一作品目 針
作者 日暮
都会の喧騒から少しでも身を離したくて、緑に囲まれた公園のベンチに一人座っていた。何をするでもなく、ただ噴水を眺めていた。時折細やかな水飛沫が顔に触れるため、直射日光が肌を焼くこの季節には嬉しかった。そうして思案を巡らせるでもなく呆けていると、突然ベンチの隣に少女が座ってきた。
「君、ツいてるね。運が」
これが僕と彼女の出会いだった。
「近い未来、君は運がツくよ。これは決められた未来で変えられない運命だ」
初対面の人間からそんなことを言われると、嫌が応にも宗教か或いは詐欺を疑ってしまう。だからなるべく関わらないようにベンチを立って去ろうとした。
だが、少女はその行動すら織り込み済みだったのか、去る僕にこう伝えた。
「私の言ったことが本当だったら、また明日同じ時間同じ場所に来てよ」
警戒を解かないまま僕はベンチを後にして家に帰った。
玄関に入る前に靴裏の汚れを落とそうと、二つの靴をはたいていたら犬か何かの糞がついていた。
少女の発言の真意を察した。
翌日、僕はまた公園のベンチに座り噴水を眺めていた。相変わらず跳ねる水がひどく心地よかった。
森林浴に来ただけなんだ、と心の中では思っていた。しかし本心としては例の少女に関心を持っていたのだろう。
とはいえ、まだ少女が本当に未来を予知したと信じきっているわけではない。当然何かのトリックではないのかと疑っているし、トリックなら十中八九関わってもロクなことにならないだろうということもわかっている。
だから理性ではここには来るべきではないとわかっているのだが、来てしまった。
少女が来るのを待つまでの間、時間を潰す目的で本を読んでいた。無警戒な鳩が近づいてきた。餌をもらうことを期待しているのか、あるいはベンチの下に餌があったのだろうか。
本を読んでしばらく時間が経った。昨日と同じ時間に来い、と言ったのは少女であるにも関わらずすでに太陽が傾いている。鋭い西陽が突き刺すように僕の肌と目を焼く。
「それは……『タイムマシン』かな? いい趣味してるね、時事ネタだ」
不意に頭上から声が聞こえた。
例の少女だ。ベンチの後ろから僕を覗き込んでいた。
「誰のせいで時事ネタになったと思っているんだ」
咄嗟に出た返事がこれだ。そもそも僕と少女の二人の話題を時事ネタ表現するのはあまりにも滑稽なのだが。
「で、ツいてた?」
「おかげさまで犬の糞がね」
皮肉めかしてそう答えた。
「じゃあやっぱり私の未来予知は当たったんだね。何よりだよ」
「予知って……本気で言ってるの?」
少女は黙って首肯した。
「僕は君のことを詐欺か、もしくは宗教なんじゃないかって疑ってるよ」
「英会話の教材とか興味ない?」
……やっぱりロマンス詐欺なのか? だが生憎と少女はふざけている様子だったのでその心配は無用だろうと思う。
「もしかして同級生か、もしくは同窓生だったりする? 僕は一切君のことなど記憶にないけれど」
そう僕が言うと、少年は眉尻を僅かに下げて目を伏せた。
「そうだね、じゃあ一応名乗っておこうか。私は時枝衣。君は?」
「僕は……」
一瞬本名を名乗るか迷った。詐欺を疑っている今、個人情報を明け渡していいものかと悩んだからだ。だが、偽名を考えるのも面倒くさかったので言うことにした。
「僕は常磐千尋。常磐自動車道のジョウバンに千と千尋のチヒロ」
ぶっきらぼうな態度でそう言うと、少女は微笑を浮かべた。
「いいね。『トキ』仲間だ」
未来予知に関する話題で二人とも名前に『トキ』がつくのは、いわゆる運命というヤツなのかもしれない。だが所詮運命と偶然の両者に何ら違いなどはない。
「そんなことより、未来予知って何なの? 時枝、君は超能力者なのか?」
