授業日
これは僕の初めての創作です。皆さんに気に入ってもらえるといいなと思います。
「ジリジリジリ、ジリジリジリ」
耳障りな携帯のアラーム音が静寂を破り、俺の意識を現実世界へと引き戻した。全身の力を振り絞って重たいまぶたを開け、半分眠ったままの状態で手を伸ばし、ベッドサイドの携帯を手に取った。充電ケーブルを抜き、画面に触れてアラームを止め、ぼんやりとした視界で時間を確認する。
6時30分。
その数字を見た瞬間、まるで空気が抜けたように力が抜け、俺は再びベッドに倒れ込んだ。柔らかな布団が体を包み込み、意識がだんだん薄れていく中、再び耳障りな音が聞こえてきた。
「ジリジリジリ、ジリジリジリ」
諦めの溜息とともに、俺はもう一度起き上がり、しびれた指先でアラームを止めた。重い体を引きずるようにしてベッドから立ち上がり、窓際に歩み寄ってカーテンを開ける。まだ薄暗い外の景色が目に入り、夜明け前の静寂が感じられた。
エアコンのスイッチを切り、涼しい空気が部屋に流れ込むのを感じながら、制服のズボンに着替えた。上着を手に取り、静かに部屋を出て浴室へと向かう。廊下を歩きながら、両親の部屋の前を通り過ぎると、閉まったドアの向こうから微かな寝息が聞こえてきた。彼らはまだ夢の中にいるのだろう。
......
朝の準備を終え、書斎に戻ってリュックを手に取った。玄関へ向かおうとした瞬間、昨日靴下を洗うのを忘れていたことに気づく。「しまった」と小声で呟き、急いで部屋に戻って靴下を探し、やっとのことで見つけ出した。
玄関で靴を履き、深呼吸をして心を落ち着かせてからドアを開けた。涼しい朝の空気が肌を撫で、目の前に広がる住宅街はまだ静かだった。自転車に乗り込み、ペダルを踏み始める。いつもの通学路を進みながら、俺の心の中では今日一日への期待と不安が入り混じっていた。
......
田園風景が広がる道を進み、眠たげな商店街を通り過ぎ、いつもの交差点に差し掛かる。長い時間待たされる信号の前で停まると、遠くに通っている高校の校舎が見えてきた。
「はぁ、やっと着いた」
大きなあくびをしながら、小声でつぶやく。朝の冷たい空気が肺に染み渡り、少しずつ眠気が覚めていくのを感じた。まずは学校の向かいにある店で朝ご飯を買うことにした。温かいパンの香りが鼻をくすぐり、空腹を思い出させる。
その後、学校の敷地内に入り、自転車を停めた。朝日に照らされた校舎を見上げながら、今日も一日がんばろうと自分に言い聞かせる。階段を一段一段上がりながら、各階の様子を観察する。二階、三階、そして最後に四階に到達し、ようやく俺の教室に辿り着いた。
教室の入り口には「一年十五組」と書かれたクラスプレートが掲げられている。それは学校全体で学業成績が最も優秀なクラスを示すバッジのようなものだった。誇りと重圧が同時に胸に広がる。
教室に入ると、まだ人の気配は少ない。俺は三列目の一番後ろの席に向かい、リュックを下ろした。窓際の席からは、朝日に輝く校庭が見える。黒板に掛けられた時計を見上げると、時間は7時32分を示していた。
......
俺以外に、教室にはすでに三人が来ていた。静かに本を読んでいる女子、スマホをいじっている男子、そして宿題を必死に終わらせようとしている男子。それぞれが朝の時間を過ごしている。
俺が来たのを見て、前の席に座っている男子が振り返って言った。
「おい、瀧雪。社会のレポートやったか?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが凍りついた。
「そうだ、社会のレポートがあったんだっけ!」
俺は驚いたふりをして言ったが、内心では焦りが広がっていた。
「それで、何かいい方法あるか?」
彼の口調には諦めと期待が混ざっていた。
「さあ、他のメンバーに任せるしかないんじゃない?」
俺は少し考えてから答えた。グループワークだったことを思い出し、少しほっとする。
「それしかなさそうだな。」
彼がそう言って元の位置に戻ると、俺も席に着き、朝食を取り出して食べ始めた。パンを噛みしめながら、今日の予定を頭の中で整理する。
......
