」


 また聞こえた。間違いない、アネモネの声だ。

 思考より先に足が動く。数メートル先しか見通せない中、アドニスは声の方へと急いだ。

 限られた視界に常に映るのは、死体、死体。ほんのついさっきまで生きていた人たちだ。


「アネモネ、どこだ?」

「アドニス…… ! 助けて…… !」


 先程よりもか細い声。

 だが、声はもうすぐそこだ。


「今行く」


 声の方に突き進んでいき、ようやく見つけた。大きな人型の何かに、首根を掴まれているアネモネを。



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