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惑星の魔法使い  作者: モQ
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第1話&2話 パグの反応は無かった

 地球は青かった。


 そんな事を昔の宇宙飛行士が言ったらしい。


 今じゃ誰でも知っている常識だ。子供に聞いても地球の色は青だと答える。もちろん俺だって知っている。


 でもその事実は、ほとんどの人の生活には関係してこない。宇宙にたずさわる仕事をしている人にとっても、地球の色なんてのは重要事項じゃないだろう。


 そして21世紀が始まって20年以上たった現在でも、地球の外から肉眼でその青を見ることができる人間は、宇宙飛行士かごく少数の大金持ちに限られている。いや、宇宙に行けた大金持ちが実際にいるのかは知らない。まあ、そういう商売をやってる会社はあるらしい。


 当然、俺はそんな会社のお世話にはなってない。大金持ちでもない。





「青っ!」


 ベランダに続くカーテンを半分開いて思わず叫んだ。


 目の前には、真っ黒な空間に大きく浮かぶ青く輝く球体。これぞまさしく“地球”というやつだ。火星だとはちょっと思えない。火星だったら赤いはずだ。


 その地球だが、高画質ハイビジョンで見た事のある地球よりも遥かに青く感じる。昔の誰だかいう宇宙飛行士が思わず青いと評した理由がよくわかる。


 おお、ホントにプカプカ浮いてるんだな。柱も何にもないのに不思議。


 で、何だこれ。CGか?マンションに付いている映像サービスだろうか?


 ここは昨日、引っ越して来たばかりの築30年を過ぎた賃貸マンションだ。それもお財布に優しいワンルーム。いくら綺麗にリフォームされているとはいっても、かなり年期が入っている。なのにこんな最先端テクノロジーなサービスがついてるのか。日本すごいな。さすが技術大国。


 いや待て。そんなサービスはどこのマンションにもないし需要もない。どっかの天体マニアでもここまでは必要としていないだろう。多分。


 ジムやバーラウンジ、プールに温泉。高級マンションならそんなサービスもあるにはある。でもこんな天体ショーは聞いたことがない。


 そもそもオートロックすらない4階建ての小さなマンションで家賃も10万円に届かない。このハイテクサービスを維持するのは不可能だ。ついでに俺もこんなのいらない。


 あー、こりゃアレだ。夢だな。寝起きはいい方なんだけどなぁ。寝ぼけるとかないわ。


 つぶやきながらカーテンをそっと閉じてベッドにもぐり直した。




 枕元に適当に転がしてあるデジタル時計の表示は午前5時30分。丁度この時間にやかましく鳴るはずだった時計は、買われてから一度しか音を立てていない。それというのも活躍前に俺が止めているからだ。


 だってコレかなりうるさい。うるさくなければ目覚まし時計としては失格かもしれないが、起きている人間にはただの騒音だ。という訳で、もう現役を引退してもらっている。パッと見て時間が分かればいい。やってくる家を間違えたな。


 そもそも俺は寝起きが良いんだ。体内時計が勝手に俺を起こす。仮に目覚ましが一瞬でも「ピ」と鳴れば何時だって飛び起きる。低血圧とかどこの世界の話だってレベルだ。


 ここまでくるとぞくに言う寝起きの良さとは別物かもしれない。こういう病気なんだな。目覚ましの音も、数日前に箱から出していじった時に聞いたっきりだ。


 だから俺はまだ寝るべきだ。だって夢から覚めないんだから。


 薄眼うすめを開ければカーテン越しに青っぽい光が透けて見える。安物のカーテンはダメだな。遮光しゃこうカーテンにするべきだったか。でもちょっと高いんだよなあ。どうせ寝てしまえば光なんて気にならないし、余計な出費は抑えた方が……うん、眠くない。こんなの夢じゃない!


