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ママと呼ばれた日

「貴様は何度言ったらわかるのだ!」


 しゃがれた怒声と共に、目の前の椅子に座る白髪の老人が、力任せにテーブルを叩く。シワシワの弛んだ頬は、茹で上がったように真っ赤だ。


「村長であるわしの許可無しに、冥霧(めいむ)の中に入るなと言っているだろう!」

「世界に光を取り戻すためだ。大目に見ろ」


 村長に相対する赤い短髪の青年ーー アドニス・アゴニアは少しも悪びれる様子もない。その身長の高さに加え、ピクリとも動かないその表情も相まって、威圧感が強い。

 そんな彼の不遜な態度に、村長の顔がますます歪んでいく。


「またそれか! 父親と同じで、英雄の真似事を! 儂の権限があれば、いつでも貴様を村から追放できるのだぞ! わかっているのか!」

「だから、ああして食料を持ってきた」


 アドニスは親指で後ろを指し示す。


「資材ならまだしも、冥獣(めいじゅう)の肉だと!? 汚らわしい! 誰があんな物食うものか!」

「食わないのか?」

「当然だ! わしらはそこまで落ちぶれてはおらん! お前のような化け物にはわからないだろうがな!」


 村長の視線が、アドニスの右手の甲へと注がれる。そこには、羽ばたく蝶を精巧に象った、黒い紋様が刻まれていた。いつこれが刻まれたかは知らない。わかっているのは、これが不幸の象徴だということ。そして、何をしようが消えないことだ。

「そうか」と彼は回れ右をする。


「おい、どこへ行く!」

「食わないのなら、元の場所に捨ててくる」

「え、いや…… ちょっと待て!」

「なんだ?」

「その、肉はもらっておく…… 念のためにな……」


 聞き取り辛い声。すっかり冷や水を浴びせられたような村長の顔を見届け、アドニスは部屋を出ようとする。

 と、その時、不意に蝶の紋様が妖しく光った。直後、急に足元の感覚が消える。


「なっ」


 なすすべもない。床がみるみる目の前に迫る。

 そのままアドニスは、派手な音を立てて床に倒れ込んだ。顔を持ち上げると、額をぶつけた床板の一部が凹んでいた。だが、彼自身にはかすり傷一つない。

 どうやら床が抜け落ちたようだ。


「この程度他愛もない」


 言葉通り軽やかに起き上がると、今度こそ外へ向かう。


「貴様がここに居れる理由は、灯晶(とうしょう)の加護があるからだ。それをゆめゆめ忘れるなよ、不幸な化け物」

「ああ」


 外に出ると、すぐ近くの通りで、数人の男たちが丸くなって何か話し合っていた。皆半裸で、その体は細く薄汚い。村の男たちは、村長を除き皆こういう格好なのだ。

 その人垣の隙間から見えたのは、四、五メートルはある獣。既に絶命していて、動く気配はない。


「いいか、結晶化した部分は素手で触れるな。俺たちもこれと同じようになるかもしれん。それと、外皮から近い肉は必ず廃棄しろ」

「ちょっとくらい大丈夫じゃないですか? ただでさえ、最近は食料不足が続いてるんですし」

「これは村の掟だ。それとも、お前もこんな醜い姿になりたいのか?」


 男が説明を終えると、皆が一斉に作業を始める。

 その際、獣の全身が見えた。猪のようなそれの頭部の右半分。そこを覆い尽くしていたのは、びっしりと生えた黒い結晶だ。

 と、男の内の何人かが、アドニスに気づく。彼らの目は一様に、こちらを煙たがるように細められていった。


「誰が狩ってきたと思ってる」


 一人呟くと、アドニスは平然とした様子でその場を離れた。

 道の途中、ふと足下に何かが転がってきた。動物の革でできた小さな球体だ。


「なんだこれはーー」

「そ、それ私の……」

 

 球体を拾い上げた矢先、近くから少女の声が聞こえてきた。顔を向けると、簡易的な柵の向こう側。そこに、これまた貧相な身なりをした四、五歳くらいの少女が、おずおずとした様子でこちらを見ている。


