1.アニオタは社会不適用者なのか
この社会にはアニオタ(アニメオタクの略)という物が存在する。その人達は基本的には趣味としてアニメを見たり、そのアニメのグッズを集めたりと、好きなことをしているだけなのだが、それを嫌う人がいる。
そのアニオタを嫌う者は「アニオタってきもいよね」や「なんで現実にいないものが好きなの?」とか言っているようである。しかし、実際のところアニオタはそんなにも変なものなのだろうか?
そもそも、人が何を好んでいたとしても、誰にも指図する権利はない。それを否定すると言うことは、その人を差別すると言うこととなんら変わりないのだ。まぁ、人間という者は、オーストラリアに白豪主義というものがあったように、人を差別することが好きなのだ。誰かを下に見ない限り、自分という存在を維持することが出来ないので、そういう人がいると言うこと自体は仕方がない。しかし、僕はその否定しようとしている人を否定したいのだ。そういう人が出てこない限り、この世から差別は消えないから。
さて、本軸からずれてしまったので、元に戻るとしよう。いちいちアニオタを嫌う者と呼ぶのは少し面倒なので、「反アニオタ民」と呼ぶことにしよう。
手塚治虫がアニメというものの基本形態を作った時は、まだアニオタと言う言葉はなく、みんなが楽しくアニメを見ていた。当時のことを考えてみると、家にアトムの人形があってもなんの違和感も無かったし、ガンプラ(初期)が置いてあったとしても「かっこいい」で終わったことだろう。
では、そもそもどこからアニオタは始まったのか。これはあくまで推測だが、エヴァンゲリオンがでた位からだと思われる。エヴァンゲリオン(以下エヴァ)には綾波レイやアスカという魅力的なキャラクターが出てくる。そこからフィギュアなどが出てきて・・・というところだろう。
反アニオタ民はそこから「架空の女性が好き」というところに気持ち悪さを感じ始めたのだろう。「架空の女性」ということは様々な妄想が混ざっている。つまり、反アニオタ民がアニオタを敵対視する理由は、「作者の妄想」というところにある。そこから恋愛というジャンルが現れ、より一層アニオタを気持ち悪く感じていく。
最近は可愛いではなく、かわいいキャラクターが増えた。たとえそのキャラクターが高校生だったとしても、ロリに見えるようになってしまう。エヴァの頃は絵に現実味があったが、どんどん目が大きくなったり、作者の好きなように描くようになったことで、それに共感したアニオタが食いついていったということだ。
しかし、キャラの見た目は変わっても、話の内容自体は重いものもある。しかし、反アニオタ民はアニオタを否定するだけで、そのアニメ自体を見ようとはしない。また、見たとしても現実味が無いなどと言って、すぐに見るのをやめてしまう。
反アニオタ民は見た目だけで物事を決めつける人、新しいものを受け入れようとしない人、現実だけを受け入れる人がほとんどである。なので、反アニオタ民を否定することも差別になってしまうのかもしれない。
最後に、アニオタは本当に社会不適用者なのかを考えてみると、そうでは無いことが分かる。なぜなら、アニオタは趣味のアニメのためにお金を使っている。お金を使うということはそのお金を稼がなくてはいけない。つまり、
アニメが好きになる→アニメグッズのためにお金を使う→アニメグッズを買うために仕事に専念する
を繰り返す。「お金を使う理由がある」と言うことは「働く理由がある」ということである。よってむしろアニオタは経済を支えていると言っても過言では無い。
もしアニオタがいなくなったら現代日本は崩壊するだろう。
こんなへたくそな文章を読んで頂き、ありがとうございます。
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@Cain06892403