 ベッドから飛び起きた勢いでカーテンを全開にした。


「青っ!」


 無駄に大声を出してみても誰も反応してくれない。1人暮らしって寂しい。孤独には慣れているがツッコミは欲しい。


 相変わらずベランダ越しに見える巨大な青い球体。輪っかもないから土星でもない。あれ、それは木星だっけ。まあ今はどっちでもいい。


 よくよく見れば端の方に地図で見たまんまの細長い島国、日本も見える。という事はやっぱり地球で間違いない。


 すぅぅぅ……はぁぁぁ……深呼吸よし。落ち着いていこう。落ち着いて……


 ベランダに続くガラス戸を開けようとした右手を、左手が掴んで止めた。


 バカか俺は!今、落ち着いていこう。とか思ってたとっ、とこじゃないか!アアアホか!


 右手首を強く握ったまま、半歩下がって荒く息を吐く。そうか、俺はアホだったんだな。うすうす気づいてはいた。小学生ぐらいの時からな。


 いくらアホでも最低限の常識はある。地球が見えるイコールここは宇宙。宇宙には空気がない。それぐらい知ってる。宇宙遊泳の経験はないが漫画で読んだ。このままベランダに出て爽やかな朝の空気を吸い込む、なんて事は出来る訳がない。


 仮に、仮にだが本当に外が宇宙空間なら……まず死ぬ。吸うどころか吸い出されるんじゃないか?


 額から一筋、汗が流れる。実はヤバイ状況なのかもしれない。


 改めて数度、深呼吸をしてから部屋の照明のスイッチを探す。地球らしき物がいくら明るくても部屋のすみまで照らす程じゃない。昨日、引っ越し荷物を運び終わったばかりだ。無意識にスイッチにたどり着く能力はまだ獲得していない。


 手探りで照明を点けて十分に明るくなった室内で、ベッドに座り込んでスマホをいじる。電話はどれだ。ああくそ、分かりにくいな。警察ってなんで電話じゃないと連絡できないんだ。


 普段ネットしか使わないせいだ。本来、携帯電話と呼ばれるはずのコイツの使い方がイマイチ分からない。そういうのって俺だけじゃないはずだ。あ、これか。何だ、簡単じゃないか。こんなのが使えない人がいたら会ってみたい。ええと911。じゃなくて119だっけ。ん?


 考え込みながら画面を見ていたら重大な事実に気が付いた。電波がない。






 一人用の小さいテーブルで、鍋に入ったままのインスタントラーメンをすする。めちゃくちゃ久しぶりに食ったけど……これは美味い。さすが技術大国の発明品。


 目覚まし時計(仮)の表示は午前11時を少し過ぎている。


 水は出た。ガスコンロにも火が着いたし、よく考えれば照明が点いた時点で電気だって来ている。スマホを投げ出した後、狭いワンルーム内で軽く体を動かしてシャワーまで浴びてきた。


 だがテレビは駄目だった。正確に言うと電源は入るが何もない真っ白な画面しか映らなかった。


 ドッキリ企画の可能性も考えたが、外に見える青い球体がどうしても引っ掛かる。ここまで無駄に壮大なドッキリをやるヤツがいるか?いたら真正のアホだろう。そもそもコンセプトが見えてこない。プロデューサーの考えが分からない。


 くそう。あの地球っぽいのさえ無ければ、ただの電波障害で済む話だったのに。


 でも結局はあのでっかい球が存在するせいで、ベランダに出る事もできないし玄関も開けられない。自分が負けず嫌いだという自覚はあるが、同時に慎重な方だとも思っている。ビビリじゃないぞ、慎重だ。


 慎重に考えた結果とりあえず腹を満たす事にした。通常運転だ。何でもそうだが焦ったら負けだ。


 もしこれがドッキリなら見ている奴は非常につまらないだろう。野郎が一人で、ただただラーメンをすする映像。なかなかにシュールだ。ざまあみろ。早くプラカード持って入って来い。




 引っ越し荷物の荷ほどきは昨日までで終わっている。だが砂糖と塩以外の食材は全くない。冷蔵庫は1人暮らしにしては大きいが、中には設置後すぐに作っておいた氷しか入っていない。


 今日、学校帰りに買って来るつもりだったから生物なまものは何もない。ただ、かなりご無沙汰ぶさただったインスタントラーメンだけは衝動的に買っていた。袋入り5食分だけだが。味も色々欲しかったな、醤油オンリーだ。