「そんなに結論を急がないでよ常磐千尋。いつかわかることさ、それが未来であり運命だ。じゃあ私はもう行くね、そろそろ半額シールが貼られる時間だ。ちなみに君の晩御飯は唐揚げだよ。半額シールが貼られたやつだ。じゃあまた明日ね」
時枝がそう言い残して去っていった。
今日の僕の晩御飯は……言うまでもないだろう。
……スーパーの出来合いの唐揚げだ。
さらに次の日、僕はまた公園のいつものベンチに座っていた。昨日と同じ『タイムマシン』を読みながら。
太陽が南中してからさして時間も経っておらず、依然として紫外線が強く地上を照らす。
「よっ、千尋。唐揚げは美味かったか?」
今日もまた、頭上から声が聞こえた。
「時枝……」
不可解なこいつの登場の仕方にも随分と慣れてきた。
「そろそろお前の超能力について教えてくれ」
今一番気になっていることを直接的に聞いた。
「別にいいけれど、期待しているような回答は出せないと思うよ」
そう前置きをして時枝は僕に超能力について教えてくれた。
曰く、その力は世界の法則に反するものである。
曰く、その力は何種類も存在している。例えば時枝の『未来を観る力』、あるいは『水銀の汗をかく力』はたまた『ホクロやイボを吸盤に変える力』等々……挙げていったらキリがない。
曰く、死んだらその力の効力及び本人が世界に与える影響を失う。
曰く、その力が世界に及ぼす影響が大きいほど大きな代償が発生する。
そして彼女自身の予知能力については
見る未来は視覚情報だけである。
全てが見えるわけではなく大抵の場合は断片的な世界しか見ることができない。
未来が発生する具体的な日時は分からないが周囲の状況からある程度推察できる。
といったのが超能力について分かっているある程度のことらしい。
代償、というのが不穏に感じたが、時枝によると
「私の予知能力はあくまで見る専門だ。見るだけじゃあ未来は変わらないんだよ。よって世界には何の影響もない。めでたしめでたし」
と語っていた。
「せっかく会えたんだしどこか遊びにでも行こうぜ」
と時枝が言った。
断る理由もなかったので賛成した。
「じゃあゲーセンにでも行こうか、賛成しようがしまいが結局は行く未来なんだけれどね」
と言われたので少し逆張って見たくなったので、僕は彼女に反対して映画館に行くことを提案した。
「もちろん」
と一つ返事で了承されたので少し疑問に思った。
「結局ゲーセン行ってないじゃん」
これで僕は未来が変わった、あるいは最初から時枝には映画館に行く未来が見えていたにも関わらず嘘をついたのは。はたまた未来が見えるなど嘘っぱちでタネがあるのか。
などと思考を巡らせていた。
超能力などという馴染みも現実性もないことなんて考えるものじゃないな、酷く混乱する。
「おーい、千尋」
と呼ばれて意識が現実へと向く。
映画館の売店の順番が来ていたのだ。
「あー、えっとポップコーンのキャラメルとコーラください」
と咄嗟に答える。
商品を渡される時に、同時に一枚の紙切れをもらった。
何だろうかと訝しんでいると、その紙の正体はクレーンゲームの無料券だった。
やっぱり映画を観た後にゲームセンターに行く運命なのだろうか。
映画を観ている間も時枝の超能力について色々と考えていたためあまり集中できなかった。時折彼女の顔を見てみると面白いくらいに映画の状況と表情がリンクしていた。緊張するシーンでは顔を強張らせ、感動するシーンでは涙を拭う、というように。
「あー面白かった!」
映画を観終わっての第一声がそれだったのできっと本来は面白い映画だったのだろう。映画よりも非日常な存在が隣にいさえしなければ。
「じゃっ、そういうことだしゲーセン行こっか」
と時枝がいう。あえて反抗してみると
「じゃあ私が一人で行ってくるよ。君はそこで指咥えて待ってな」