8時になると、教室は活気に満ちていた。クラスメート全員が揃い、それぞれが朝の準備をしている。俺たちのクラスは30人で、席は6列に分かれていて、1列に5人が座っている。整然とした配置が、このクラスの秩序と規律を象徴しているようだった。
突然、英語の小先生が教室に入ってきた。彼女の手にはテストの束が握られている。クラス全体が一瞬静まり返り、緊張が教室中に広がった。
「おはようございます。今日は抜き打ちテストです。8時30分までに終わらせてください。」
小先生の言葉に、クラスメートたちの間でため息や小さなうめき声が聞こえた。テストが配られると、それぞれが自分なりの戦略で問題に取り組み始めた。
中には教科書を取り出して必死に内容を確認しているやつもいれば、自信を持って素直にテストを書いているやつもいた。俺はというと、分かる問題だけを書いて、分からないところは右隣の男子の答えをちらっと見ていた。罪悪感と焦りが入り混じる中、時間との戦いが始まった。
......
8時30分になると、小先生がテストを回収し、教室には一瞬の静寂が訪れた。その後、ドアが開き、担任が颯爽と入ってきた。彼の姿を見た瞬間、クラスの空気が一変する。
担任は物理を教えているが、授業を始める前にいつも何か大げさな話をするのが好きだった。彼の話は、モチベーショナル・スピーチというより、時にはプレッシャーになることもあった。
「みなさん、物理の教科書以外の本は片付けてください。」
彼の声が教室に響き渡る。
「授業は真剣に受けるべきだ。真剣に授業を受けることで、将来いい成績を取ることができる。成績が良いからといって必ずしも将来に役立つとは限らないが、一流企業に入るための最善の方法だ。そして、一流企業に入ることで、その分野のトップの人材と出会ったり、自分自身がトップの人材になれるチャンスが生まれるんだ……」
彼の言葉は延々と続き、俺たちには他のことをするのを許さず、集中して聞くように強制する。教室中が緊張感に包まれ、誰もが真剣な表情で先生の話に聞き入っているように見えた。
しかし、俺の心の中では別の声が響いていた。
「へっ! どうして皆が彼の言う通りに進むべきだと思うんだ? 親に強制されなければ、俺はこのクラスを受験することも、この学校に来ることもなかったかもしれない。」
俺の夢は、金融や株式の知識を学んで、そこで十分なお金を稼ぎ、軽井沢に住んで、毎日自然に浸りながら、京都や大阪に美食を楽しみに行くことだった。ただそれだけなんだ。緑豊かな山々に囲まれた静かな別荘で、朝は鳥のさえずりで目覚め、夕方には温泉に浸かりながら夕日を眺める。週末には京都の古い町並みを散策したり、大阪で新しい味を探求したり。そんな自由で豊かな生活が、俺の心の奥底で燻っていた夢だった。
でも、このクラスに入った時点で、それは遠い、ほとんど不可能な目標になってしまった。ここでは、ただ一流大学で一流の理系学科に進むための人材を育てるだけだ。個人の夢や希望は二の次、いや、考慮の対象外なのかもしれない。
すべては親のせいだ。俺は彼らの期待に従って医者になり、たくさんのお金を稼ぎ、特別な人間になるしかないんだ。そう思うと、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
しかし、俺はこの生活が本当に自分の望むものなのか疑問を抱かざるを得なかった。この決められた道が、俺に本当の満足や幸せをもたらすことができるのだろうか? それとも、ただ周りの期待に応えるだけの人生を送ることになるのだろうか?