 あー。そういや、もう入学式終わったかな。


 ラーメンのスープを最後まですすりながら考える。今日はもう無理だな。結構楽しみにしてたんだけどなあ。


 既に17歳だが、今日、初めて高校1年生になるはずだった。


 玄関のドアをチラリと見る。ドアの内側には月めくりのカレンダーがぶら下げてある。上半分は子猫が2匹じゃれあっている写真だ。なぜ4月が猫なのかは分からない。多分、製作者の趣味かサイコロで適当に決めたかだ。


 下半分に並んだ数字の中の『7』が赤い丸印で囲まれ、その下には丸っこい字で『ハル君の入学式!』と書いてある。


 ため息が出る。あー。怒るだろうな美咲みさき


 子供の時からハル君ハル君となついていた、年下の従妹いとこの怒り顔が目に浮かぶ。


 今日から同じ高校に通う事になっている1つ年下で1つ上の学年の従妹。ややこしいが仕方ない、俺は2年遅れの高校生だ。


 美咲本人は、成績は中の上、運動も中の上だが「結構モテるんだからね!」とか言っていた気がする。でも自己申告なんて信用はしていない。モテるかどうかなんて知らない。というか妹みたいな感覚だからその辺に興味が無い。ただ、誰かと付き合うとかになったら紹介しなさい、とは言ってある。何だろう、妹じゃなく娘感覚なんだろうか。


 まあ悪いヤツではない。なんというか……丁度カレンダーに写っている子猫のようなイメージだ。良くも悪くも無邪気というか、自由というか。ついでに人当たりもいい。猫をかぶるってやつだ。性格が良いんじゃなくて、良い性格をしてる。


 昨日、両隣と真下の部屋に、その美咲に引っ張られて挨拶回りに行った時にも、予想通りウケが良かった。ご近所さん達は、とても良い顔でニコニコ応対してくれた。新しい住人が美咲じゃなく俺だと分かるまではな。


「ちょっと!ハル君!これから、お世話になるんだから、ちゃんと挨拶しなよ!」


「ああ、えーと。隣の402号室に引っ越してきた、日向悠生ひむかいはるきっす」


「ああもう……すみません無愛想で。ちょっと圧迫感ありますけど、悪い子じゃないんで、仲良くしてあげてください」


 圧迫感てなんだ圧迫感て。そんなもん出した覚えはないぞ。どっから出るんだ、目か毛穴か。それを言うなら威圧感だろうし、それにしたって心当たりないぞ。あと子とか言うな。お姉さんぶるな年下。


 401号室の小太りの中年男性は、明らかに嫌そうな顔になって「ちっ、リア充が」とでも言いたそうだったな。色々と勘違いなんですよ?


 でのあの人、何だか犬っぽい顔だったよなあ。何だっけ……ああ、パグだ。パグっぽかったな。パグってのは頬の皮膚が垂れてて段を作っている特徴的な小型犬だ。目がキレイなんだよな。あと動きもヨチヨチ歩きで……


 態度の悪い隣人もそんなイメージで思い出すと可愛く思えるから不思議だ。


 あ、隣はどうなってるんだ?




 401号室(パグ)は、何となく気が乗らなかったので反対側の壁を軽く叩きながら呼んでみる。


 コンコン「すんませーん、誰かいますかー?」


 ゴンゴン「おーい」


 ガッガッ「ヤッホー!あ」


 ヤバい。思わず拳で……壁、大丈夫だよな。


 保証人になってくれた、美咲んとこの親父さんが「部屋を汚すと、出る時に金が戻ってこねえぞ」と言っていた。当然穴でも空けたら汚した事になるだろう。それ以上か。


 中学を卒業してからの2年間で、部屋を借りるぐらいのお金は貯まっている。残ってるって言った方が良いかな。だが、これからの家賃と生活費は、ある程度バイトでまかなう予定だ。無駄使いはしたくない。


 カレンダーを壁じゃなく、わざわざマグネットで玄関のドアにぶら下げたのもそれが理由だ。マグネットのフックも100円ショップだ。日本の100円ショップはマジですごい。何時間でも過ごせる。




