第19話 人間のキャパシティーは限られている
状況を整理しよう。
和泉先生と2人で旧校舎を歩いていた。突然物音がした。それに驚いたわたしはすぐ側にあった腕へと抱きついた。……つまり、わたしは和泉先生の腕に抱きついているということだ。
そんな状況で、わたしたちは時が止まったかのように見つめ合っている。先に動き出した和泉先生は、くすくすと笑った。困ったような表情をされると思っていたばかりに、わたしはまた動けなくなる。
「大丈夫だよ、さっきの物音の正体は分かっているからね」
安心させるように言われて我に返る。先生の腕から勢いよく離れて、参ったというように両手を上げた。それがまたツボにはまったのか、くすくすと笑い声が聞こえてくる。和泉先生はしばらく笑った後、「行こうか」と左手を差し出してきた。
この手は一体どういうことだろうか? この状況でこの手を差し出してくるというのは、手を繋ぐくらいしか思いつかないけど、そんなものはわたしの勘違いに決まっている。
「もし怖かったら手、繋ぐ?」
……どうやら勘違いではなかったらしい。手を繋げたら確実に安心できる。そうしたら、また驚いてさっきみたいに抱きつくなんてことにはならないはず。何より、好きな人と手を繋ぐなんて嬉しすぎる。溢れそうになった羞恥心を押し除けて、おずおずと右手をその手に乗せた。
温かくて、大きくて、少しごつごつしている和泉先生の手。……男性の手だ。
そんな風に思ったら、押し除けていたはず羞恥心がじわじわと戻ってくる。
あくまで何でもないように振る舞って、和泉先生に手を引かれて歩き出した。
「深町さん、本当にお化けが苦手なんだね」
どこか楽しそうに言って述べた先生を見て、少し前のことを思い出す。アニエスが禁断の果実を食べた日、保健室で話した時に垣間見えた腹黒さ。和泉先生はお化け屋敷で怖がる人を見て楽しむ派だろう。
そう考え付いたら、拗ねたような声が出た。
「……だって怖いですから」
相変わらず楽しそうに「そっか」と笑った和泉先生。……少しくらい意趣返しをしたっていいだろうか。
「でも、こうしてたら大丈夫です」
ぎゅっと先生と繋いでいる右手に力を入れる。その顔から視線を逸らした直後、はっと驚いたような気配がした。我ながら、なかなか大胆なことをしてしまった……。
ちらりと視線を戻してみると、先生は綺麗な笑顔でわたしを見ていた。そこはかとなく、嬉しさのような気配がする。
「そっか」
和泉先生がまたそう言ったと思ったら、繋いでいる手に優しく力が入れられた。その笑顔よりもその言葉よりも、何よりも今の先生の心を見せてくれたようだと思う。
嬉しい。そんな心が右手越しに伝わってきた。
……すごく、すごく嬉しい。頬に熱が集まってくる感覚と共に、わたしの視線は足元を向いた。
「——相っ変わらず腹が黒いなぁ、日色?」
突然、聞いたことのない男性の声がする。
「そういう君は相変わらず余計なことを言ってくれるね、玲?」
その声に和泉先生は驚きもせず返している。ちらりと、視界の端に何かが映った。……半透明だった? まさか、そんなわけはない。禁断の場所——旧校舎にいる幽霊の話なんて、作り話に決まっている。心臓の加速を感じながら、ゆっくりと声の主に視線を向けた。
「うるせー、お前にだけは言われたくない」
口を尖らせてそう言った短く切り揃えられている黒髪と同じ色のタレ目の男性は、体が半透明で、ぷかぷかと宙に浮いている。
「……足、あるんだ」
人間は受け止めきれないものと出会うと、一周回ってよく分からない風になるらしい。……もう、キャパオーバー過ぎる。
ふらりと意識が暗闇に落ちていった。




