第11話 レモン付きナイフ
真っ白で、何もないとしか思えない空間で声だけが響いている。
『後輩ー』
『後輩やーい』
機械で合成したような不自然な音声だ。誰かを呼んでいるらしいが返事はない。
『返事しないと給料へらすよー』
しばらくの無音の後、少し高めの声が響く。
『先輩、それはパワハラという犯罪行為です』
『何を言うんだい後輩。冗談という言葉遊びだよ今のは』
『先輩は地球の文化に、影響されすぎであると考えます。早く引退して、責任者の座を私に譲渡してください』
『ひどい事を言う後輩だね』
低めの声の方は少し楽しそうに言う。ただ、地球の人間が聞いたら、そこに感情は読み取れないだろう。
『なぜ、また音声を使うのですか』
高めの声は率直な疑問を投げる。彼らは意思の疎通を行うのに音を必要とする事はない。なので当然の質問だ。低い方は答える。
『折角、上手く調整ができたんだから、いいじゃないか。つきあっておくれよ』
『合理的ではありません』
『後輩。何か、僕に黙っている事はないかな?』
『先輩の発言の意味が理解できません。やはり音声での意思疎通は不合理であると考えます』
『では、質問の仕方を変えようか。後輩は、僕の権限を停止している間に、テストケースに何かしたね?彼の生体情報が、少しばかり通常の地球人ではありえない状態になっているんだけどね』
少しの間が開く。低い声が再び響く。
『後輩、言葉を選んでいるね?上手く説明できないようなら、記憶を探らせてもらってもいいんだけどね』
『それは、プライバシーの侵害です。先輩。その行為を実行した場合、上層部に訴える事になります』
『それは嫌だね。そうならないよう、後輩の音声で教えてもらえるかな』
高い方の声は観念したように話し出す。ただ、その声に悲観的な響きは無い。
『対象の身体に、致命的な損傷を発見したので、修正を行いました』
『どのようにかな?』
『対象の自己治癒力と免疫力を高め、回復を促進しました』
『うん。いい判断だね。でも何故、今まで気が付かなかったのかな?』
『最終チェックから、たった288日で、あのような損傷を負うとは考えませんでした』
『なるほどね、いいかい後輩。僕達以外の生命体は、そのたった288日という時間で大きく変化する事がある。消滅する事もね。後輩はその認識が甘いようだね』
『理解しました。先輩。私はまだ責任者の座には早いようです』
『素直でいいね。いつもそうならいいんだけどね。さて、回復という事だけれど、どのパターンで回復を促進させたのかな』
真っ白な何もないとしか思えない空間に機械の合成音のような声が響く。それを聞く者は彼ら以外には誰もいない。
「ハルキ、あーーーーん」
「待て待て、ちょっと待って!ペタ、ナイフごと口に突っ込もうとするな!」
俺は借りた家の質素なベッドで念願の「あーん」をしてもらっている。ただし相手は白い狐の耳と尻尾を持った少女で、俺のストライクゾーン外だ。しかもこういう場合の定番、リンゴ。ではなくどう見てもレモンだ。丸のままのレモンだ。ナイフに刺さったままのレモンが俺の口を襲おうとしていた。
「じっちゃんが、こうしたらよろこぶっていってた!」
「違うんだペタ、色々違うんだ!もう少し大きくなったらお前にも分かる!」
「元気そうだな」
エジャが部屋に入って来た。珍しく微笑んでいる。
「何笑って見てんだよ!ペタを止めてくれ!……痛い痛い!」
頬にレモンがグイグイ押し付けらる。しかも俺のやったナイフの先端がわずかに顔を出している。当然、俺の頬はチクチクと刺されて血まで出ている。シャレにならん。子供のうちに矯正しないと大変な大人になるぞ。
片手でペタの体を押し戻して安全を確保してから、タオルで頬に付いた血をふき取る。エジャがそれを見ながら言う。
「ふむ、すごいものだな。さすがは魔法使い族」
さっきまで出ていた血をふき取った俺の頬には傷は残っていない。
「俺も、訳が分かんないんだよ」ペタを抑えていない方の手で頬をさする。
昨日の夜、俺は確かに化け物熊に腹を抉られた。……はずだった。だが目が覚めればこのベッドに寝かされており痛みは完全に消えていた。
いや、あえて言うなら、なぜか俺の上で寝ていたペタに顔面を蹴られて目が覚めたので、それは痛かった。寝相の悪い奴だ。
