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とある少女と魔法使いの鏡  作者: 八剱ユウ
Ⅰ,ローグと切火
2/62

母の死

 イィィィィッ






 夏に入る少し前だった。切火が五歳のとき、母が死んだ。

 死因は事故。

 車の前に飛び出した切火を庇ってのことだった。



 切火は、赤い地面に伏した母を見ていた。

「ママ、どうしたの?くるま、いっちゃったよ」

 答えは無い。

 冷たい恐怖が幼い背中に這い寄る。切火は追い立てられるように母を揺すった。

「やだ、ママ、ママ、どうしたの?おきて、へんじして!」

 投げ出されている手を縋る様に取る。


挿絵(By みてみん)


 ぎゅうっと握り締めると、どくん、どくん、と暖かなものが脈打つのがはっきりと感じられた。

 そのとき、少しだけ母は目を開くと微笑んだ。

「切火、ちゃん…、良かった、お怪我、ない?」

 うん、と首を縦に振ると、母は「よかった」と言って黒い瞳を細めた。

 その後すぐに母は駆けつけた救急車に乗せられてしまい、つながれていた手は呆気なく解けてしまった。


 そして二日後。

(どうして?)

 温かみの消えた小さな両手を見下ろしながら、もう一度(どうして?)と思う。

 黒い服を着た自分。

 周りの啜り泣きや悔いるようなざわめきはただ遠く、切火は母が眠り込んでいる窮屈そうな狭い箱を見る。

 ユリやラン、キクなどの鮮やかな花々に囲まれた母は、夢のように美しかった。

 切火は促されるままに手に持った一輪の白いユリを母の頬の辺りに置く。

 くすぐったいかな、と思ったが、母は気にせず眠っている。その頬はユリの花弁に負けないほど白かった。

 ふと、儚い幻を追う様な気持ちで手を伸ばした。

 花の間から覗く、お腹の上で組まれた母の手に触れる。

 

 冷やり、とした。

 

 切火は目を見開き、確かめるように握り締めようとする。

 そしてさらに驚いた。

 母の手は冷えているだけではなかった。

 固いのだ。人形のように。氷のように。

 ちらっと母の顔を見た。眠っている…。

 持ち上げようとしても、信じられないほど母の手は重く、容易には動かせない。

 せめてもと片方の手を苦心して握り締めると、決定的な事実に気付き、愕然とする。



 何も感じられない。



 暖かさはもちろんのこと。

 あの瞬間の、切火の存在に応えてくれた柔らかな脈動が、一切感じられなかった。

 何ひとつ。

 石のように硬いそれは、切火の手に残酷なまでの冷気を刻み付けた。

 そして悟る。



 これは、これが、―――――死。



 サアッと周囲の喧騒が蘇り、毛布のように切火をくるみ込んだ。

 世界は一瞬にして鮮やかさを取り戻し、何もかもが鮮明に幼い心に押し寄せた。



「かわいそうに。享年が二十八だというなら、まだ二十七?」

「歩道に突っ込んできた車に撥ねられたのですって」

「亭主を見なよ。気の毒に……」

「お子さんの身代わりになったというじゃない」

「居眠り運転だと」

「運が悪かったのよ。……可哀想に」



 哀悼の意が掛けられる中、一つの言葉が切火の耳に突き刺さった。



お子さんの身代わりになったというじゃない。



 人の体とは思えないほどに冷たい手を見下ろす。

 母は動かなくなった。

 それは何故か?

 母はこんなに固く冷たくなってしまった。

 それは何故か?

 そのとき思い至った。

 そうだ。そうなんだ。

 何故ならば。



お子さんの身代わりになったというじゃない。



(ママがしんだのは、わたしのせい……)



 わたしのせいだ。






 その日は父と一緒に眠った。葬儀の途中で失神した切火を心配したからだ。

 眠る前、父から一つのものを受け取った。

 切火にも見覚えのあるそれは、鏡だ。

 円形の鏡で、大きさは切火の手のひらほど。

 母がいつの日も大切に使っていたもの。

 今の切火にとっては母の一部で、二日以上前の何事も無かった日々の残滓。

 そう思うと、父が傍にいるのに切火は一人ぼっちの気がした。

 ぎゅっと握りしめたまま横になり、切火は目を閉じる。

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