第一章 第六節
大合唱に代わって、「ヨイショ!ヨイショ!」という掛け声とともにネズミ達が坂を上って運んできたのは大きな麻袋
ネズミ達の歩みに合わせ、小さく上下、ついでに左右へ揺れる様にルルは興味津々です
「白磁猫さん、あれってなぁに?」
ルルが尋ねると、白磁猫は答えようと口を開いた途端に顔をしかめて「なんだあれ・・・ いやな匂いだな・・・ 」と呟いた後、ちょっと怖い顔になって袋をにらんでいました
そのままなかなか答えてくれないので、仕方なくルルは自分で確かめてみようと思い、ランタンを片手に近くまで見に行ってみました
群れるネズミたちが運んでいるのは、それはそれは大きな袋で、長い尻尾を揺らす大きな身体の白磁猫が3匹兄弟だったとしても、みんなまとめてすっぽり包んでしまうほどに大きくて、そして薄汚く、口を縛っているのは可愛いピンクのリボン
その中身は何だかわかりませんが柔らかそうで、素敵で異様なプレゼントのようでした
「ルル!何か分かったかい?!」
と、オロオロおどおどしながら白磁猫が恐る恐る近づいてきたので、返事をしようとしたときでした
「ダメダメ!あぶないあぶない!」
行列から数匹のネズミが飛び出して、キュゥキュゥピョンピョン飛び跳ねて通せんぼ
ルルの前に立ちはだかって「あぶないよ!あぶないよ!おへそからみんな飛び出しちゃう!」と叫びます
妙な言葉使いなのはいつものことですが、今回はなんだか様子が変です
キュゥキュゥと鳴いて跳ねる姿は可愛らしいですが、困惑するルルをよそに、束になってグイグイ押してきます
遊んでいる様子もなくただ必死に、そして鬼気迫るような、どこか薄寒さすら感じるような雰囲気にルルは戸惑って、ただただ大人しく後ずさりました
と、その時でした
急にルルの手元にあったランタンの中にあった火がボウボウギラギラと踊り、まるでルルに何かを伝えようとしているかのように暴れ出したのです
不可思議なことはそれだけに留まらず、ネズミたちが運んでいた麻袋も暴れ始め、遂にはその包みが破れ、中身
がこの不思議の世界へと侵入してきました
それは入っていた大きな袋よりも更に大きく、動物の胎児とも老体とも、あるいは死骸ともつかない灰色の体に赤黒いフジツボがこびりつき、垂れ下がる太く短い尻尾は6本も生えており、歪に膨れ上がった目も鼻もない頭部らしき場所には虚ろな象の目があるのみ
あとはただただドロリとした粘液に包まれて、己もまた爛れているのです
このナメクジにも似たおぞましく陰気な存在はその見た目も恐ろしいばかりか、自らを確かな意思で身体を満たし、火へと誘われる羽虫のようにルルの下へと、芋虫のように大地を這い、そのおぞましい体躯を進ませてくるのです
対してルルは、ただ立ち尽くすだけでした
だって仕方ありません
ルルは痩せてちっぽけな女の子ですが、相手はこの奇妙で優しく、クッキーとパンとミルクがある国には不似合いな、産まれたての悪意なのですから
と、急に周囲からキュゥキュゥと悲鳴が上がったかと思いきや、「わー!逃げろ逃げろ逃げろー!」と叫び声
はっとしてルルが振り返ると、ネズミたちが半狂乱しながら何もかも放り出し、我先にと逃げ出していました
白磁猫はあの大きくて可愛い顔を恐怖で皺くちゃにして固まっており、ルルが「白磁猫さん!逃げよう!」と叫ぶ声でようやく弾けるように飛び上がり、一人と一匹はネズミたちが逃げる方向へと走り始めました
赤い屋根の赤いお家を右と左に、赤レンガの道を真っ直ぐに、そして時折グネグネと曲がりくねって
足の裏が真っ赤になって痛くなっても、その痛さに気がつかなくても
顔を止めどなく溢れてくる涙でぐちゃぐちゃにし、声の限り泣け叫びながらも
ルルは必死になって走り続けました
彼女と一匹、いえ、何千匹の逃避は凄まじいもので、嵐の夜の川のように赤い激流がうねりを上げ、道という道を埋め尽くし削り取る勢いで流れていき、ルルと白磁猫は飲み込まれになりながらもその中を懸命に走り続けます
そしてその背後には波飛沫を上げて進む船の如く、あの不気味な怪物がネズミたちを跳ね飛ばして猛然と追ってくるのです
ですが幸か不幸か、その逃走劇は長く続きませんでした
ルルたちが逃げ出した先にあったのは、深く深く大地が抉られて出来た大穴と、見るもお粗末な吊り橋でした
そこへ向かってネズミ達が排水溝へ流れ込む水のように鋭く、その渋滞は地面から吹き出す間欠泉のように細く、哀れにも何十匹ものネズミたちがはじき出されて谷底へ落とされていくのは滝のよう!
この惨状を前に、ちっぽけなルルではどうすることも出来ませんでしたし、何より、ルル自身がそれに気がついてしまったのです
頼みの綱である大きな白磁猫はすっかり震えて怯えきり、「もうダメだぁ!こわいよぉ!ルルー!」と悲鳴を上げてルルのちっぽけな足元に縮こまっており、それを見たネズミたちも「ルル!助けてルル!」とキュゥキュゥ悲痛な泣き声をあげて集ってきました
助けを求められているルル本人も怖くて仕方ないのですが、同時に彼らを見捨ててはならないと強く感じ、彼女は怪物に向き直ると絞り出すように叫びました
「だめ!来ないで!」
ですが可哀想に、迫り来るおぞましい存在は一瞬怯むように呻いただけで、むしろその進みを早くしたのです
もうこうなっては一緒になって震えて泣く以外で彼女に唯一出来たのは、ただただ、濁流のように迫ってくる『終わり』を皆とともに見ることだけです
そして、とうとうそれが目の前まで来た時でした
突然、国中に汽笛が鳴り響き、大地を砕く大きな音と振動が近づき、そして、轟音と共に、ルル達をすっぽり包んでいるあの赤く大きな壁を吹き飛ばし、巨大な蛇の如き何かが噴き出してきました