 しばらく隣の反応をうかがってみた。確か大学生の男女が住んでいたはずだ。ワンルームマンションに2人というのはちょっと狭そうだけど、その距離感が良いのかもしれない。知らないけどな、彼女なんかいた事ない。


 強くなりすぎないように気を付けながら、もう何度か叩いてみたが反応がない。寝ているのか留守なのか判断がつかない。もしかしたらちょっとお邪魔なタイミングだったかも。いや考えないぞ、それは。

 

 じゃ、仕方ないか。モゾモゾとうようにベッドの上に乗って反対側の401号室に向かって壁を叩く。


 ガッガッゴッゴッ


 頭の中で犬のパグを想像しながら無言で叩く。キャンキャン吠えながら文句を言いに来るパグ……そんな想像に思わずニヤッとしてしまう。そう、実は動物が大好きだ。


 犬も猫も飼った事は無いが、そういう番組はもう凄い勢いで観る。キリッとした大型犬やモコモコふわふわの子猫も好きだが、パグやブルドッグのような何とも言えない味のある顔も心をくすぐる。インコとかトカゲも良いよな。俺は飼いたい動物ベスト100を常に考えてるぞ。パグは今、何位だっけなあ。ゴスッ。


 妄想にひたっていたら思ったよりも力が入っていた。いい音したぞ今。慌てて壁を確認したが、へこんだり跡になっている様子はない。セーフだ。


 そして、しばらく待ってもパグの反応は無かった。アウトだ。


「こりゃ、駄目だな」つぶやきながらそのままベッドに寝転がる。


「まあ学校が終わったら、美咲あたりが様子見に来るだろ」


 壁紙と同じ真っ白な天井を見上げながら「ここが、宇宙じゃなけりゃな」と、付け足した。






 時計が15時をお知らせしてくれている。うーん。完全にサボってしまった。こんなに寝たのは久しぶりだ。家具量販店のベッドあなどりがたし。


 上半身を起こして部屋の中を見回す。何も変わった様子はない。ちょっと期待していた寝起きドッキリもなかった。まあ、一般人にそんなの仕掛けても面白くないか。男だし。


 開けっ放しのカーテンの向こうでは、相も変わらず青い球体が存在感を放っている。


 朝見た時より回転したのか、日本の位置が真ん中を過ぎて反対側に寄っている。こういうのを自転と言います。それぐらいは覚えてるぞ。学校で習った記憶が……ギリギリある。


 そういや学校って何時に終わるんだろう?俺は中学校までしか知らない。しかもその後2年近く日本にもいなかった。


 よくよく思い出せば、中学校では、休み明けの初日ってのは半日ぐらいで終了じゃなかったか?


 もし高校も同じだとしたら、美咲はもう俺が学校に行っていない事にも、連絡がつかない事にも気付いているかもしれない。


 立ち上がって玄関をのぞき込む。鍵はかかったままだ。


 昨日、引っ越しの手伝いという名目で遊びに来た美咲は、帰りに合い鍵を奪って行った。たとえ俺が寝ていたとしても勝手に入ってくるはずだ。そういうヤツだ。


 まだ分からない。分からないが負け戦の線が強くなってきた。このまま、この部屋から出られなければどうなる?食料はいつまでもつ?


 水は出る。インスタントラーメンは元々あったのが5食入りの袋で、寝る前に1回食べたから……いや待て、1つじゃ足りなかったから2食分食べたっけ。ということは残り3食分。あと、塩と砂糖が未開封で1kgずつ。生命活動を維持するだけなら、水とカロリーさえあればしばらくはなんとかなる。そう、しばらくは。だが人体はそんな単純な物じゃない。ビタミンやタンパク質、他にも50か60か……いろんな栄養を摂取する必要がある。いやでも、ただ生きて呼吸をするだけなら……。


