第10話 俺は守れただろうか
抜き身のナイフを片手に村の中を走る。
先を行く狐族の男達は広場を抜けて更に東に走って行く。そっちにはまだ行った事は無いが、このまま行けば森だよな。俺が来た方とは逆の森に向かっている。
森が見えた。手前には木で出来た簡易的な柵が張り巡らされていて人が集まっている。何人かは松明を手に持っていて、かがり火と合わせて大分明るい。
何をやってる?みんな柵のこちら側から…弓か。弓で森の暗がりに向けて矢を放っている。何か獣でも出たんだろうか。弓ねえ。持ってきてないし、持ってても当てる自信は全く無い。少し離れた所で、こっそり様子を見とこう。
「ギャンッ!」「キャウーン!」
矢の飛ぶ音がする度に犬の悲鳴のような物が上がる。…犬?おいおい犬を撃ってるのか!虐待か!?狐と犬が仲が良くないからってそれは許せませんよ!?
ってアホか俺は。ここは狐族の村で、犬が森から来たんなら最初に襲って来てるのは犬の方だ。何甘い事考えてるんだ。反撃して当然じゃないか。ああ、犬と猫に甘い日本人。あと、ハムスターとかインコとかカピバラとかパンダにも甘い。イルカにも甘いが、鯨は食う派と食わない派に分かれる。俺は食わない派だが食う派を否定する気は無い。あとウサギにも甘いが、緑ウサギを食った俺には、もう偉そうに動物愛護を語る資格は無い。
「ハルキ殿、何をしている」
エジャに見つかった。ちょっと油断してたな。でもこの人、気配消すの上手いんだよなあ。さすが猟師。
「ああ、えっと…何か手伝う事あるかなーっと思って」
「…いや、大丈夫だ、今夜はフォレストウルフの数は少ない」
ウルフ…ああ、犬じゃなくて狼か。いや狼だから良いって訳じゃないんだが、すこーしだけホッとしたのは認める。や、ちょと待て。今夜、は、って…
「こんな襲撃が、毎日あんのか?それって村ヤバイんじゃないのか?」
エジャは首を振って、
「毎日ある訳ではない。それにこうなったのは最近だ」
言ってから、少し、しまった。みたいな顔になった。聞いてほしくない訳ね。だが聞いてしまったからには大人しく引き下がれない。他はどうでもいいが、この村にはペタがいる。じいさんもいる。
「それって、村に人がほとんどいないのと関係あるよな?俺ももう無関係じゃないんだ。教えてくれてもバチは当たんないんじゃねえの?」
だがエジャはやはり首を振る。
「ハルキ殿はペタの恩人ではある。だがこれは村の問題だ」
頑固だな。だが頑固さでは俺だって負けない。アメリカに渡った時だってメッチャ反対された。みんな心配してくれてるのは解ってたけど俺は意思を曲げなかった。小さい頃から面倒を見てもらった恩と、同時に引け目も感じていたからだ。自分で稼いで恩返しがしたかった。まあ…結果はこんなだけど。
「エジャさん!北から!」
狐族の青年が走って来た。かなり焦っている。
「何が来た、数は」
エジャが冷静に聞くが青年は絶望的な表情で答える。
「1匹です。グリードベアです…!」
表情の薄いエジャの顔にわずかに焦りが見えた。エジャはまだ狼と対峙している狐族達に向かって指示を飛ばす。
「全員聞け!北からグリードベアだ!この場に5名残して残りは北へ移動!」
一瞬の動揺が走ったが、流石は狩猟民族、すぐ指示通りに動き出す。
エジャも、この場を任された5人に「襲撃が収まってもこの場を離れるな」と声をかけると走り出した。
