第96話 そのうちやろう
風呂上りでホカホカしたペタが、フローリングの床に転がっている。
そしてボールペンを使って一生懸命落書きをしている。やっぱり子供は絵が好きだ。もう一心不乱だ。この状態のペタ画伯に声をかけても返事は無い。それどころか何かブツブツ喋っている。ちょっと怖い。でも尻尾がずっと上機嫌に揺れていて可愛い。ペタを可愛いと思うと負けた気がする。
俺は4月のカレンダーを裏に回して取っておくつもりだった。だって子猫の写真が可愛いからだ。だがこの家に落書きが出来そうな紙はほとんどない。泣く泣く子猫に別れを告げた。カレンダーの紙は大きいし裏は真っ白だ。
「グリードベアとペタのいっきうちだー、やー」
お前は一騎打ちなんかしてないだろう。そのグリグリしてるのがグリードベアか?それともお前か?あんまり大きく書くな。その紙がなくなったら次は部屋の賃貸契約書を渡さなきゃいけない。いや、この部屋は全部コピー品だ。多分本物は地球にあるし、ひょっとしたらもう解約されてるかもしれないけど。それでもちょっと嫌だ。
もう5月か。ああ、地球で俺の葬式とかされてたら嫌だな。親父さんやお母さん、あと美咲らへんは泣いてるだろうか。そんで何カ月か何年か後に俺がヒョコっと帰ったらビックリするんだ。ペタも連れて行った日には世界規模で大騒ぎだな。あとペタみたいなのが好きなマニアも大騒ぎだ。
俺は基本的には寝る時以外、カーテンを開けている。地球が見たいってのもあるけど、部屋にいるのにカーテンが閉まってるのは息が詰まる。まあベランダの外は本物の宇宙空間だから、開けた所で息が詰まる。あ、上手い。
「ハルキ!とうめいなかべのむこうに、なんかいる!」
フルーツジュースの仕込みというか果物を握り潰して味見をしていた俺に、ペタが慌てたように声を掛けて来た。透明な壁?
ああガラスの事だな。その向こうは地球だろう……なんかいる!
ベランダ側に目を向けると、ペタがガラス戸の前でプルプルしているのが見える。その向こうには本来なら地球だ。だがその地球とガラス戸の間に確かにデカいのがいる。いや、ある。
ガラス戸の右からじわーっと左に動いている。でっかー。
「とりだ!てつのとりだ!」
ペタがヒャーっとキッチンにいる俺の背中に隠れた。これアレだ。なんだっけアレ。
あ、そうだ。国際宇宙ステーションだ。ISSだ。昔、色んな国が合同で打ち上げた研究用施設だ。美咲が持ってた宇宙飛行士の漫画に出て来た。うわ生ステーションだ。すげえ。
でっかい羽を広げた宇宙ステーションがゆっくりと通り過ぎていく。あの羽みたいなのはソーラーシステムかあ。
しばらく手が止まった。ボーッとベランダの外を見る。これ、こっちからは見えるけど向こうからは見えてないんだろうな。宇宙人がそんな事言ってたもんな。見つからないとか。そうじゃなきゃこんなに近くを飛ばないだろう。
この部屋っていうか、この宇宙人の拠点?まあUFOだよな。ここって透明なんだろうか。レーダーみたいなのにも映ってないのか。
左に消えて行きそうになった所で、ようやくハッとしてガラス戸に駆け寄る。ペタもそのまま付いて来てワーワー騒ぐ。
「モンスターだ!おばけだ!」
ゆっくり離れて行く宇宙ステーションを、ペタと一緒にガラス戸に貼り付きながら見送る。宇宙ステーションって人が乗ってたはずだ。今ぐらいの距離ならどうにか連絡できるんじゃないのか?