 まあいいや。


 明日まで待ってみて駄目ならもっかい考えよう。あっさり思考を投げ捨てた。


 ちょっと面倒になった。パニックにおちいってもよさそうな状況だと思うが、どこかから見られてたら悔しいじゃないか。


 これが本当にドッキリなら企画倒れもいいトコだろうな。俺を追い詰めたかったら数日がかりのドッキリでかかって来い、だ。




 さてと、そうなると暇を潰す必要があるな。もう眠くない。


 この部屋には面白そうな物は何もない。最低限の家具家電や衣服、あとは食器類ぐらいしかない。昨日、美咲が来なければ洗剤やシャンプーもなかっただろう。


「ハル君、もうちょっと考えなきゃ一人暮らしなんて無理だよ」とかお小言を受けながら近所のスーパーに連れて行かれたおかげで、シャワーを浴びられたようなものだ。ありがとうございます年下。


 ただ娯楽となると本当に何もない。テレビは映らないしパソコンもない。ゲーム機もない。音楽を流せる物もないし流行りの曲も知らない。スマホも通信ができなければただの箱だ。カメラ機能で地球は撮っておいたが見せる相手が今の所いない。




 サンダルを履いて玄関でペラペラとカレンダーをめくってみた。


 5月の写真は子犬だった。6月はミニブタ。7月は…4月と同じく子猫だが種類が違う。めくる度に頬が緩んでくる。たまに戻って何度も見返したりする。


 このカレンダーも美咲が持ってきた物だ。全くあの従妹は俺の事がよく分かっている。


 愛くるしい動物達に癒されながら最後までめくると、12月27日に赤い丸がつけられていた。丸の下には『ハル君の誕生日』と書かれている。おお、あいつ覚えてたのか。毎年間違えてたくせに。


 クリスマスが近いせいで子供の頃からクリスマス兼、誕生日。のようなパーティーをしていた覚えがある。そのせいか、美咲はいつの間にかクリスマスに「おたんじょーび、オメデトー」と言うようになっていた。


 その都度つど、違うと訴え続けていたが、どうしても忘れるらしく毎年クリスマスには同じやり取りをしていた。そのうち自分でも面倒になってクリスマスに普通に祝ってもらっていたが。


 あ。あいつ、未だに覚えられてないから印つけたんだな。ニヘラッと笑う猫が見えた気がした。




 ふと、かすかな違和感に気付いた。


 12月までめくったカレンダーの裏側から、わずかだが光がれている。


「あっ、あああ!」そうか!


 このワンルームから外の様子をうかがうには2つの方法がある。1つは今、真後ろになっているベランダ側から堂々と外を見る事。これはもうやって、結果は地球だ。だがもう1つは試していない。


「誰だ!カレンダーなんか玄関にぶらさげたのは!俺だよもう!」


 大抵、玄関のドアにはのぞき穴がついているもんだ。玄関にカメラがついているような物件じゃなければ。そして俺の越してきたマンションは30年物の中古賃貸で、リフォームのおかげでインターフォンは付いているが、カメラなんて素敵な物は付属していない。


 慌てて最後の1枚をめくり上げて、現れた覗き穴に右目をこすり付ける。そこに見えたのはマンションの廊下。じゃなかった。


 も、り?


 湾曲わんきょくしたガラスの向こうに見えるのは、生い茂る木々。その根本は草におおわれて茂みになっている。まさしく林か森の中の風景だ。都会っ子の俺には馴染なじみの無い景色だ。


 体勢はそのままで、首だけゆっくり背後に向ける。ベランダ側のガラスの向こうには当たり前の様に見慣れた青い球体が見える。地球だ。不思議とホッとする。


 もう一度、覗き穴に目を当てる。森だ。間違いなく森がある。草で隠れて見えないが地面も多分、ある。漏れていた光は木々の隙間から差し込む自然の光だ。




 覗き穴に気付いた瞬間の俺の予想は2パターン。


 ①マンションの廊下が見えた場合。壮大なドッキリでした。お疲れ様です。ドアを開けて外に出てOK。プラカードの人が待っています。


 ②宇宙的な空間、もしくはUFO的な何か。SFな世界に巻き込まれました、様子を見ましょう。宇宙人と会えるかもしれません。


 しかし、正解はまさかの③森だ。




 何分ぐらいだろうか。ぼーっと覗き穴から森を見ていた。いやあ、めっちゃ緑。


 はっと我に返って、一度状況を整理しようと目を離しかけた時、正面の木立の間で何か動いた。いや、そんな気がしただけかもしれない。


 湾曲したガラスを通して何かを見続けるというのは、度が合わない眼鏡をかけ続けるように目が疲れる。ヘタに視力が良いせいで、どんな眼鏡でもこの現象を味わえる。お得だ。うん、それはいいんだ。