俺は深く息を吸い込み、気を散らさずに、先生が黒板に書いている複雑な物理の公式に注意を戻そうと必死になった。黒板には無数の難解な記号や数字がびっしりと書かれていて、俺のぼんやりとした視界の中でそれらはまるで一つの混沌とした霧のように見えた。方程式や図表が踊るように黒板を埋め尽くし、それらを理解しようとする頭の中はまるで嵐の中にいるようだった。
自然と俺の視線は教室の窓の外に移り、そこには明るい日差しの中で、木々の葉が穏やかな風に揺れている生き生きとした光景が広がっていた。青い空、白い雲、そして遠くに見える山々。その景色は、俺の心を慰めるかのように優しく語りかけてくるようだった。
今この瞬間、俺はこの息苦しい教室から抜け出して、あの木陰に横たわり、温かな日差しが顔に当たる感触を感じながら、疲れた心と体を一時的に癒やしたいと思った。自由に空を見上げ、風の音を聞き、大地の匂いを嗅ぎたかった。そこでなら、本当の自分を取り戻せるような気がした。
「伊達君、この問題に答えてくれるか?」
先生の大きな声がまるで雷のように俺を現実に引き戻した。教室中の視線が一斉に俺に集まり、その重圧で背筋が凍りつくのを感じた。
俺は慌てて身を起こし、心臓が激しく鼓動し始めた。まるで胸の中から飛び出しそうだった。冷や汗が背中を伝い、手のひらが湿っているのを感じる。まずい、また授業中にぼんやりしてしまった。急いで黒板を見渡し、数秒のうちに先生が出した問題を理解しようとした。しかし、頭の中は真っ白で、何も浮かんでこない。
「えっと……これは……」
俺が口ごもりながら答え始めると、教室中の皆の視線が一斉に俺に集まり、その圧力でさらに緊張と不安が増していくのを感じた。額に汗が浮かび
俺が口ごもりながら答え始めると、教室中の皆の視線が一斉に俺に集まり、その圧力でさらに緊張と不安が増していくのを感じた。
そんな緊迫した瞬間、隣の席の佐藤が俺の困った様子に気づき、そっとノートを俺の方に押しやった。俺は素早くそのノートを一瞥し、そこに書かれた答えを確認した。
「先生、この問題について考えた結果、Dが正解だと思います。」
俺はあたかも自信満々に答えたかのように振る舞い、声には微かに震えがあった。
「ほう、それではその理由を詳しく説明してもらえるか?」
先生は俺の突然の自信に少し驚いたようで、試すような口調だった。
俺は深呼吸し、佐藤のノートに書かれた重要な情報を思い出しながら答えた。
「この問題の数値を万有引力の公式 F=(GMm)/R^2 に代入すれば、この結論が得られると考えました。」
俺はなるべく平静を装って説明しつつ、内心では間違っていないことを祈っていた。
説明を終えた瞬間、この問題は思ったよりも難しくないことに気づいた。緊張のせいで一瞬理解できなかっただけだった。
先生は満足そうに頷き、「よく答えた、伊達君。ただ、次回はもっと集中して授業を聞くようにね。」と言った。
俺はほっとして、小声で佐藤に「本当にありがとう、君に救われたよ。」と言うと、彼女は微笑んでまた黒板に目を戻した。
これが「エリートクラス」と呼ばれる俺たちの日常だ。表向きは、俺たちは学校で最も優秀な生徒で、ほとんどの問題にすぐに答えが出せる。たとえ授業中にぼんやりしても、テストで悪い成績を取ることはないだろう。しかし、この華やかに見える表面の下では、俺と同じように、巨大なプレッシャーと期待の中で苦しんでいる人がどれほどいるのだろうか?
授業の終わりのベルが鳴ると、教室はすぐに騒がしくなった。クラスメートたちは一斉に立ち上がり、体を伸ばし始めた。ある者はすぐにスマホを取り出し、ゲームを始めて他の友達を誘ったり、さっきの授業内容について熱心に議論する者もいた。
俺はゆっくりと教科書や文房具を片付けながら、周囲のクラスメートたちを観察していた。皆、自分のグループに属していて、笑い合ったり、リラックスした雰囲気だった。しかし、俺はどこか自分が部外者のように感じていた。教室にはいるものの、心はまるで見えない壁で隔てられているようだった。
俺もスマホを取り出し、クラスのグループチャットで行われているミニゲームに参加した。ゲームの中で、俺は簡単に他のクラスメートを凌駕し、トップの座を手に入れた。この仮想世界での成功感が、俺の孤独感と不安を多少なりとも癒してくれた。
……
いくつかの授業が過ぎていった。それぞれがまるで耐久戦のようで、俺の注意力と忍耐力を試されている気がした。
「瀧雪、食堂に行かないか?」
前の席に座っている山田翔平と同じクラスの原田智樹が口を揃えて聞いてきた。彼らは俺がクラスで話しかける数少ない相手の一部だ。
