閑話 私のおにいちゃん
これからは雫のターンなので、キャラ設定を知ってほしくて書きました。
明日も閑話にします。
私のお兄ちゃん、神崎怜は天才なのです。どのくらい天才かというと、もしかしたらお兄ちゃんに分からないことなんてないじゃないのかなってくらい天才です。
まず、お兄ちゃんは頭がいいです。私が疑問に思ったこととか、学校の宿題で分からないことは何でも知っていて、私にもわかるように、分かりやすく丁寧に説明してくれるのです。
私に、家庭教師の代わりに教えてくれる勉強も、全ての教科が分かりやすく、苦手だと思っていた社会は、地名に詳しくなり、得意だった算数は暗算がどんどん早くなって、好きだった理科は、なんで?どうして?という、浮かんできた疑問まで分かりやすく説明してくれて、もっと大好きになったのです。そしたら、いつの間にか苦手な教科はなくなって、お勉強が大好きになりました。
お兄ちゃんのおかげで好きになった、お勉強の成果を発揮できる機会であるテストで、お兄ちゃんに教えてもらった教科で100点を取って、お兄ちゃんに100点を見せたり、学年で一番いい点数を取ったことを教えてあげると、「俺が教えたんだから当然だ」なんて言いながら、すごい嬉しそうな顔になるのです。
その顔を次も、その次もまた見たくて、また100点を取ろう、お兄ちゃんを喜ばせてあげようと思って、また勉強を頑張っちゃいます。そしたら、また100点が取れて、すごく喜んでくれるのです。
いっつもそれの繰り返しなのです。
そもそも、私とお兄ちゃんは本当の兄妹ではありません。
私がお兄ちゃんと出会ったのは5歳の頃でした。私のお母さんは、ずっと研究室にこもっていて、私はいっつも研究室の近くの広間で、一人で遊んでいました。そんな時に偶然、その広間を通りかかったお兄ちゃんと出会ったのです。お兄ちゃんは、出会い頭に私にこんなことを言いました。
「子どもが一人でなにしているの?」と。
私は、お母さんが忙しいからここで待っていたわけですし、お兄ちゃんに「お母さんが忙しいから一人で遊んでる」と答えました。そしたら、俺も暇だったから一緒に遊ぼうぜなんて言って、持っていたプリントを使って紙飛行機を折って、一緒に遊んでくれたのです。
…そういえば、今思い出してみると、20分くらいたった時に、すごい汗だくの研究員さんがお兄ちゃんを探しに来ました。多分、暇なんて嘘だったのでしょう。
しかも、後から来た他の研究員さんにすごい剣幕で何をしていたのか迫られていたうえ、折り紙にされた資料を見て、膝から崩れ落ちていたので、きっと大切な資料だったのだと思います。
そういえば、お兄ちゃんに、こんなところで子どもが一人で何をしているのかと聞かれたけれど、今思えばお兄ちゃんと私は1歳しか違わないのです。だから、お兄ちゃんも私と同じ子どもだったじゃないかって考えると思うのですが、お兄ちゃんはその頃には既に、研究成果も、論文も上げている一人前の研究者だったのです。もう、その頃には私のお兄ちゃんは天才だったのです。
お兄ちゃんと紙飛行機で遊んだその日から、モノクロだった私の世界に色が増えていきました。その色が最も綺麗になるのは、お兄ちゃんと会える毎週金曜日。初めて会った時から欠かさず毎週、お兄ちゃんがこの研究所の広間に来る金曜日が、学校とこの広間で完結していた私の世界の中で、どんどんと色付いていき、唯一といっていいほどの楽しみに変わっていきました。
☆★☆
ある日のことです。私のお母さんが研究中に一つの実験の事故で病院に運ばれて、そのまま亡くなっていまいました。私の父は既に他界してしまっていて、残っていた母もこの日、いなくなってしまい、私は独りになってしまいました。
しかし、亡くなってしまったお母さんは、研究ばかりで溜まる一方だったお金や遺産だけは、たくさん残していきました。お母さんは、研究による成果や新しい発見をたくさん残しており、かなりの結果を出していました。
母の突然の死、遺産を引き継げるのはまだ幼い私。優しかった祖父も、叔母も、皆が私を引き取ると主張していました。しかし、皆が欲しがったのはお金。遺産を相続する権利のあるから引き取りたかっただけで、小さい子供でしかない私はただの邪魔者だったのです。