 この時点でまぶたが震え始めていた上に、まばたきも忘れていたのでカラッカラに目が乾いている。当然、目薬なんか無い。俺は2回ぐらい使ったら存在を忘れるタイプだ。あとリップクリームもすぐなくす。


 一旦、目を閉じ深呼吸する。目に潤いが戻ってきた事を感じる……セルフ目薬。


 見極める!気合を込めて目を開いた。


 うん。やっぱいるね。


 明らかに周囲の緑とは違った白っぽい物がピクピクと動いている。茂みに隠れて全体は見えないし、小さな覗き穴からでは距離も大きさも判断ができないが、確かに何かがいる。


 草が風にそよいでいるが、その白っぽい何かは違うリズムで揺れている。生き物なのは間違いない。




 そっと体ごとドアから離れ、カーテンのようにカレンダーを元の位置に戻す。


 とりあえず玄関の外は宇宙空間じゃない事が分かった。木があり、草があり、生き物がいて風も吹いている。地上のどこかだ。


 って、どこだよ。マンションの廊下じゃないどころか、地球は反対側だし。






 新しい朝が来た。


 枕元に適当に転がしてあるデジタル時計の目覚ましを、鳴る前にほとんど無意識に止める。表示されている時間は午前5時25分。もう引退でいいだろう。今までありがとう、全くお世話になりませんでした。


 昨日とは違い躊躇ちゅうちょなくカーテンを開ける。部屋には御来光ごらいこうならぬ地球の放つ青い光が差し込んでくる。なんとなく拝んでみる。手は叩くんだっけ、こするんだっけ。


 まず日課のストレッチで体をほぐし軽く運動をする。


 以前はランニングをしていたが、今は筋トレがメインだ。シャワーで汗を流した後、朝食のインスタントラーメンを食べる。


 これで3食連続、具なしラーメン。流石にキツイわ。肉、肉が欲しい。




 昨日、あの後も玄関ののぞき穴を何度か確認したが、時間と共に暗くなって19時頃にはほとんど何も見えなくなってしまった。

 

「さてっと、行きますか」


 深夜まで待ってみたがスマホの電波は回復しないし、誰かが訪ねて来ることもなかった。ドッキリは消えた。


 そして俺が入学式に出ていない上に、連絡もとれない事に、美咲は気付いているはずだ。その従妹いとこの家からこのマンションまでは自転車で30分もかからない距離。


 となると、このマンションかこの部屋だけか分からないが、なんだか謎な事態に巻き込まれているという結論になる。SF説、復活だ。


「何か食い物、できれば果物と……肉は無理でも魚だな」


 ベランダ側に見えている地球も、玄関側の森も、本物だと仮定して行動することにした。助けが来る可能性はかなり低い。自分である程度動かないと先にあの世のお使いかUFOが来てしまう。


 となると当然、出るべき側は……森だ。宇宙空間にも飛び出してみたいが、宇宙服がないと楽しめる気はしない。


「スマホは……時計代わりに持ってくか」


 ちらっとのぞき穴に目を当てる。明るくなって昨日見た森だとよく分かる。部屋にある時計と、ほとんど時差のない土地なんだろう。もしかしたら日本のどこかかもしれない。希望が持てるね。


 夜の間に移動したのか白い生き物の姿は見えない。


「水は要るよな。あと探検といえばチョコレート……かな」


 もちろんチョコレートなんて買っていない。小さめのバックパックにスマホと水筒、最後のインスタントラーメンを入れる。もちろん袋に入ったままだ。万が一遭難したら、こいつをガジガジかじる。そんな自分を想像して、苦笑いしながらバックパックを背負う。


「ま、どうせそんなに移動できないしなあ。昼ぐらいまでにしとくか」


 普段からよく着ている上下黒のトレーニングウェア姿で、同じメーカーのランニングシューズを履く。横に入った3本の白いラインがお気に入りだ。どこのとは言わないが有名ブランドだ。


