・5 幻覚
彼女は死んだ。死んだんだ。
会えない方が当たり前なんだ。
じゃあ今まで見ていた彼女はなんだ?
幻覚か?
そうかもしれない。
彼女が死んで、頭がおかしくなって、幻覚を見ているのかもしれない。
「お母さんの言うこと、ちゃんと聞いてるの!?」
お母さんの怒鳴り声。
考え事から頭を切り替えて、お母さんの話に耳を傾ける。
「奈々ちゃんのことはもう忘れなさい! 死人に構う暇なんて学生にはないのよ?」
「うん……」
また怒鳴っている。聞くだけ無駄だった。
今はただ空返事でやり過ごす。
「はぁ……じゃあ仕事に戻るから。明日からはちゃんと学校に行きなさい。分かったわね?」
「うん」
そうしてお母さんは仕事に戻る。
家に帰って来てからもずっと仕事。僕と向き合うよりもパソコンと向き合っている方が多いくらいだ。
もうお母さんなんてどうでもいい。もう会えない奈々のこともどうだっていい。
気持ちがヤケクソになる。
「お風呂……入ろう」
頭も体も一旦洗い流したい。
お風呂に入る支度をして、早々に入る。
湯気が上がる浴槽の水面。覗いても誰かがいる訳がない。
僕は頭と体を洗い、そして流す。彼女との思い出も全て流すように。
「……っ」
落ち着かない。早々に体全体を洗い流して、湯舟に浸かる。
水の中には誰もいない。
いや、いる。
自分以外のものが水の中にいる。
「奈々……」
今頃になって出てきて──
「もう出てこなくていいよ」
もういらないのに。
「奈々はもう死んでいるんだから」
また彼女が出てきた。
今度は全身。湯舟から姿を現して、上半身だけでなく下半身もくっきり見える。
もう生きているというレベルで彼女がそこに存在していた。
「どうして……」
彼女が顔を寄せてくる。
「どうしてまた出てきたの?」
「ねぇ……」
「!?」
彼女が話しかけてきた。
それっぽく聞こえた僕の声でも、なにかの音でもない。確かに彼女の声が耳に入った。
僕は彼女の顔を見る。
「こっちに来ない?」
口を開いて、まるで生きているように話して、彼女が誘ってきた。
「どうやって?」
「こうやって」
聞くと、彼女の両手が僕の首を掴む。まるで首を絞めるような格好。なのに彼女は首を絞めない──殺して来ない。
「死ねばいいの?」
「うん。それで、ずっといられる」
死ぬことが出来るなら、ずっと彼女といることが出来る。
もうどうでも良かったのに。諦めて生きていこうと思ったのに。
ずっといられる、そんなことを聞いたら僕は──
「……奈々、殺してくれる?」
僕は死ぬことを決意した。
「ごめん、これ以上力が入らない」
「分かった……じゃあ、また後で会おう」
「うん。待ってる」
また会う約束をして、彼女は去る。
活力が、希望が、湧いてきた。
どうやって死ぬか、考えながら僕も風呂場から去る。