そのペタは、ようやく俺にレモン付きナイフを食べさせるのを諦めて、自分でレモンをパクリと食べて「んんおおおおすっぱーーー」と騒いでいる。いつも楽しそうでいいなコイツは。
自分の裸の上半身を見下ろして胸や腹の辺りを触ってみる。傷はない。起きた時はこの上に包帯がグルグル巻きにされていたが、痛みがなかったので解いてみれば傷がなかった。アザもない。
正直、腹から下は、なくなっているんじゃないかと思うぐらいの衝撃があったはずだが……
「確かに、骨は砕けていたし内臓も破裂していた。だが、傷口はなかった」
とはエジャのセリフだ。
朝、驚きに固まっていた俺の様子を見に来てくれた時に聞いた。
昨夜倒れた俺をこの家まで運び、薬を塗って包帯を巻いてくれたのもエジャらしい。ペタも看病という名目でかなり遅くまで起きていたそうだ。まあ、いつの間にか俺の上で寝ていたが。
そしてあの化け物熊……グリードベアとかいうらしいアレは、頭を撃ちまくって倒せたらしい。良かった。しかし、あんなのが普通にいるとかマジで怖い星だ。
熊の鋭い爪にやられて、なぜ傷口がなかったか。これには心当たりがある。
昨日着ていたTシャツがベッド脇の椅子にかけてある。土や、俺が口から吐いたであろう血の汚れはあるが、熊の爪に引き裂かれた跡がない。
おそらくこれは、あの宇宙人の言う【損壊しない】とかいう効果が服にもあったという事だ。ペタにやったTシャツが、いくら引っ張っても元に戻ったのも同じ理由だろう。切る、破く、焼く、といった破壊行為は無意味って事だ。すごい防具になってしまった。
ただ衝撃を和らげるような効果はないみたいで、俺の骨や内臓はキッチリ破壊されたという訳だ。でもここからが分からない。なぜ治った?腕を見れば火の中に突っ込んだはずの腕にも火傷はない。
ただ、全身をものすごい倦怠感が襲っている。あとメチャクチャ腹が減った。そういやエジャに飯を頼んでいたんだった。
「村長の家に食事を用意している。動けないのであれば運ばせるが、どうする?」
エジャが聞いてくる。体中がダルいが動けないほどではない。とにかく早く何か食べたい。ペタにも頼んだのに持ってきたのはレモンだけだった。
「いや、村長のトコにいくわ。おいペタ、いつまで面白い顔してんだ。行くぞ」
「すっぱいのなおった!」
「お前はそれをケガ人に食わそうとしてたんだぞ」
洗って干しておいたTシャツを着て家を出た。
少し歩くと昨日入った倉庫がある。そういえばナイフを勝手に借りた上に折っちゃったんだよなぁ。ちょっと気まずい。と思ってたら数人の狐族達が出てきた。
ヤバイ、目が合った。謝っとかないと。
「あの、すんません昨日ナイフを……」
「ありがとうございます魔法使い様」「すごかったです魔法使い様」
あれー。なんか感謝されてる?でも、俺は止め刺してないよな。こかしただけだし。ああそうか、死にかけてたのに復活してるのがすごいんだな。確かにそれは自分でもすごいと思う。全く理由は分からないが。
「えっと、はい。あのナイフ折っちゃったんすけど。スミマセン」
「ナイフなんかいいですよ魔法使い様」
様なんかいいですよ、魔法使いじゃないしホントは……俺が苦笑いで手をピラピラさせていると、エジャが歩きながら声をかけてきた。
「ハルキ殿、お前の動きは、私でも捉える事ができなかった。お前は魔法使い族だが、戦士としても素晴らしい。皆が敬意を払っているのはそういう所だ。誇っていい」
うわ、エジャが今までで一番長く喋った。しかも恥ずかしい内容だなおい。そしてなぜお前が自慢気にしているペタよ。
「ハルキはつよいっていった!それにふじみだな!ばけものだ!」
化け物扱いか。よし後で耳を引っ張りまくってあげよう。俺からの静かな殺気に気付いたのかペタがスパッとエジャの陰に隠れた。
広場を通る時に例のグリードベアの毛皮が広げて吊るしてあった。改めて見ると、とてつもなくデカいな……よくこんなのに挑む気になったよ。ペタか、こいつがあの場にいなかったら逃げてたかもしれない。
「ペター、尻尾触らせろー!」
ペタに襲い掛かるとペタはギャーギャー言いながら逃げ回る。
「やめろー!ハルキがごらんしんだー!しっぽはペタのいのちだー!」
「耳でもいいからつまませろ!」
「せくはらだーー!ごむたいなー!」
騒ぐ2人と静かな1人で村長の家に着いた。エジャが扉を開けてくれる。
飛び込んで行ったペタの後を追うように家に入った。……おや?じいさんの姿が見えないな、どこだ?
