第10話:花の香り
数日後、京の料亭に入る人影があった。
「宮部さん。」
「よう、桂さん。遅かったな。」
椅子に座っていた大柄な主は後ろを振り返ってニタッとした。そして前に座るように指差した。
「・・・遅いのは当たり前ですよ。先日の件で幕府からも藩からもあちこち呼び出されて、ホーント大変でしたからね。」
大げさにため息をついて宮部の前に小五郎が座る。
しばらく沈黙―。
「あなたでしょ。」
上目遣いに宮部を見やる。
「何のことかな?」
「とぼけないで下さい! あなたが先日の長州藩士たちの暴走をあおったんでしょ。新選組なんていうあやしげな団体の内部崩壊を狙って―。」
「ははは。桂さん、想像力が豊かだな〜。馬琴のように小説書くか?」
「勘弁して下さい・・・。ただでさえ、長州でたきつけられた若い連中がやたら京に入ってきているんですから・・・。」
宮部は首の後ろをぼりぼりかくと、割り箸の角で卓をごんっと叩いて小五郎をまっすぐ見た。目の奥に鋭い光が見える。
「あんたの推理、当たらずも遠からずだが、一つだけ全く違うことがあるぞ。俺はあんたと違って新選組なんてただのごろつき浪士の集団、取るに足らないものだと思ってる。わざわざ内部崩壊させるまでもないだろ。だが、そんな奴らでも敵だ。少しは情報が欲しい。それでどんな奴らか試してみたまでのことよ。」
小五郎はため息をついた。そんなことに長州の連中を使われてはたまらない。だが、彼の中に人にそこまでさせてしまう魅力があるのは認めざるを得ないのだ。
「それで、どうでした?」
「・・・少しは骨のある奴もいるようだな。ある種厄介かもしれん―。だが、最後に勝つのは俺たちだ。」
再び沈黙―。
小五郎はやおら胸元から懐紙を取り出した。中には胃薬が入っている。
「まだ治らんのか? お前、体弱いなあ。」
あきれ声が飛ぶ。
「誰のせいだと思ってるんですか! 全くもう。あなたといい、晋作といい、無茶ばっかり。後始末する立場のことも少しは考えて下さらないと。」
宮部はにやっと笑った。
「今は時代が動いてるんだぜ。今無茶しなくて、いつ無茶するんだ?俺は俺のやり方でこの世を変える。」
宮部は立ち上がり小五郎の肩を強く叩いた。
「まあ、見てな。その頃にはあんたも胃薬とおさらばだぜ。」
そして手を上げて店を出て行った。
小五郎はため息をついて一気に薬を飲み干した。
(今度は一体何をするつもりなのか―。)
口の中に苦い味が広がった。
* * *
同時刻―。
総司は夜空を見上げながら、歳三が言った言葉を反芻していた。
歳三が肩を抱いてくれていた時に言ってくれた言葉。
――俺を信じろ、総司。俺は俺のやり方でこの世の表舞台に出てみせる。お前が不安に思えないくらい強くなってやるから、俺についてよく見とけ――
ええ。土方さん。もう迷ったりしません。私もあなたと一緒にどこまでも強くなっていきたいんです。
星がまたたいた。そんな気がした。
* * *
翌日。
「総司、これ土方さんから渡すようにって頼まれたんだが―。」
新八が持ってきたそれはあのかんざしだった。飾りの花は欠けボロボロになっていた。
総司は黙って受け取った。
彼女はあの後、歳三に一部始終を話してくれてたのだろうか―。
(すずさん、無事に帰れたんだ。)
ほっと息をついた総司に新八が声をかける。
「それ、例のかんざしだろ?」
「?」
「ほら、左之と一緒に買いに行ったっていう―。」
総司は赤面した。ある程度覚悟していたとはいえ、かなり恥ずかしい。
「大変だったんだぞ。なんで左之の奴と行ったんだ―!って、土方さん、怒り狂ってたからな。」
そして大げさに息をついてみせた。
「で、俺はこれよりよっぽどセンスのいいのを選んでやるってさ。息巻いていたぜ。」
総司と新八は大声で笑った。曇りのない笑いであった。
(あとですずさんにお礼を言いに行こう。その時は土方さんの選んでくれるかんざしを持って―。)
かんざしはほのかに花の香りがした。