と言うので映画館のソファに座ってしばらく時間を潰していると、突如男の叫び声が聞こえた。
無視するわけにもいかないので声の方向に行ってみると、カスタマーハラスメントの現場に遭遇した。
ゲームセンターの音がうるさいとか言って騒いでいたのだ。ゲームセンターがうるさいのは当たり前だろうに。
「怖っ、あういうの本当にいるんだな」
と独りごちていると、ポンと肩を叩かれた。
「来たね、ゲーセン」
後ろにいたのは当然時枝だ。
鬼の首を取ったような、勝ち誇った腹の立つ表情をしている。
「これでもうわかったよね。私がホンモノだって」
「あのカスハラが時枝のサクラっていう可能性は?」
「サクラで警察に連行されて行くのは流石にかわいそうだよ」
ここまできたらもう僕には信じることしかできない。彼女は本当に超能力者のようだ。
しばらくゲームセンターで遊んで帰った。帰りの電車で、疲れたのか時枝は深い眠りについていた。
私は、夢を見ていた。二つの夢だ。
一つはただの人間でもみることのできる極めて一般的に形容される“夢”だ。
私の小学校の頃についてである。
その時すでに超能力者となっていた私は、見えるだけで変えられない未来に酷く悩んでいた。
例えば同級生の少女がいじめられていた時、私はその少女に忠告したのだ。未来を変える少しの可能性を祈って。
「靴、気をつけた方がいいよ」
次の日、その少女は上履きの中に隠されていた画鋲を踏む羽目になった。そして私の忠告を見ていたいじめっ子は正義の味方を気取る私を嫌ったのか、いじめの犯人を私に仕立て上げた。その結果は古今東西一緒である。次は私がいじめられる番だ。
未来が見えるというのは意外と悪くないものだ。予め起こることがわかるから心の準備ができる。とは言っても次第に精神はすり減るものだ。
だが、転機は意外にも家庭科の授業中に訪れた。
その前日の夜、同級生の少年がミシンで指を貫く未来が見えたのだ。
授業中半ば無意識でその少年に
「気をつけたほうがいいよ」
と伝えた直後に自分の過ちに気付いた。
「あっ、今の……気にしないで」
その時こそ少年はポカンとした顔をしていたが、授業も後半に差し掛かる頃、悲鳴が聞こえた。
内容は察していた。
授業は一旦中断された。
そして授業が終わった頃、少年が私のところにやってきた。なんて言われるかの未来は見えない。少し警戒していた。
「ありがとう!」
無邪気に少年はそう言い放った。
「……なんで? 結局あなたは怪我したのに」
「でも教えてくれたじゃん」
“ありがとう”。そのたった一言で私は救われたのだ。
その少年の名前は、常磐千尋。
家庭の事情で私の苗字は当時と変わっているから彼が私のことを覚えていないのも無理はない。小学校の頃も別に親しかったわけではない。
二つ目の夢は予知夢だ。常磐千尋についての。
今まで見てきた予知夢に比べて酷く朧げで視界にノイズがある。
だが、そのノイズを上書きするくらい周囲はもっと荒れていた。太陽すら霞むほど眩しい物体が空にあり、街の人々が慌てふためき走り回っている。視界が上を向く。
空にあるのはおそらく隕石だ。地面に落ちている新聞から推察するにおそらくその日は11月8日。今日が10月10日だからおおよそ1ヶ月後か。
1ヶ月後に日本は終わる。
「大丈夫? 時枝」
千尋の声で私は目を覚ました。
酷くうなされていたようで彼は心配そうに私を見ている。
「ん? あーちょっと寝不足でね」
必要以上に気丈な態度を出して誤魔化す。さもなくば私にとって隕石など比べ物にもならないほど最悪の未来が精神を埋め尽くしてしまうからだ。
その最悪の未来とは、常磐千尋の死である。
隕石が落ちるという未来を見たのはおそらくすでに死んだ千尋の魂だろう。
これは千尋にも隠していることなのだが、私の超能力は本当は未来予知などといった生温いものではない。