いや、近く見えたけど宇宙スケールの話だ。もしかしたら意外に遠かったかもしれない。だが宇宙ステーションは地球の周りをずっと回り続けてる。また同じ場所を通るはずだ。思い出せ、あの漫画の内容にヒントがあるかもしれない。結構面白かったから2回ぐらい読んだぞ。まだ完結してなかったな。続きが気になる。地球に帰ったら読もう。主人公とヒロインのその後が気になるんだ。いや今はそれはいい。それはいいけど気にはなる。
「てつのとりのおばけが、あらわれた」
ペタが落書きに戻った。宇宙ステーションを描いてるんだろう。だが俺はまだガラス戸にへばりついたまま小さくなっていく鉄の鳥をじっと見つめる。
まず宇宙ステーションは凄く速い。地球の周りを1時間半ぐらいで1周してたはずだ。それがゆっくりと見える。と、いう事は俺の部屋があるこの謎UFOも似たようなスピードで動いているって事だ。
どっちが速いのかは分からなかった。宇宙ステーションが飛んでる方向を知らないからだ。追い越したのか追い越されたのかが分からない。とにかく次にまた遭遇できるのは大分先になる。計算したくても地球の大きさもよく分からない。分かった所で計算式も分からない。中卒舐めんな。何にも分からないぞ。
次にいつ来るか分からないのに、じっと待って合図を送るってのは現実的じゃない。ずっと送り続けるんだ。電波みたいなのとかベランダにハンカチとか。
ああ、でもこっちに気付けないんじゃ、どうしようもない。ここがUFOの中にある限りは向こうには気付かれない。
もしベランダが宇宙空間ならハンカチでも良かったかもしれない。しかし確かめた事は無いが、多分ベランダまでは部屋と同じだろう。ベランダだけ宇宙に浮いてりゃ、そりゃおかしい。
だけど例えばベランダから身を乗り出したらどうなる?ジャンプでもすれば?そこは宇宙空間なのか?まだUFOの中なのか?
やべえ。これを確かめるのは命懸けだ。宇宙空間なら死ぬ。
いや、何か物を投げてみるってのはどうだろう。それなら行けるぞ。
それでもし宇宙空間だったら、例えばヘルプ!とか書いた物を投げるんだ。宇宙人に捕まってますヘルプ!だ。すぐには信じられなくても、そんなもんが宇宙にあるだけで絶対不思議に思う奴が出て来る。タイミングさえ合えばボールみたいなのに書いて宇宙ステーションにぶつけてやってもいい。簡単には壊れないだろう。壊れて墜落したら知らんふりをしよう。名前も書こうかと思ったが犯人がバレる。匿名希望と書こう。
ゴクリと唾を飲み込む。
何にせよベランダに出なければ話にならない。手元にある鍵、これを回してガラス戸を横に動かすだけだ。簡単だ。まずはちょびっと開けるだけだ。万が一いきなり宇宙空間だったとしてもすぐ閉めれば大丈夫だ、と思う、よ?
「てつのとりのこうげきだー。グリードベアもこうさんだー」
ペタの声が聞こえた。カレンダーの裏では相当、白熱した勝負が繰り広げられているようだ。緊張でいつの間にか止めていた息を吐く。
そうだよ。ペタがいる時にそんな危険を冒す訳にはいかない。俺だけの時にやろう。今日はもう寝た方が良い。子供は寝る時間だ。俺じゃなくてペタだ。
怖いんじゃないぞ。ペタが心配だからだ。明日やろう。明日も駄目だったら明後日やろう。そうしよう。そのうちやろう。
「ペター、もう寝るぞ」
振り返ったらフローリングの床にまではみ出した宇宙ステーションの絵が見えた。そんなに大きかったらそりゃグリードベアも降参するわ。
ボールペンのインクって水拭きで落ちるだろうか。
馬車が3台森を出て行く。
朝早く村を出たリカータ商会の面々は、昼には狸族の村に着くだろう。どうやらグリードベアの頭は役に立ったみたいだ。俺の見る限りモンスターは近づいて来なかった。石ヤドカリも石から顔を出さなかった。
「おねえちゃん、ずっとあたま、もってたな」
ペタの言う通り、リカータさんはグリードベアの頭を持って馬車に乗っていたが、ずっと撫でたりしていた。休憩の時は持って降りていた。ちょっと不気味だ。あの人も何か心に闇を抱えているんじゃないだろうか。女は謎だ。
