第21話 和泉先生が壊れた
「……玲? 俺の可愛い可愛い生徒に何をしたのかな?」
いつもより1段も2段も低くなった声で、和泉先生は問う。横からアニエスと類くんの声が聞こえた。
「可愛いって2回言いまシタね」
「強調したね」
仲良しかと突っ込みたくなるのは、きっとわたしが現実逃避を望んでいるから。和泉先生は、あの1年生3人にすら、ここまでの怒りは浮かべていなかったはずだ。
こちらに手を伸ばされたと思ったら、ぐっと和泉先生に抱き寄せられる。こういう時なのに、じわりと頬は熱を持つ。先生は玲さんの方を向いて、絶対零度の視線のままにっこりと笑顔を浮かべる。……笑った時の方が怖いなんてどういうことだろう。
「玲、それで君は何をしたのかな?」
「何をしたも、見ての通りだったと思うが?」
玲さんは楽しそうに、余裕のある風に笑っている。
「そっか。じゃあ、もう俺はここに来なくていいね? もちろん深町さんも来ないから」
和泉先生がそう言った途端、分かりやすく焦った表情を浮かべた玲さんは、わたわたと手を動かした。今の言葉のどこに動揺するポイントがあったのか、全く見えてこない。
「君が寂しいっていうから定期的に来てたけど、……もう、俺は来なくていいよね?」
「え」とか「ちょっと」とか、そんな言葉にならない声を上げながら、機嫌を取るようにふわふわと浮いている玲さん。それとは対照的に、にこにこと笑ったままの和泉先生。わたしはどうしてか先生の腕の中にいる。旧校舎に行く用事というのは玲さんに会うためだったらしい。
「俺の可愛い可愛い生徒に手を出したんだからね? 教師としては、ね?」
幽霊なはずなのに、どんどん顔色が悪くなっていく。もはや真っ青だ。
「ご……」
玲さんは不自然に言葉を詰まらせる。そして大きく息を吸った。
「……ごめんなさいもう二度としませんあと未遂です安心してください面白いとか思ってごめんなさい許して」
そうやって一息に言って述べた。さっきまでの自信も余裕も、もはや今の玲さんにはない。和泉先生の「来ない」という言葉にここまで動揺するとは、よっぽど1人でいることが寂しいのだろう。そういえば、旧校舎にいる幽霊は寂しがりやだと聞いた覚えがある。
和泉先生は、早口で並べられた言葉を咀嚼して、「は?」と意味が分からないとでも言いたげな声を出した。
「……未遂?」
その言葉に玲さんはこくこくと頷く。視線を向けられたから、慌ててわたしも同意するように頷いた。先生はまだ疑っているのか、玲さんとわたしとの間で忙しく視線を動かしている。
それを見かねた類くんは言った。
「ちゃんと未遂だよ。ぎりぎりまで顔を近づけてただけ」
「ワタシたちが証言できマス!」
しばらくの沈黙の後、和泉先生はとにかく長いため息を吐いた。それも、わたしの頭を撫でて、わたしの肩に突っ伏しながら。たぶん今、わたしの顔は茹で蛸のようになっていると思う。たとえこんな状況でも、好きな人にそうされるのは嬉しいものらしい。同時に、恥ずかしいものだ。
わたしたちの方を見ながらアニエスたちはこんなことを話していた。
「……和泉先生が壊れた」
「どうしてくれるんデスかー?」
「お、オレのせい……?」
「当たり前デスよ。でも、グッジョブデス」
アニエスと類くんが親指を立てる。
「それにしても、どうして玲さんはおでことかじゃなくて伊都先輩の唇を狙ったの?」
「そりゃあ……そっちの方が焚き付いてくれるだろ? 何より面白い!」
「「確かに(デス!)」」
ふと、頭を撫でる手が止まる。わたしの肩から顔を上げた和泉先生には、絶対零度の気配が戻っていた。
「何が面白いのかな、玲?」
その後、玲さんがしっかりと怒られたのは、言うまでもないだろう。
失ったもの:
伊都、和泉日色への恋心という隠し事。
和泉、深町伊都はただの教え子であるという認識。
アニエス、自分1人だけの友達。
類、友達がいなくても楽しく生きていけるという心。