「わしの尻尾じゃったら、好きなだけ触ってくれてよいのじゃよ?」
「おおうわっ!」
テーブルの下に隠れて驚かそうとするジジイとか、本当にこの村の村長家はどこかおかしな事になっている。次の村長がペタだとすると行く末が心配だ。両親はどうした。というのは聞きづらい。俺も苦手な話題だったしな。
テーブルの上には、焼いた肉、煮込んだ肉、焼いた肉、焼いた肉、野菜スープ。
「肉多いな!」
「グリードベアの肉だ。責任を持って食べてくれ」
まさかそういう台詞がエジャの口から出るとは思わなかった……機嫌いいんだな。まあ、かつてないほど腹が減っているので今なら食いきれる自信がある。
「では、いただこうか、ハルキ殿、席についてくだされ」
「あんたが、テーブルの下から出てきてくれれば座りますよ村長」
ホッホウと笑いながらテーブルから這い出し椅子に座るじいさん。年上には突っ込みづらい。なるほど、これがエジャの気持ちか。
ようやく、じいさん、俺、ペタが席に着いた。エジャは昨日の後始末があるそうで出て行った。
「では、好きなだけ食ってくだされ。ハルキ殿が仕留めた獲物じゃ」
「や、トドメ刺したわけじゃないんで……でも頂きます」
じいさんはホッホウと笑いながら、
「やはり出来たお方じゃ、ペタの婿に来てくれれば村も安泰なんじゃがな~」
とか言い出した。なんだか昨日よりフランクだな。
「いや、それはないんで」
肉に手を伸ばした俺の横で「いや~~ん」とか言いながら、腰と尻尾をクネクネさせているペタの両手には、既に肉が握られている。それを横目に俺も食い始めた。
「ペタはもうたべるわけにはいかない。スタイルがくずれるので」
と言いながら、椅子の背もたれに体を預けるペタの腹はポッコリと膨れている。手遅れだな。まあ、俺も食える自信があるとは思っていたが、本当に食えてしまうとちょっとビビルような量を食った。大食いで賞金が貰える店なら出禁をくらうレベルだ。
じいさんが水を飲みながら言う。
「ハルキ殿が仕留めたグリードベアは、いわば、この大森林のヌシのようなモンスターじゃ。いやー勇者じゃな、勇者!村の救世主じゃ!」
魔法使いの次はモンスターに勇者ときたか。ゲームみたいだな。そして俺は倒していない。そこは譲らない。1人なら100パー逃げていた。
「あんな、化け物がいっぱいいるんすか?この森って」
俺が聞くとじいさんはプルプルと頭を横に振る。
「あれは別格じゃよ。普段は大森林のもっと奥に住んでいるモンスターじゃ。この辺りのような浅い場所では、フォレストウルフ程度のモンスターまでが普通じゃ」
「フォレストウルフならペタでもたおせる!」
いっぴきならぎりぎり……と小さい声で続けたのは聞こえてるぞ。昨日のあの狼の事だな。あれもモンスターの枠に入るのか。分からない事は聞いてみよう。俺はこの星では産まれたてホヤホヤの生後3日の赤ちゃんだ。生後2日で死にかけたが……。そんな赤ちゃんの知識はペタにも負ける。
「さっきから言ってるモンスターってのは、どこまでを言うんすか?あの緑ウサギもモンスターなんすかね?」
「モンスターはおそってくるやつだ!それいがいはどうぶつだぞ!」
ペタが偉そうに言ってくる。だが俺はお前に聞いたわけじゃないんだよ。
「ふむふむ。ハルキ殿は、あまりこの辺りの事は知らぬようじゃな?」
「はぁ。ちょっと遠くから来たばっかりなんで」
何光年だか、何万光年だか遠くから来たんだから間違った事は言っていない。じいさんはフムフムと頷くと教えてくれた。
「ハッキリと分けられておるわけではないんじゃがの、人族や他の動物を襲う獣をモンスターと呼んでおる」
はぁ、肉食動物をモンスターって呼んでるってところか?というかペタが言ってた事でほぼ合ってた。ペタの顔を見ると頬がプーっと膨れている。信じてない訳じゃなかったんだぞ、いやうん。ゴメン。
「ええっと、じゃあ俺とか、狐族の人たちとか……ハイエナ男みたいなのは全部、人族?ってことでいいんですかね?」
ついでに聞いとこうと思って軽く口に出した言葉に、じいさんの顔が少し険しくなった。どうした?なんか変な事聞いたか?
「うむ。言葉を操れる者は、総じて人族と呼ばれておる。……しかし、ハイエナ族とは」
そこに引っ掛かったのか。喋ったから人族だよな?服も着てたし。暑そうなの。
「ハルキ殿、昨日言っておった盗賊とはハイエナ族だったのかな?」
「え、ああ、そうっす。暑そうな赤い毛皮着てましたね」
「ウムムム……そうか。ペタ、ちょっとエジャを呼んで来てくれんか」
ペタはピョンッと立ち上がると「りょうかいであります!」と敬礼をして飛び出して行った。こういうのどこで覚えたのかと思ってたが、多分犯人はこのじいさんだろうな。
だが、いつもニコニコしているイメージのじいさんは、さっきから難しそうな顔になっている。また面倒事に巻き込まれる予感がすごい。
「ハルキ殿、すまんが……」ほら来た。
読んでくださってありがとうございます。
サブタイトルは毎回、お話のどこかに隠れています。