すねこすりの怪
クラスでは最近、変な噂が流行していた。流行、という言葉を使い間違えている気もするけれど、役不足、という言葉を正しく使うことが出来ない大人たちが沢山いるのだから、別に気にする事でもないのだろう。
その噂は、まさに怪談。非現実的で非論理的、非科学的、非、非、非、非、並べればキリが無い。
噂の内容はこうだった。
町で一番の大金持ちが住んでいた家が潰れたのは、呪いだ。だとか。
その家の四人の女の子は生まれてすぐに死んじゃって、お母さんの温もりもほとんど感じられなかったから、毎晩毎晩通りすがりの人を見つけては、抱っこをせがむように、人を転ばすんだそうだ。何故転ばすかは、四人は赤子のとき死んだから、這うように、足元に擦り寄って来るんだとか何とか。
家が潰れた呪いは猫の呪いだとか金の呪いだとか。
―――鼠の呪いだとか。
まあ、そういった下らないような内容だったと思う。
この現代でも、やっぱりそういうのは流行るのだ。お化けだとか、神だ悪魔だ、崇りだ奇跡だ、と。
無意味だ。
そんな下らないことに対して興味を持つならば、公式の一つや二つ覚えたり、英単語のスペルを一つでも多く覚えたり、年号を覚えたりするべきだ。
そんなだから、中学校に入ってから馬鹿をみる破目になるんだ。
「ねえねえ、里奈ちゃんはあの噂、どう思う?」
同じクラスの、田中さん(下の名前は覚えていない。覚えたくもない)が話し掛けてきた。
いつも教室でべちゃべちゃと馬鹿騒ぎしている連中の一人だ。
彼女の言うあの噂とは、当然、前述のことだろう。
「ぅぅん、知らないわ……」
私は嫌悪感をなるべく表に出さないように、柔らかに答えた。つもり。
田中さんは興味無さげに、
「ふ~ん、ならいーや。んじゃ」
と言うと、いつものグループの中へ戻っていった。最初から話し掛けないでもらいたい。
始業のチャイムが鳴った。
太陽がもう西の空に沈みかけている頃。部屋の窓に西日が差し込むので、カーテンは閉めた。
電気のスイッチを入れる。
本棚から問題集やら何やらを取り出し、机の前に座る。椅子にもたれかかりはしない。
部屋には鉛筆で紙に何か書く音しかしなくなった。
気づけばもう夜になっていた。壁掛け時計を見てみると、時刻は午後十時半。
空腹感も無かったが、もう両親も帰ってきている頃だと思い、リビングへと向かう。
階段を降りると、言い争いをしている声が聞こえた。どうせ両親であろう。
何だか気分が悪くなって、リビングの扉ではなく、玄関の扉を開けて、家の外に出た。
小学生が夜の十時半に外をうろついていれば、間違いなく誰かに見つかって、無駄に叱られ、家に帰されるであろう。だけれど、家に帰りたくは無かった。
私は行く宛てもなくふらふらと歩き、いつの間にか、家がある方向とは真逆の位置にある、第二公園に来ていた。この公園、第二と言うくせに、第一は無いという、おかしな公園であった。
何となく、公園に入っていく。どうせ行く宛ても無かったのだから丁度良い。
ベンチに座る。
寒い。真冬だと言うのに、今の格好は寝巻き同然。そりゃあ寒いはずだ。
だけど、それも気にしなかった。家に帰りたくない今の私にとっては、ここに居た方が良い。
「みゃあ……」
一匹の子猫が近づいてきた。捨て猫だろうか。でもどっちだっていい。猫は、嫌いだ。
私の気持ちに反して、子猫は近づいてくる。最初はその内どこかへ去るだろうと気にしないようにしていたが、段々近づき、去ろうともしない子猫に苛苛とし、子猫を蹴り飛ばす。
子猫は悲鳴を上げて吹っ飛ぶ。流石にやり過ぎたかもしれない。でもそれは関係の無いことだ。
余計に苛苛してきて、気分も居心地も悪くなったので、公園から出ようとベンチから立ち上がる。
そして一歩踏み出したとき、盛大に転んでしまった。
何につまづいたのだろう。障害物は無かったはず。
そう思って、足元を見る。だが何も無い。
何も無いところで転んだのかと思うと、とても屈辱的で、それでいて滑稽で。
立ち上がろうと、地面に手をつける。
ふと、前面を見た。
「ひっ!?」
思わず悲鳴を上げる。
大きな大きな、鼠が、そこには居た。
鼠をじゅるりと涎を啜る音をたてる。
兎に角逃げなきゃと思い、まず立ち上がろうとする。だが、立ち上がれなかった。
余計パニックになって、より必死に立ち上がって逃げようとした。でも、立ち上がれない。
再び、足元を見た。
そこに。
足にはがっちりと、四匹の子猫達がしがみついていた。良く見れば、先程の子猫もいた。
四匹の子猫達は、見ているのに気が付いたのか、此方を向くと、不気味な笑顔を見せた。口元をニタリと歪ませて。
「「「「逃・ガ・サ・ナ・イ」」」」
四匹の子猫達が、そう、言った。確かに、逃がさないと。
兎に角何とか逃げだそうとする。だが、無理だった。
いつの間にか、鼠は異様なくらいの数の猫に変わっていた。
沢山の猫達は、ざわざわと周りに集まって、覆いつくそうとする。
厭だ。厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ。
死にたくない。死にたくない。
ただ、家に帰りたくなかっただけなのに、何で。何で。
そこで、あの噂を思い出す。
その家の四人の女の子は生まれてすぐに死んじゃって、お母さんの温もりもほとんど感じられなかったから、毎晩毎晩通りすがりの人を見つけては、抱っこをせがむように、人を転ばすんだそうだ。何故転ばすかは、四人は赤子のとき死んだから、這うように、足元に擦り寄って来る――――。
猫の呪い。
鼠の呪い。
この猫は、家に帰れない、四人の赤子なんだ。だから。家に帰らない人間が、不可解で、不快で、腹が立つんだ。
いやだ、まだしにたくない、おうちに、おうちにかえりたい。
かえして、おうちに、かえしてよ……!!
みゃあ。
家に帰りたかった筈の女子小学生、小倉 里奈は、沢山の猫達に埋もれて、喰われていく中で、視界の端に、自分が幼稚園の時に死んでしまった、当時中学二年生の兄を見た気がした。その瞬間、里奈は何だか心地が良くなって、意識を、命を、自分を、手放した。
沢山の猫達は、女児の肉をベンチ裏の茂みで喰らっていた。
そんな時、何者かがベンチに座った。
その何者かは、大層困った顔をして、溜息を吐いていた。
九十九 肇である。