その能力の真の姿は、『運命の固定』である。接触した人間の運命を数分間分固定するという力だ。たった数分といえど、無限にある運命を一つに収束させる。それにより失われるエネルギーは計り知れない。さらにエネルギーは保存される。
詰まるところおそらくあの隕石は失われたエネルギーが補填されるために“世界”が引き寄せたものだろう。
隕石は私が世界を変えるという罪を人類に贖わせるための罰だ。だから本来私一人が背負うべきものなのだ。
こんな酷い運命も見たからには目を逸せない。だがおかげさまで人類を守るという大義名分で私の覚悟は決まった。
常磐千尋の死。隕石の墜落。全ての因果は明日完結する、させるのだ。
「急に呼び出してごめんね」
次の日、私はいつもの公園に千尋を呼び出していた。
「時枝ってそんなことで謝罪なんてするっけ、風邪でも引いたの?」
千尋がおどけるように言った。少ししおらしいのがバレている。
「私をなんだと思ってるんだい、それくらい私だって言えるんだよ」
気づかれない程度だが、声が微かに震えているのが自分でわかる。
「で、何かの用事?」
「いや、暇だったから。今日は君が行きたい場所に行こうか」
そして彼はホームセンターに向かおうとする。
「じゃあホームセンターでいい? 買い足したいものがあって」
「もちろん」
そう答えて目的地へと足を動かす。
「歩きながら少し話をしてもいいかな」
そう前置きをして話を始める。
「私、本当はこんな都会には居たくないんだ。人が多いとそれだけ見える未来も増えるから情報の洪水で疲れるんだよ。でも私はここに縛られている。そういう運命だから。運命というのは変えられないから運命なのだから。私は君をその変えられないものから変えにきたんだ。」
私はこれから嘘になる真実を千尋に伝えなければならない。
「千尋、あなたは今から一分後に暴走したトラックに轢かれて死ぬんだ」
当然千尋は困った表情を浮かべる。
「でも大丈夫。私が全てを変えるから。あなたの死も。墜落する隕石も。全てきっかけ一つで変えられるから」
覚悟を確固たるものにするために深呼吸をする。
千尋が私を心配するような瞳でこちらを覗く。
ああ、そんな目で見られたら、揺らぐなあ。
例のトラックが暴走を始める。
それに気付いた周囲は騒ぎ出すが、裏腹に私と千尋を取り巻く世界は以前静寂である。
「時枝……お前何言って……」
「超能力は本人が死んだら効力を失う」
さらにその人間が及ぼす影響即ちこの世界に存在した全ての記録がなくなる。
「だから君は死なないし隕石は落ちない。万事解決だよ」
この世界に私は居ないことになるから被害者はゼロ。紛れもないハッピーエンドだ。
もしも消えない私がいるとするのならば……
トラックが私たちのところに突っ込んでくる。
世界がゆっくり進んで見える。
唖然とした千尋を突き飛ばし、反動で車体に吸い込まれる。
トラックから弾けたパーツの一つが彼の左目を裂く。流石に無傷とはいかないかあ。
遂にトラックと私の体が接触する。
「忘れないで、そして思い出して。私の名前は衣」
無識に、そう言っていた。なんの意味も無い言葉だ。
だが、もしも消えない私がいるとするのならば、きっとそれは苗字が変わる前の私だろう。
彼なら私を見つけてくれる、という楽観的確信を掴んで私は世界から消えた。
遺骸も残らないだろう。
物語は終わった。
「ねえ、知ってる?」
噂が大好きな年頃の小学生女子たちの高い声が響く。
「世界には消えちゃった人たちがいるんだって」
信じられないとでもいうような声がこだまする。
「それでね、そんな可哀想な人たちを見つけてあげてる人がいるんだよ」
「その人は左目に傷が入っているんだってさ」
《了》