あれ、俺どうしよう。話の最中だったのになんだかウヤムヤになったぞ。まあ村が危ないのにノンビリ話をしている方がおかしいんだが。ただ、みんなが走って行く方向が北だって事は、俺の東西南北の感覚は間違ってなかったようだ。まあ都合よく書き換えられた脳のおかげなんだろう。
フォレストウルフとかいう狼の悲鳴はさっきから聞こえない。あらかた退治したんだろう。まだ森に潜んでいるのがいるかもしれないから5人残したんだろうな。そして北からはもっとヤバイ、なんとかベア…熊だろうな。熊が来ている、と。
熊か…俺が行っても役に立たないよな多分。ナイフ1本しか持ってないし。空手やってた頃に素手で熊を殺した達人の話を聞いたけど、まあ普通、熊に襲われたら逃げるよな。銃でもあれば別かもしれんけど。10人ぐらい弓持って走って行ったし遠距離から飛び道具で攻撃しまくれば、倒せなくても逃げるだろ。
でもなあ、ペタとじいさんの家も北側にあるんだよな…
俺は柵に沿って村の北に向かって走り出した。
ぐるっと村の外周を周る様に走っていると、どうやら現場が見えてきた。柵が一部破壊されて、なんだかデカいのが暴れている。そいつを囲む様に少し距離を取った狐族の男達が弓矢を射かけている。
足が止まる。俺の目がおかしいのか?アレ、熊だよな。うん、形は熊だ。熊が後ろ足で立ち上がっている。だが、どうにもおかしな点がある。デカい。おかしい、俺の知識にある熊はあそこまでデカくない。
仮にヒグマで考えると後ろ足で立ち上がって3メートルいけば最大級だ。世界一大きいと言われるホッキョクグマだって3メートルちょいまでだ。十分に怖い。
だが、そこで暴れているヤツは5メートルはある。周りの狐族の男3人分ってところだ。あと更に意味の解らない事に前足が4本ある。4本のぶっとい前足を振り回している。なんだこれ、怪獣じゃないか。あんな腕1発当たったら首が飛ぶぞ。
エジャ達は一定の距離を保ちながら矢を撃ち込んでいるが、4本の腕に半分以上弾き飛ばされている。残りは体中に突き刺さっているが効いている様には見えない。
そりゃそうだろう。大きい動物ってのは大体、皮下脂肪が分厚い。あのサイズの熊なら、脂肪の下の筋肉まで2,30センチはあるんじゃないか?ダメージを与えるには、脂肪の層を貫いた上で今度はその下にある強靭な筋肉まで破壊しないといけない。
救いは、後ろ足で立ち上がる攻撃体勢のおかげで動きがあまり速くない事か。もし四つ足…こいつは六つ足になるのか?通常の体勢で突っ込んで来たらこの巨体は止められない。2トンぐらいあるかもしれない。ちょっとしたトラックだ。今は棒立ち状態なので被害は柵だけで済んでいる。
「頭を狙え!」
エジャが叫ぶ。その判断は正しい。頭なら目とか口とか重要な器官がむき出しだ。急所に当たれば逃げてくれるかもしれない。
だが狙いを頭に定めた矢は、その全てを4本の前足に防がれる。
ジリ貧だ。このまま攻撃を続けてもいずれ矢が尽きる。その後は…蹂躙だ。冷や汗がダラダラ垂れてくる。今なら俺には意識が向いていない。逃げるか?
ペタとじいさんを叩き起こして逃げるべきだろうか?だが…エジャ達は逃げないのか?死ぬぞ。
【死】という言葉が脳内を駆け巡る。ベガスにいた最後の半年がフラッシュバックする。毎日【死】が隣にいた。街角に、レストランに、ホテルにも。
その時、俺の視界の端に小さな白い影が映った。
「なんで、いるんだよ…」
ペタが小さな弓矢を持って男達に混じって矢を放っている。なんで誰も止めないんだ?子供だぞ。エジャも気づいてるだろう?