「こら、シンシア! 何やってるの!」


 怒鳴り声を上げて、側の家から駆けて来たのは、おそらく少女の母親。彼女は警戒するようにこちらを睨む。


「あ、ママ…… ボールが……」

「そんなのはいいから、こっちに来なさい!」


 有無を言わさず母親は少女の手を掴むと、引きずるようにして少女を家の中へと連れていった。バタンと、ボロボロのドアが勢いよく閉まる。


「前にも言ったでしょ!? あれには近づくなって!」

「だってボールが、あっち行っちゃったから…… !」

「あれは人とは違うの! 何をするかわからないの! ママはね、シンシアに怪我をして欲しくないの! あれには絶対近づかないで!」


 劣化の激しい家からダダ漏れになった親子の言い合いを聞いてから、アドニスは再び歩き始めた。ボールは柵の中へ投げ捨てて置いた。

 少し歩くと、彼のお気に入りの場所が見えてくる。

 村の端に生える一本の木。ここにはほとんど人が寄り付かないので、静かに過ごせるのだ。前は彼にも家があったが、最近追い出されてしまった。だから、ここがその代わりのようなものだ。

 だが、今回は先客がいた。


「あ、アドニス!」

 

 木の下から朗らかな声を上げ、こちらに手を振ってくる少女。それに合わせて、金色の長い髪の先が揺らめく。アネモネ・フォーチュナーだ。

 引き返そうか迷ったが、結局彼女の横まで進む。


「なんだ、アネモネ。また来たのか」

「なんだとはなんだ! せっかく来てあげたのに!」

「誰も頼んでない」

 

 不服そうに頬を膨らませるアネモネを尻目に、アドニスは彼女から離れた位置に腰を下ろした。彼女の方は見ないようにする。


「また今日も村長と喧嘩してたでしょ? ウルカヌさんの真似して、勝手に冥霧に入って」


 アネモネが切り出す。まだ少しぶっきらぼうな声で。


「なぜわかる?」

「大っきい冥獣が村の真ん中に倒れてたから。あれを狩れるのは、今はアドニスだけだし。今日は久しぶりのごちそうだって、みんな言ってた」

「そうか」

「もう、毎日毎日掟を破って。村長がウザいのはわかるけど、あいつに嫌われてたら、いつまで経ってもみんなと友達になれないよ?」

「構わん。友達なるものを作っても、俺に利益がない」


 自分に利益があるかどうか。これこそがアドニスの行動原理だ。自分に利益がないとわかれば、梃子でも動かない。この性質が、村の人間に疎まれる原因でもある。

 暫しの静寂が訪れる。いつもは煩いはずのアネモネだが、今日は珍しい。そう思っていると、突如彼の視界に二つの赤い球が現れた。それが彼女の瞳だと、遅れて気づく。


「友達、作らなきゃだめ」

「いや、だがーー」

「言い訳禁止。人は一人じゃ生きていけないんだよ?」

「俺は化け物だ。一人でも生きていける」

「またそういうこと言う。本当、頑固者なんだから」


 アネモネは小さくため息を吐いた。


「ウルカヌさんが帰って来た時に、安心させてあげないとでしょ?」


 ウルカヌとは、アドニスの父であり、またアドニスを"作った"人間でもある。


「冥霧の中に消えてから、もう四年だ。いくら親父でもとっくに死んでる」


 アドニスは、すぐ目の前に立ち塞がる暗闇へと目を転じた。

 天空まで立ち昇る黒い霧。人はそれを冥霧と呼ぶ。この村は直径百メートル程の小さな円形をしているのだが、その先は延々とこの冥霧に侵されている。

 村に当時の記録があまり残っていないため、この霧の詳細はわからない。ただ、百年以上前に、魔王ハオスが放った瘴気だという事だけが言い伝えられている。

 そして、常人が冥霧の中に入れば、数分の内に自我を失い、やがて先程の冥獣と同じ道を辿る。もしくは、その前に冥獣の胃の中に収まるか。どの道、人が生きていける環境ではない。

 そんな場所に、四年前ウルカヌは消えてしまった。村では既に死人扱いだ。


「ウルカヌさんは生きてるよ」


 また始まった。


「嘘はいい。俺はお前らと違って、何も感じない」

「嘘じゃないよ」


 アネモネが真っ直ぐこちらを見据える。


「時々ウルカヌさんの感情みたいなのを感じる。ウルカヌさんだけじゃない。他にも、顔も知らない人たちの気持ちが、時々伝わってくるの。冥霧に呑まれてない場所は、ここだけじゃない。きっと、そこでウルカヌさんは生きてるんだよ」


 何の根拠もないではないか。だが、不思議とその熱弁には、他人を頷かせるような説得力があった。アネモネの曇りのない瞳がそうさせるのだろうか。

 アドニスは再び目を逸らす。


「勝手に言ってろ」

「むぅ。ウルカヌさんが戻って来たら、ちゃんと謝ってもらうからね」

 