そのグリードベアの頭は、一晩で生きているかのように修復、処理されていた。矢の跡もほとんど目立たなかったし、骨も内側から補強したらしい。血生臭さもほとんどなかった。流石は毛皮を商売にしている村だ。かなり頑張ったんだろうが、それにしても凄い技術だ。
一応リカータ商会で買い取ったって事だが、かなりの急ピッチで高度な修復作業をしたので狐族の村としては儲けは無いそうだ。お得意さんへのサービスだな。今後、石ヤドカリを売って行くにも繋がりは大事だ。
だから俺は代金を貰っていない。エジャは払うと言い張ったが、こっちもいらないと言い張った。
結果ペタのポーチに大銅貨が1枚増えた。これで手を打った。ちょっとオイシイ所だけ持って行った感じではあるがペタが止めを刺したんだから権利はある。
そしてペタは大喜びだ。前から持っていた大銅貨と合わせて2枚を両手に持っておかしなダンスを踊っていた。コイツはお金という物の使い方が間違っている。
あとリカータさんだが、村を出る時に、
「町に来た時は、必ず商会の本店に寄って下さいね」
と言い残して行った。これは気に入られたって事だろうか。それとも社交辞令ってやつか?いや、もしかしたらまだスマホを諦めてないのかもな。まあ商売関係以外は良い人だったし、そのうち訪ねよう。きっとお茶には砂糖を入れてくれるだろう。
「じゃあ、鬼ごっこしながら村に戻るか」
「おお!おひるごはんをかけて、しょうぶだ!」
お前、飯に金なんて払った事ないだろうが。ま、そこはいいや。
こうやって鬼ごっこと見せかけて、俺はペタの森を走る技術を盗んでいる。それと同時にペタの逃走技術も鍛えている。ペタは気付いてないけどな。結構、深いぞ鬼ごっこ。
狩人の護衛に見つからないように、こっそり森の外まで馬車を見守ってたのも、ペタの隠密技術を鍛える為ってのもある。何度か見つかりそうになったが、どうにか隠れ切った。あ、俺は隠れるのは得意だから、もちろんペタの事だ。
ていうか傭兵ギルド員の護衛は全く気付く様子がなかった。ちょっと細目長さんにチクって鍛える方法を考えてもらおう。俺はペタと新弟子で手いっぱいだ。
ペタには、逃げる、隠れるって所を重点的に鍛えて欲しい。
遊びに見せかけてこうやって鍛えていく事にした。グリードベアの時はかなりヤバイ所に隠れてたからなコイツ。俺がいなかったら確実に叩き落されてたぞ。
鳥の巣に隠れていたペタはもう丸見えだった。ゴソゴソ動いてたし。自分の家みたいに寛いでたな。カッコウの托卵だな。他の鳥の巣に勝手に卵を置いて行って育てさせるヤツだ。
ペタがピヨピヨ言いながら関係ない親鳥にエサを貰っている姿を思い浮かべた。なんか妙に似合うな。イメージぴったりだ。なんでこんなにリアルに想像できるんだろう。
おや?
今ペタは家出をしている。まあいつでも家に帰れる不思議な家出だが。
家出先は俺の部屋だ。居候だ。エサも与えている。手ごと食われる勢いだ。あーんの最上級だ。
あ。俺、托卵されてるな。
「あ!」
逃げていたペタが木にスルスルッと登った。見ればまた鳥の巣だ。なんだろうか。この子は鳥になりたいんだろうか。鳥が成長すればいつか宇宙ステーションになれると思っているんだろうか。無理だぞ。
「ペター、降りてこーい。そこじゃ逃げ場がないから捕まるぞー」
「あそびとしごとは、わけるタイプだ!」
ペタが木から降りて来た。両手に抱えているのは……卵か。
「たまごは、たかいからほめられるんだ」
自慢気に4つの卵を見せて来る。
鶏とかに産ませてるんじゃなくて、こうやって地道に集めてたのか。どうりであまり見かけないと思った。そりゃ高級品だな。こないだ村長家でラーメンに入れたけど良かったんだろうか。まあ、お母さんが良いって言ったから良いか。あれ何日前だっけ、そろそろ3日経つかな?
ペタが満面の笑みで言った。
「きょうの、ほそいスープにいれような!」
こいつ記憶力と計算力を全てラーメンに注いでないか?
読んでくださってありがとうございます。
このお話はファンタジーっぽいSFっぽいお話です。