熊の化け物が踏み込みながら腕を振る。正面に居た男達の弓が折れた。反射的に直撃は避けたようだが、弓を引っ掛けられた男が2人、吹き飛ばされた。熊が前足を地面に下す。突進するつもりだ。方向は…今吹き飛ばされたせいで囲みが甘くなった所だ。
その先には小さな白い子供がいる。
俺は小さい頃に父親を失った。あまり覚えていないが俺を庇っていたと思う。泣いていた記憶だけがある。その後、引き取られた親戚の家には、俺より1つ年下の女の子がいた。俺が守ってやろうと思った。この子を泣かせない為にと必死に鍛えた。空手で全国優勝した。強くなったつもりでいた。中学生の時はキックボクシングをやった。ジュニアだったがアジアチャンプの座をもぎとった。そして声がかかった。…いつからか守る事じゃなく、お金を稼ぐ手段として強さを求めていた。
俺の足が動かなくなって日本に戻った時、その子は泣いた。
熊は今にも走り出そうとしている。
俺はそれほど体格には恵まれていない。身長178センチは、世界に出ればチビだ。だが、パワーで劣る分スピードと技を磨いて来た。特に相手を観察する事、相手の裏をかく事、フェイント、意識の外から攻撃する事に全てをかけた。
動き出そうとしている巨大な塊、今ヤツの意識は正面に向かっている。ナイフを左手に握り直しながら走り出す。倒せなくていい。動きを止める。
足に力を籠める。グンッっと体が後ろに引っ張られる様な感覚が襲ってくる。治った左足の筋力が上がっている?宇宙人め、どういう治し方したんだ?だが今は有り難い。上半身を深く落とし、前にいた狐族の男達の足元を抜ける。
ヤツから見て左斜め後ろ。肉食獣の視界はそれほど広くない。少し首がこちらを向いたようだが視界には入っていない。全力で地面スレスレを走りながらタイミングを計る。狙いは、こいつが突進するために後ろ足を踏ん張って、一番体重が乗った瞬間だ。
その瞬間が来た。俺は熊の股下に飛び込みながら左手のナイフを振るう。熊の左後ろ足の踵のすぐ上、人で言うアキレス腱にナイフが突き刺さる。固い!だが右手も添えて全身の力を込めて押し込む。体中の筋肉が悲鳴を上げている。ブチンっと嫌な音がしたのは熊の腱か俺の筋肉繊維か。
ナイフの刃が反対側に抜けると同時に折れた。まだ俺がいるのは熊の腹の下だ。ナイフが抜けた時の勢いを殺さず転がる様に熊の右側に飛び出す。
ゴァァァァ!
突然の痛みに化け物熊は大きな悲鳴を上げながら突進をやめ、立ち上がろうとしたが、左後ろに大きくバランスを崩して転倒した。そっちの足はもう使えねえよ。今朝までの俺みたいにな。
だが、熊は残った右後ろ足と4本の前足を器用に使い、俺の方に向きを変えながら突進の体勢をとった。便利な4本足だなくそっ。
右肩に何かが当たった感触がある。かがり火か。躊躇なく火の中に腕を突っ込み、燃える木片を取り出す。腕が炙られる。手の平が焦げる。だが、痛みは感じない。2トントラック野郎が突進してくるのが見えた。すかさず火の着いた木片を投げつける。
熊は突進しながら前足の1本で顔に迫った木片を弾き飛ばす。なるほど、走りながら攻撃できるように進化したから足が多いのか。もう手みたいなもんだな。でもやっぱり頭を攻撃されるのは嫌なんだな。さっき見てたから分かってたよ。あと、戦闘中に自分の手で自分の視界を遮るってのは良くないな。
熊は俺のいたはずの場所、かがり火に頭から突っ込んだ。そのまま滑るように炎を引き連れて大転倒する。寸前で体をひねって躱していた俺は叫ぶ。
「頭に撃ち込め!」
一瞬遅れて、矢の雨が熊の頭めがけて降り注いだ。これで駄目ならもうお手上げだ。俺も動けない。さっき躱した瞬間に爪の1本が俺の腹あたりを抉った。避けたつもりだったんだけどな。体がでかすぎだ。こっちは人間としか戦ったことなんて無いんだからよ。
「ハルキ!ハルキ!」
ペタの声が聞こえる。こっちに近づいて来てる。ああ、俺は守れただろうか。
俺の意識はここで途切れた。
読んでくださってありがとうございます。
主人公、死す?