第四夜
「それじゃあ、まずはご主人様と呼んでもらおうか」
「………」
「いや、それよりもお父様? お兄様と呼ばれるのも捨て難い」
楽しそうに笑いながらルーセットは言う。
鼻歌でも歌いそうな程にご機嫌で、その目を向けられたヴェガは青い顔をしていた。
あまりの事態に罵倒する余裕すらないようだ。
だらだらと冷や汗を流しながらルーセットから目を逸らし、必死に現実逃避している。
「さて!」
「ヒィ!?」
突然、ルーセットが肩に手を置いたことでヴェガは飛び上がる。
先程までの傲慢で強気な態度はどこへ消えたのか、まるで小動物のような悲鳴だった。
それを見て、ルーセットはサディスティックな笑みを浮かべる。
「…まあ、君をイジメるのは後にするとして。取り敢えず帰ろうか」
閉じた蝙蝠傘をくるくると回しながら、ルーセットはヴェガに背を向ける。
貞操の危機を感じていたヴェガは安堵の息を吐いた。
「…どこへ連れていくつもりですか」
「どこって俺の家だけど? そろそろ夜明けだし、君にも寝床は必要だろ?」
言われてヴェガは空を見上げる。
いつのまにか空は白み始め、星は姿を消していた。
太陽は吸血鬼の天敵である。
様々な伝承で語られる通り、ルーセットやヴェガは日光の下で生きることが出来ない。
彼らの魔力は全て月から得る力である為、月のない日中は弱体化する。
故に日中はどこかに身を隠し、睡眠を取る必要がある。
「ここで日光浴したいと言うなら、このまま置いていくけど?」
「………」
「野宿するのはやめた方がいいよー。人間は俺みたいに紳士な奴ばかりじゃないから、寝ている所を襲われるなーんてことも…」
「ああ、もう! 分かった、分かりましたよ! あなたについて行きますよ!」
ヴェガはルーセットを睨みつけながら、悔しそうに叫んだ。
この男の思い通りになることは悔しいが、口で勝てる自信がない。
そう顔に書いてある。
本当に、弄り甲斐のある娘だ。
このような可愛らしい追っ手ばかりなら苦労はしないのだが…
ルーセットはひそかに一つため息をついた。
(久しぶりに魔力を使ったな………人間の『町』はあのジジイの領地外。すぐに襲われることはないと思いたいが)
物思いに耽るルーセットの視線の先には、地団太を踏むヴェガがいた。
こんな若い吸血鬼にすら居場所を特定されてしまったのだ。
純血共にも居場所は知られていると考えた方がいいだろう。
それでも彼らが襲ってこないのは、ここが食料である人間の町だからか。
若しくは…
(権力闘争、か。純血も一枚岩じゃないからな)
吸血鬼の敵は人間などではない。
吸血鬼の敵は常に内部。
不死身の身体を持つ吸血鬼を殺すのは、当然同じ吸血鬼だ。
以前から存在した純血同士の派閥争いが激化して、ルーセットに構っている余裕がないのだろう。
(それならそれで、やり様はあるな)
蝙蝠と呼ばれた吸血鬼は、ほくそ笑む。
『蝙蝠』とは常に強い方に付き、それが揺らぐとあっさりと寝返る者の蔑称。
様々な派閥に入っては、それを裏切り続けたルーセットに付けられた異名。
軽蔑と畏怖を以て呼ばれる名を受け入れて、ルーセットは笑う。
「何、一人でニヤニヤしているのですか」
呆れたようなジト目でヴェガが言う。
「いや、帰ったら君に何を着せて遊ぼうかなって妄想していたのさ」
「なっ!?」
「可愛いドレス? マニアックに首輪だけとか?」
「な、な、な…!」
わなわなと震えるヴェガ。
みるみるうちに顔が赤く染まり、ルーセットを睨みつける。
「わ、私はそんなことしませんからね!」
「君、眷属。俺、ご主人様」
「奴隷にもそれくらいの自由はあってもいいと思います!」
ぜーぜーと息を吐きながら言うヴェガを見て、ルーセットはまたほくそ笑んだ。
からかい甲斐のある眷属を得たことに喜びながら、自宅へ歩き続ける。
吸血鬼から身を守る為に努力することは大切だが、それだけではつまらない。
折角生きているのだから、自由に楽しまなくては。
吸血鬼
・吸血鬼の天敵は日光であり、直接光を浴びると灰になって死滅する。