優しかった祖父も叔母ももうどこにも存在しておらず、人間不信となっていた私は、徐々にふさぎ込んでいってしまいました。
☆★☆
毎週金曜日。優しい、ずっと変わらないお兄ちゃんが会いに来てくれる日。お兄ちゃんだけは、お母さんとの繋がりのために私と関わっていたわけでも、なにか浅ましい考えを持って近づいてきていたわけでもない。私の事を考えてくれるお兄ちゃん。その事実に我慢できなくなった私は、泣きながら周りの人の事を話しました。
話し終わった後に、ぎゅっと抱きしめられて…聞こえてくるお兄ちゃんの心臓の音にどんどんと安心していきました。そして、涙も止まったころ、泣き疲れて眠ってしまいました。でも、眠る直前にうっすらと聞こえてきた、俺に任せておけという言葉だけが耳に残っていました。
☆★☆
もう何回目かわからない醜い話し合い。遺産の取り合い、私の押し付け合い。聞きたくもない言葉が飛び交う中、私は、起きた時にお兄ちゃんが頭の近くに置いていってくれたぬいぐるみを、ただ抱きしめていることしかできませんでした。
そもそもまだ私は9歳。何の力もないのです。願うことしかできないのです。はやくこの無意味な争いを終わらせてくださいと。
そう願い続けて一週間が経ったころ、突然お兄ちゃんが、スーツの大人を連れて会議に乱入してきたのです。大人たちが関係のないやつは下がっていろという中、お兄ちゃんが何かの機械を取り出し、起動させました。
それは、この醜い言い争いの録音データだったのです。一通り聞かせた後、お兄ちゃんは言いました。遺産を引き出したら私を施設に預けるといったことをはじめ、完全に違法なことを言っているこのデータを公表されたくなかったら、今すぐに相続放棄の書類に署名と印鑑を押せ。弁護士ももう連れてきている、と。
その後は、とてもスムーズな流れでした。こんなデータを公表されたら、大人たちは会社に居られなくなりますし、自分の子供すらも地域から白い目で見られることになるでしょう。渋っていた人も最終的にはサインさせ、お母さんが居なくなってから続いていた、この醜い争いを止めてしまったのです。
そして、お兄ちゃんは私に言いました。雫さえ良ければうちに来て一緒に住むか?うちには今誰も住んでいないから大丈夫だ、と。そう言われて私はすぐに、行く、行きたいと伝えました。
後から話を聞いてみると、なんと弁護士といった人はお兄ちゃんのおじいちゃんが、お兄ちゃんのために雇っていたお手伝いさんで、お兄ちゃんが言った違法、捕まるなんて言葉もほとんど出まかせだったのです。
もし諦めない人がいたらって考えなかったのかを聞いたら、だから嘘だとばれる前に書類にサインと印鑑を押させたし、もし諦めなかったら本当に公表する気だった。なんて言うのです。
一歩間違えたらすごく危険なことを、どうして私のためなんかにしてくれたのかを聞いたら、お兄ちゃんと初めて会った頃、お兄ちゃんの唯一の肉親だったおじいちゃんが亡くなってしまって、私が元気を取り戻させてくれたと言われました。だから私は言いました。私の世界に色をくれたのはお兄ちゃんだと。
意味は伝わらなかったみたいですけどね。
お兄ちゃんの父親は、母親が妊娠している間に事故にあってしまい、亡くなり、母親も後を追うようにお兄ちゃんを生んだ直後に亡くなってしまったため、おじいちゃんとずっと二人だったそうです。
だから、家族が誰もいなくなる寂しさを知っていたから、自分と同じような寂しい思いをさせたくて、引き取ると宣言したそうです。まだお兄ちゃんは私の一つ上、10歳なのに。
でも、それでもすごく嬉しかったです。
私は、水上から神崎になった事を機に、呼び方をお兄ちゃんから兄さんに変えました。それからは、兄さんのお手伝いさんに頼み込んで料理を覚えたり、広いお家の掃除をできるようになったり、洗濯や畳み方を覚えたり…兄さんの研究が進むようにアシストをし始めました。もちろん、一緒に遊ぶことも忘れません。
ある日のことです。兄さんの家に来てから半年がたった頃、お手伝いさんこと、師匠にすべての分野で合格をもらえ、時々来る程度まで頻度を減らしてもらっていた頃のことです。