 ぶつくさ言いながら、アネモネは元いた位置に戻っていった。

 それからまた、沈黙が訪れる。聞こえてくるのは、穏やかな風の音と、遠くで作業をする村人の声だけ。

 そんな中、ふとある疑問が浮かんだ。


「どうして俺に付きまとう? お前に何か利益があるのか?」

「その質問、前にもしなかった?」

「その時は、『秘密』とか言ってはぐらかされた」


「そうだっけ?」と首を傾げ、空惚けるアネモネ。だが、目付きの悪さで定評のあるアドニスの視線に屈し、彼女はとうとう口を開いた。


「んー、秘密」

「おい」

「わかった。じゃあ、ヒント。アドニスが自分の感情に気づけたらわかるよ。私と同じ気持ちになる…… はずだから」


 アネモネにしては歯切れの悪い言い方だ。


「なら、俺には一生理解できないな」

「そんなことないよ」

「なぜ言い切れる?」

「それは、私の長年の勘。ほら、アドニスってまだ五歳でしょ? 私の方が人生の先輩じゃん? 先人の教えってやつ」

「いや、それは俺がこの身体になってからの年月であって、年齢とは関係ーー」


「はい」と唐突にアドニスの言葉を遮り、アネモネがこちらに手を伸ばしてくる。彼女の手のひらには、糸の通った赤い鉱石が乗っていた。


「ん、なんだこれは?」

「この前、アドニスが持ってきてくれた綺麗な石。あれで首飾りを作ってみたんだ。おばあちゃんがそういうのに詳しかったから」


 そう言って、アネモネはアドニスの手をすくい上げ、そこに首飾りを置いた。

 そういえば、数週間前に彼女に変わった石をあげた覚えがある。たまたま拾った物なのだが。彼女はキラキラする物が好きなのだ。

「ほら、お揃い」と彼女は顔を上げ首元を見せる。そこには同じ形の首飾りが。


「どう? 嬉しい?」

「わからん」

「じゃあ嬉しいってことで! はい、嬉しい時は笑顔!」


 アネモネがニコリと笑う。首飾りの石よりも澄んでいて、太陽のように眩しい笑みだ。もう何百回見ただろう。

 アドニスはそれを真似ようと、自分の目を、口角を動かしてみた。


「んー…… まあ、確かに笑ってる! 意味合いは違うけど!」


 アドニスは眉根を寄せる。


「お前のとどう違う?」

「まだ思い切りが足りてないんだよ。もっとこう、ニコッて感じ」

「ニコッ…… ?」

「でも、最初の頃に比べたら、すごく良くなってるよ。あの時のは夢に出てくるレベルだったからね……」


 勝手に話を進めて、勝手に青ざめた顔をするな。


「やっぱりアドニスは成長してるんだよ。感情が理解できる日もすぐそこだね」

「本当か?」

「うん! でも、そのためにはもっと他人から感情を学ばなきゃ」

「なぜだ? お前から学べば十分だろ?」

「私の感情ばっかり学んでも、それは私の丸写しになっちゃうの。絶対アドニスには似合わないよ。色んな人の感情に触れて、それで自分に合った、あなたらしい感情を作っていくの」


 よくわからない。

 アネモネの顔がほとんど目と鼻の先まで近づく。


「というわけで、まずは村長と仲良くなること。いい?」

「……わかった。努力する」

「よく言えました! じゃあ、私からもう一つプレゼントを……」


 勢いづいた出だしから一転。後ろを向いたアネモネは、頻りに「あれ?」と呟きながら、木の下を探している。

 

「やば、家に置いてきちゃった」

「一体何をーー」

「すぐ戻るから、ここで待ってて! あ、それと、肩に鳥のフンが付いてるよ! 四つも!」


 アネモネは大慌てで駆け出していく。その後ろ姿は段々と小さくなっていき、やがて建物に隠れ見えなくなった。

 肩を見ると、確かに鳥のフンがいくつもついていた。いつものことだ。

 

「ニコッ……」


 残されたアドニスは、一人笑顔の練習をしてみる。だが、どうしても頭の中にある、あの輝かしい笑顔には到底及ばない。数回繰り返した後、自分には無理だと判断し、後ろに向き直った。

 そして、彼は自分の目を疑った。


「誰だお前は?」


 冥霧の黒しか映らないはずの視界。そこには、銀色の髪を垂らした、小さな少女が立っていたのだ。


「ママ」

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