 さあ初めの第一歩だ。右手で玄関の鍵を開け、そのままノブに手をやる。


 残った左手で壁に立てかけてあった松葉杖をしっかり握った。






 残念ながら、ドアを30センチ開けた所で、初めの一歩につまづいた。


あつっ!くさっ!」


 わずかに開いたドアの隙間から急激に入り込んで来る熱気。嗅ぎ慣れない木々の香り。そして虫や鳥の鳴き声。


 思わずドアを勢いよく閉める。反動で大きくのけ反る体。手から離れる松葉杖。傾いていく視界。全てがスローモーションに見える。


 やべえ、こける。この俺がこけるとかありえない。最後にこけたのは公園で鳩を追いかけた時だ。いつだったかは思い出せない。


 動け全身の細胞!うなれ筋肉!フガッ!


 ……体の向きを反転させる。松葉杖がカランと音を立てて倒れたが、体の軸は残った。ふ、見たか俺のボディバランス。ガチョウかフラミンゴのような体勢で耐えきった。


 もちろん誰も見ていないし、むしろ見られなくて良かった……もし見てたら出て来い、記憶を飛ばしてやる。録画されてるならデータも提出してもらおう。




 今の今まで、4月上旬の肌寒さと心地良さの狭間はざまのような気温に包まれていた。


 業者による清掃が行き届いた部屋には、おかしな臭いも無い。素晴らしい仕事です。そして独り言が反響するほどの無音。ああ、新居最高。


 からの、あまりのギャップに何か分からない汗が止まらない。何だ今の!?


「日本じゃない絶対!いや、沖縄!?」


 沖縄って4月でも泳げるんじゃないかコレ。ああそうだ、森だからハブいるんじゃ?マングース連れてかないとヤバイな。ヤンバルクイナはほとんど飛べない鳥で……


 部屋に逆戻りしてしまったショックで独り言がとどまる所を知らない。だがそもそもマングースはハブよけにはならない。


 あれ?何で部屋ん中は暑くないんだ?


 あれだけ外が暑いなら、部屋の中も相当な気温になってなけりゃおかしい。30年物のマンションの壁にそこまでの断熱性があるとも思えないし、もちろんエアコンは動かしていない。


 それに、ドアを閉めた瞬間に騒がしかった森の音もピタリと止まった。臭いもない。あえて言うならさっき食べたラーメンの残り香ぐらいしかない。まるで部屋の中と外で別の空間だ。これもSFって事だろうか。都合のいい話だな。


 だが、外の暑さが凶悪だからといって、このまま部屋に閉じこもってもいられない。


 沖縄並みに暑いとしても、沖縄にだって人は大勢暮らしている。死ぬ、というほどは暑くない。あれで死ぬ死ぬ言ったら沖縄の人に怒られる。いつか行きたいと思ってるのに住民を敵に回すなんてありえない。まだ本物のマングースもハブも見ていない。でっかい水族館にも行きたい。マングローブの間をカヌーみたいなので抜けていろんな生き物を探してみたい。なんなら住みたい。暑さがどうした。克服してやる。無理だったら部屋に戻る。俺にはシャワーがついている。