毎週金曜日の日課は、毎日の楽しみへと変わり、塗り絵、ゲーム、トランプ、折り紙と…兄さんとたくさんの遊びをした私は、ふと、兄さんに出会った日が懐かしくなって、紙飛行機を折りたいと言いました。
兄さんはすぐに承諾し、すぐに部屋から紙を持ってきてくれました。
なんと、兄さんが持ってきたのはあの時と同じような研究資料でした。昔と同じ研究資料を持ってきたよ。昔と違って、これは本当に捨てる予定だからいい。言っていることは昔と同じだね。なんて言うんです。
実際、今回の資料は、確かに廃棄する資料だったらしく、変な機械っぽいものや置物っぽいものの写真が載っているだけでした。それから、その紙飛行機を飛ばして遊んでいると、兄さんが世界各地から集めた遺物が置いてある部屋に紙飛行機が入って行ってしまいました。
入り込んでしまった紙飛行機を探しつつ遺物を見ていたら、不思議な魅力を感じ、つい見入ってしまいました。
帰ってくるのが遅かった私を心配した兄さんがやってきて、一緒にしばらく眺めた後、そろそろ戻ろうと言いました。部屋から出る直前、「こことここに同じ傷があるくらいしか共通点はないんだね」って言ったら、兄さんは突然、今まで見たこともないほどの集中力で沢山の遺物を隅々見始め、すごい発見だ!と声を上げてから、私にハグとキスをしました。
びっくりして、しばらく呆然としてしまったことを覚えています。ごめん!この情報を急いで纏めてくる!と部屋を出て行ってしまいましたが、それで良かったと思います。なぜなら、私の顔がまるでりんごのように真っ赤だったからです。
しかし、その傷のことについて研究を進めていた兄さんに事件が起こりました。ある日、兄さんが発表した研究の一つが取り上げられ、嘘だ、妄想だと断定され、批判されてしまいました。兄さんを邪魔に思ったのか、それとも兄さんの才能に嫉妬したのかはわかりませんが、過剰なほどの批判に、今まで褒め称えていた学会までもが、手のひらを返して兄さんの研究を批判しました。
でも、いつも近くで見ていた私にはわかります。書いてあることは本当だということを、そして、兄さんが、どれくらいほかの人たちのためを想いながらその研究をしていたかということを。
兄さんは平気な顔をして、研究は1人で続けられるからそんなに気にしなくても大丈夫だ、なんて私に言うんです。そう言われましたが、毎日顔を合わせていた私には、いつも楽しそうに研究をしていた兄さんを見ていた私には、兄さんが無理をしていたことがすぐにわかりました。
だって、その研究内容は兄さんが研究者を始めたきっかけ。昔から兄さんが最も解き明かしたいものであり、もしかしたら世界の常識を変えてしまうほど、重大で大事なものだったのですから。
兄さんが辛そうにしているのなら、今度は私が兄さんを笑顔にする番です。私は1度救われた。いえ、それだけではなく、今も毎日救われ続けているのですから。
だから私は兄さんに頑張って伝えました。お金は使えきれないほどあるし、無理に研究をしないでほしいこと、兄さんが辛そうに研究をしているのを見ていると私も悲しくなること、もし研究を続けるのなら、世界中の人たちのためだなんて高尚なことを言わずに、兄さんと私のために研究をしてほしいことを。
これは言ってしまえば私のわがままです。だって、兄さんが今までどれだけの貢献をしてきたのかを忘れたかのように、恩を仇でかえすような真似をするところに、協力なんてしてほしくなかっただけなのですから。
実際、兄さんが発表した理論や成果を活用することで進んだ研究なんて、多すぎて数えきれないほどですし、これから先、兄さんが成果を上げなくなっても、そしていつか兄さんの論文が正しいと証明されるような出来事が起きても、困るのは絶対に相手なのですから。
それから兄さんは、本当の歴史はこうだったみたいだ。とか、この道具はこんな風に利用されていたらしいぞ。とか私に教えてくれるようになった点を除いて、本当に楽しそうに研究をする頃のように戻りました。
その内容は突拍子もないと思われるものばかりでしたが、私は信じます。
だって、兄さんは、私の兄さんは
天才なのですから。
読んでくださりありがとうございます。
次の更新は明日の20時です。




