第七夜
(…アルジャン=ラルジャンだと?)
宙を飛び交う銀色を躱しながら、ルーセットはその名前を思い出す。
『アルジャン=ラルジャン』
十年ほど前に噂になっていた吸血鬼の異名であり、その名は『銀』を意味する。
銀を武器にして、何人も吸血鬼を殺し続けた同族殺し。
その最期は純血によって粛清されたと言われているが…
(生きているってことは、純血の手を逃れたか)
躱し損ねた銀のナイフがルーセットの肩を掠めた。
鈍い痛みを感じ、肩から血が零れることを感じる。
(…若しくは、純血が『逃がしたか』)
ぽた、と血が地面に落ちる。
本来、吸血鬼は腕が取れても再生できる魔力を持つが、銀は魔力を弾く性質を持つ。
銀の武器で傷つけられた傷は魔力で再生し辛く、その身に取り込めば更に弱体化する。
(…傷の治りが遅い。防戦は不利か)
地面に落ちた自分の血を踏みながら、ルーセットはラルジャンを見る。
表情は変わらず無表情で、冷たい銀のように静かに殺意を向けている。
「おいおい、過去に何があったのか知らないが、お前は一体何を求めて吸血鬼を殺しているんだ?」
「………」
「同族を殺すことは否定しないさ。欲に忠実な吸血鬼同士、争うことも珍しくない。だが、他者を殺してまで叶えたい欲望がないのは良くないな」
夢も欲望もなく殺し続けることに思う所があるのか、ルーセットは少し不機嫌そうに言った。
ルーセットもラルジャンも同胞殺しと言う意味では同じ裏切り者であることが気に障ったのかもしれない。
その非難めいた言葉にラルジャンは冷笑を返した。
「目的ならある。醜い吸血鬼に身を落としても叶えたい目的が」
怒りを込めた拳を握り締め、ラルジャンは眼前の吸血鬼を睨む。
「復讐だ」
それは静かな怒りだった。
激情に呼応するように、宙に浮かぶ銀のナイフが震える。
研ぎ澄まされた刃に亀裂が走り、金属が擦れるような音が鳴り響く。
「爆ぜろ!」
怒号と共に、全てのナイフが弾けた。
十を超えるナイフが砕け散り、無数に分かれた破片が宙を舞う。
それはまるで散弾のようにルーセットへ襲い掛かった。
「チッ!」
ルーセットは忌々しそうに舌打ちをする。
その数は最早、躱すことは出来ない。
一つ一つの殺傷力は落ちたが、体内に破片が一つ残るだけでも重傷だ。
速さも能力もラルジャンが上。
ルーセットは悪足掻きするように、自らのイクリプスを発動する。
その時だった。
「…あ?」
胸に違和感を感じ、思わず声が出る。
時間が酷く遅くなり、ルーセットはゆっくりと下を向く。
ルーセットの胸から銀の剣が生えていた。
破片ではない、銀の剣が背中からルーセットを貫通している。
血を吐きながらルーセットは背後を見る。
自販機に突き刺さっていた銀の剣がなくなっていた。
(そうか、最初に投擲した剣を…銀を操る能力で…)
理解した所で、もうどうにもならない。
背中からルーセットを貫く剣からは、吸血鬼を蝕む銀が流れ込む。
思考すら麻痺したルーセットの身体を散弾と化した破片が蹂躙した。
「………」
血溜まりに沈む吸血鬼をラルジャンは静かに見つめる。
あらゆる外傷を再生できる吸血鬼だが、全身に銀を浴びた状態で再生は出来ない。
銀とは、陽光と並ぶ吸血鬼の天敵。
魔力で生きる吸血鬼にとって毒に等しく、大量に取り込めば死亡する。
地に伏すルーセットの身体はぴくりとも動かない。
それを見て、ラルジャンは眉を動かした。
右手に銀の剣を握り、ゆっくりと倒れるルーセットに近付く。
地面に流れる血を踏み締め、その遺体の首を刈り取るように剣を振り下ろす。
瞬間、ルーセットの身体は無数の蝙蝠となって拡散した。
「ッ!」
「「「はっはっはっは! 死んだふり作戦失敗かぁ。何で生きてるってバレた?」」」
蝙蝠達は反響音のように喋り続ける。
けらけらげらげらと嫌な音で笑う蝙蝠達は、まるで幕のようにラルジャンを包み込んだ。
「死んで灰にならない吸血鬼がいるか」
銀の剣で蝙蝠を斬り捨てながら、ラルジャンは無表情で答える。
一匹また一匹と斬られた蝙蝠は地に落ちるが、勢いは少しも衰えない。
「「「やっぱそこかぁ! でも、しっかり罠には嵌まってもらったけどね」」」
「何…!」
がくん、とラルジャンの体勢が崩れた。
蝙蝠を躱しながら剣を振るっていたラルジャンの足を、黒ずんだ手が掴んでいた。
地面から手だけが生え、ラルジャンの足を強い力で握っている。
「いや、コレは…!」
否、正確には地面から生えているのではない。
ルーセットから零れ、ラルジャンが踏み締めた血。
流血が黒ずんだ手に『変化』している。
「変身能力。大した力もないが、何事も応用なのだよ」
蝙蝠が集結し、元のルーセットの姿に戻る。
その右手に、自分を貫いた銀の剣を携えて。
「お返しだ!」
体勢を崩して隙だらけなラルジャンへ、ルーセットは銀の剣を振り下ろした。
ラルジャンの身体を地面に縫い付けるように、その身を貫く。
わざわざ自分と同じ腹を狙ったのは意趣返しだろう。
「が、ああああああ!」
「イイ悲鳴だ。これでこっちも溜飲が下がるってもの………っと」
真横から飛んできたナイフを躱し、ルーセットは距離を取る。
その隙にラルジャンは剣を引き抜き、立ち上がった。
無理矢理引き抜いた腹部からは、大量の血が零れているが既に再生が始まっている。
銀で貫かれた割に再生が早い。
やはり、ラルジャン自身は銀に耐性を持っているようだ。
「銀を操り、銀に耐える能力か。やっぱ強いねぇ。俺の能力と交換しない?」
「はぁ…はぁ…!」
ルーセットの軽口にラルジャンは答えない。
答える余裕がないように見える。
(…再生能力自体はそんなに高くないのか?)
「まだ終わりじゃないぞ、吸血鬼!」
血を吐くように叫び、ラルジャンは右手を振り上げる。
月を掴むように翳された手は、月光を浴びて白銀に輝きだした。
厳密には、輝いているのは手ではなく手を纏った銀。
破片や剣から溶け出た銀でコーティングされた『銀の手』だ。
「行くぞ!」
異形の手を携えて、ラルジャンは駈け出す。
「隠し偽れ…」
影が立体化し、ルーセットを不気味に包み隠す。
暗い影がルーセットの正体を隠し、虚像を生み出す。
それこそがルーセットの能力。
「『シメール』」
影を纏いながら、ルーセットはその名前を呼んだ。
吸血鬼
・吸血鬼は蝙蝠や人間など自在に姿を変えることが出来る。