 一度バックパックから水筒を取り出し一口水を飲む。思い通りに動かない左足を抱えて、また靴を脱いだり履いたりするのは面倒だ。


 さっき投げ出してしまった松葉杖を拾い上げると、上着のそでをまくって再びドアノブに手をかけた。


「暑いぞ暑いぞ暑い暑い暑い…」


 自分に暗示を掛けながらドアに体を預けるようにゆっくりと開けていく。暑いって言うから暑くなるとかいう都市伝説は信じない。


 さっきと同じ熱気や音が襲ってきたが、覚悟を決めていれば我慢できた。ほらみろ、耐えられたじゃないか。ギリギリだけどな。ようやく初めの一歩を踏み出す事ができた。




 さて。ドアを開けてみて初めて分かったが足元にはそれほど草が生えていなかった。


 のぞき穴から見えていた木々や茂みはドアから10メートルぐらい離れた所から始まっていて、そこまでは不自然なほど下草が短い。芝生っぽいな。アメリカの住宅地みたいだ。


 左右を見廻しながら前進してみる。どっちを見ても同じように芝生のような状態が10メートルほど。その先は完全に森に囲まれている。


 ここを中心に綺麗な円形の庭が出来ているようだ。まるで誰かが作ったように。




 ガチャッ


 背後でドアが閉まった音がして慌てて振り返る。一瞬この森に取り残された気がしたからだ。都会っ子がこんな所に放り出されたら、即、遭難だ。チョコレートの用意はない。


 幸い、ドアは閉まっただけで、しっかりそこに存在した。ログハウスのように木を組んで建てられた小屋の扉として。て……え?


 なんで?壁とか全然違うし。お隣さんドコよ。


 口はパクパク動くが声が出てこない。


 松葉杖をつきながら小屋に近づきドアを確認する。間違いなくあのマンションのドアだ。上の方に【HARUKI】と書いてある見覚えのある小さいステッカーが貼ってあった。犯人は美咲だな。いつの間に貼ったんだアイツ。


 木で出来た小屋は正面から見た感じそう大きくない。こじんまりしたものだ。ドアだけが金属製で違和感がある。

 



 よし出直そう。




 ドアノブに手を伸ばした瞬間、周囲の空気が変わった。


 気温が変化したわけじゃない。日本に戻って半年感じることがなかった……首筋に氷を当てられたような感覚だ。


 シッ


 空気を切り裂く小さな音が耳に届いた。ドアに背を向けるように素早く振り返る。


 もう目の前にまで迫っている。


 反射的に上半身をひねってかわそうとしたが、左足に力が入らない。くそ、体が思い通りに動かないってマジで最悪だ。


「っ!」


 額に触れるかどうか、というタイミングで右手が「矢」を掴み取った。


 は?……弓矢?体中の血が一気に冷えていく。


 握った矢を投げ捨てながら松葉杖を支点にして左に飛ぶ。背負っていたバックパックを身体の前に廻し、着地と同時に盾にして2射目に備える。こんな原始的な武器なら、これでもどうにか防げる。多分。


 ……が、しばらくしても次の攻撃は来ない。


 どうする。素早く部屋に戻るか、相手を確認……いや対処しに行くか。


 矢を掴む瞬間を見られただろう。遠距離を諦めて近付いて来るのを待ち構えているかもしれない。


 だが、ここで対処できなければ、次に部屋を出る瞬間を狙い撃たれる可能性もある。外に出られなくなる。鉄筋コンクリートからログハウスに変わってしまった部屋じゃ、火でもつけられたらハイ終了だ。


 今、飛んで来た矢は1本。囲まれていれば当然もっと飛んで来る。相手は1人だ。今、どうにかしておくべきだ。逃がすと仲間を連れて来るかもしれない。囲まれたらアウトだ。


 もし既に逃げられていれば……この部屋はもう放棄しないといけない。


 ここが沖縄ならそれもアリだが、もしアフリカの奥地とかなら拠点を失うと、死だ。


 頼む、そこに居てくれ殺人者。


 身をかがめたまま、矢の飛んで来た方向の茂みに向かってゆっくり移動する。別の位置に移動しての攻撃もあるかもしれない。気配をうかがう。汗が目に入る。でも閉じるわけにはいかない。




 やはり囲まれてはいなかった様だ。無事に茂みにたどり着いた。逃げられた訳でもなかった。長く伸びた草の陰に俺を狙ったらしい弓が落ちている。


 そして、その奥にはうつぶせで倒れている……子供が1人。


 恐る恐る松葉杖でつついてみるが反応がない。死んでるのか?いや、気を失っているだけのようだ。背中がゆっくり上下している。


「ぷぅ~」いつの間にか止めていた息を吐き出す。


 SFと見せかけてファンタジーってオチか?




 真っ白な髪。その隙間からは髪と同じ色のとがった耳のような突起が2つ。腰の辺りからも白くフサフサとした……尻尾が生えている。


 本物だろうかコレ。




初めて小説を書いてます。楽しいですね。


ちょっと気持ち悪い所を修正。


1話と2話をまとめました。

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