そうしてその少年は死んだ。
本当に、人生何が起こるか分からない。
「君にはこれから異世界に行ってもらうよ!」
掛けられた声は全く止まることなく右から左へと通り抜けていく。
生まれつき目つきが悪かった。
そのせいかしょっちゅう喧嘩をふっかけられた。
はじめはただ殴られて、痛くて、すぐ終わるように祈ることしかできなかった。
けど、ある日、もう何時の事だったかすらろくに覚えていないけど俺は絡んできた奴を返り討ちに合わせた。
たしかその日は……俺自身機嫌が悪かった。
いや、違うか……?
そこらへんの記憶は曖昧だ。
ともかく俺は生まれて初めて暴力をふるった。
あまりいい気分ではなかった。
俺が殴って相手の顔が一瞬歪むのも、蹴ったところを相手が痛そうに庇うのも目をそらしたい光景だった。
何よりも、殴られる痛みも蹴られる痛みも知っている自分がそれを相手に与えていることに吐き気を覚えた。
けど、返り討ちに合わせた後に俺は気付いてしまった。
体がどこも痛くないということに。
そりゃそうだ、殴られてないんだから。
暴力を振るうのは嫌だった。
けど……またあの痛みを味わうのはそれ以上に嫌だった。
ふと思った。
俺を傷つける奴を俺が傷つけて何が悪い?俺は悪くない。返り討ちにあわせろ、と。
分かっている。人を傷つけるのに正当な理由なんてない。
それが分かっているからこそ俺は手を出さなかったんだ。
それでも……分かっていてなお……俺はそれを見ないふりをした。
自分が痛い思いをするのが怖かったから。
どうしようもない臆病者だから。
一度手を出してしまえばあとはもう止まらなかった。
俺はかかって来る奴は容赦なく叩き潰すようになった。
そんな日々を続けるうちに俺は『悪魔』だの『死神』だのと呼ばれるようになっていた。
気づけば俺はもはや条件反射で手が出るくらいにはクズになっていた。
だから、当然周りからは怖がられ友達なんて一人も……うん、一人もいなかった……と思う。
いや、これに関しては俺自身口も性格も悪いのでどのみちできなかっただろう。
とまぁ、なんともろくでもない人生を17年間歩んできたわけだが、そんな俺に転機が訪れた。
なんと、今日の下校中に通り魔というやつに偶然出会ったのだ。
偶然通り魔に出会うとかありえないと思うかもしれないが会ってしまったのだから仕方ない。
見た感じは30代後半といったところか。中肉中背のどこにでも居そうな男。もちろん、手にすでに誰かの血で濡れているナイフがなければの話だが。
目が合うなり「あぁっ」とも「がぁっ」とも違う奇妙な叫び声をあげながら襲い掛かってくる男。
ただ、常日頃から鉄パイプやら金属バットやらどこで買ったのか聞きたくなるくらいにごついナイフやらで襲われてたせいか、その動きは酷く緩慢なものに見えた。
「――ゔっ」
「……何があったら人間こうなるんだ? ……悩みがあるなら聞くだけ聞くぞ? 聞くだけだけど」
ナイフをかわしてそのまま鳩尾に拳を叩き込んだらうめき声をあげながらも大人しくなる男。
正直取るに足らない相手だと思った。だからナイフを取り上げることもしなかった。これが、俺が犯した一つ目のミス。
「――え?」
そして、二つ目のミスはここは人通りが少なく車が通ることができないような細い道とはいえ誰かが来るかもしれないと考えておかなかったこと。
曲がり角を曲がったらナイフを持ったおっさんがうずくまっていたのだ。
さぞかしその運の悪い女子は驚いただろう。実際体の動きが完全に止まってた。
「……あ、あぁぁああっ!」
驚く女子を見てまたしても意味不明な叫び声をあげながら男は先ほどまでうずくまっていたのが嘘のような勢いで襲い掛かった。
「――ひっ……」
不幸なことにその女子は状況に頭が完全に追い付かなくなったのか、それとももう現実を見るのが嫌になったのか、原因はともかく腰を抜かしてしまった。
「――ッ!? バカッ! 逃げろっ!」
そして、これが三つ目にして最大の俺のミス。
俺は気付けばその女子をかばうように抱きしめていた。
――ドスッ
次の瞬間、感じたのは今まで感じたことのない背中から体中に広がるような鋭い痛み。
そして、次に感じたのは体から熱と力が抜けていく嫌な感覚。
もうほとんど力の入っていない腕の中で女子が騒ぐ。
俺みたいな人相の悪い奴に抱きしめられたのが不服だったのだろうか。
そうだとしたら助けようとしたんだから少しくらいは大目に見てほしいものだ。
……もう、何を叫んでいるのかも分からないけれど、その声につられて人が集まってきたらしい。
良かった。
今更だけどわざわざかばうようなことしなくても後ろから男を止めることもできないことはなかったな。
何やってんだ俺……考えなしにも程があるだろ……
……まぁ、ほとんど無意識で突っ込んでいったから仕方ないか。
……なんか……眠いな……
気が付けば、先ほどまで感じていた寒さは収まり心なしか暖かいような気すらしていた。
……疲れたし……ちょっとだけ…………
そうして少年、『悪魔』だの『死神』だのと恐れられた高校二年生の少年、信道明輝は、柄にもなく名前も知らない赤の他人を助けようとして――死んだ。