俺は少し迷った。正直、一人でいたい気持ちが強かった。自分の思考に浸りたいと思った。しかし、あまりにも孤立するのも良くない。競争の激しい環境で孤立することは最悪の状況だ。「いいよ、一緒に行こう。」俺は無理やり笑顔を作り、答えた。
俺たちは混雑した廊下を抜けて食堂へ向かった。道中、山田は最新のゲームやアニメの話を延々と語り、原田も時々口を挟んで自分の見解を共有していた。俺は半分だけ意識を向け、適当に頷いたり相槌を打ったりして、話に積極的に参加しているように見せていた。
食堂へ向かう階段のところで、竹之下弘と出会った。彼はエリートクラスの生徒ではないが、俺が数少ない親友の一人だ。彼の存在は俺を少し楽にさせた。彼と一緒にいるときは、「優等生」であることを装う必要がなかったからだ。
俺たち四人は一緒に食堂に行った。
食堂は人で溢れていて、空気中にはさまざまな食べ物の香りが漂っていた。揚げ物、カレー、寿司の匂いが混ざり合い、俺たちの食欲を刺激していた。なんとか空席を見つけ、座って昼食を楽しみ始めた。
「ねえ、みんな聞いたか?」弘が突然声を潜めて言った。彼の謎めいた様子が俺たちの好奇心を引き立てた。「三年生の高橋先輩が退学するって噂だよ。」
俺は少し驚いて眉をひそめた。「退学?なんで?あの人はずっと模範生だったじゃないか。」
弘は周りを見渡し、誰も聞いていないことを確認してから続けた。「どうも、プレッシャーが大きすぎたみたいだ。彼はずっと学年一位で、みんな彼が東大に行くのは間違いないと思っていたんだ。でも、最近の模擬試験で、彼の成績が急激に落ち込んでいるらしい。彼は深刻な不安症状が出ていて、もう普通に勉強を続けることができないんだってさ。」
俺は食べ物を静かに噛みしめながら、何とも言えない複雑な気持ちになった。高橋先輩、あのいつも教師たちから模範とされていた完璧な生徒が、まさか耐えきれなくなるとは……。もし彼がこのプレッシャーに耐えられないのであれば、俺たち普通の生徒はどうすればいいのか?このニュースはまるでハンマーで打ちのめされたかのように、俺の心に重くのしかかった。
本当に恐ろしいことだ...」俺は思わず呟いた。その言葉は、心の奥底から絞り出されたような、重い響きを持っていた。「成績のために、自分をここまで追い込むなんて...」
山田は深刻な表情で頷いた。彼の目には、同情と恐れが混ざっているように見えた。「そうだな。でも、この学校にいる限り、他に選択肢はないんじゃないか?」彼は少し間を置いて続けた。「うちの親なんて、毎日のように言うんだ。良い大学に入れなかったら人生終わりだって。」
その言葉に、俺は苦い笑みを浮かべた。親の期待、社会のプレッシャー、そして自分自身の不安。これらの重圧は、俺にとってあまりにも馴染み深いものだった。「ああ、その台詞は耳にタコができるほど聞いたよ。」
昼食を終え、俺たちは重い足取りで教室に戻った。午後の授業は英語と地理。どちらも俺にとっては頭を抱えたくなるような科目だ。教室に入ると、周りの生徒たちは既に席に着き、次の授業の準備を始めていた。その光景を見て、俺は再び現実の重さを感じた。
...
英語の授業が始まった。教壇に立ったのは、海外留学経験のある若い女性教師だ。彼女はいつも情熱的に授業を進める。流暢な発音で次々と英単語を口にし、文法規則を熱心に説明していく。
しかし、俺の耳には、それらの言葉がまるで異星人の言語のように聞こえた。黒板に書かれる単語や文法規則は、まるで解読不能な暗号のようだ。俺は機械的にノートを取りながら、心ここにあらずの状態だった。
ペンを動かしながら、俺の思考は別の場所へと飛んでいった。「もし、こんな授業を受けなくてもよかったら...」そんな妄想が頭をよぎる。「成績のことで悩まなくてもいい生活って、どんなものだろう?」
普通の仕事に就いて、決まった時間に出勤して帰宅する。週末には映画を観に行ったり、友達とゲームをしたり。そんな生活は、今の俺には天国のように思えた。毎日がストレスフリーで、自分のペースで過ごせる。そんな生活を想像すると、今の現実が余計に息苦しく感じられた。
しかし、現実は厳しい。俺はこのエリート教育という名の檻の中に閉じ込められている。本当に望んでいるのかどうかも分からない未来を、必死に追いかけるように強いられている。その重圧は、まるで巨大な岩のように俺の肩にのしかかっていた。
...
地理の授業が始まった。年配の地理教師が、禿げ上がった頭を輝かせながら、厳めしい表情で教室に入ってきた。彼は慣れた手つきで教科書を講台に置き、クラスのコンピューターを起動させた。
「では、今日の発表を始めます。」彼の声には、いつもの単調さが感じられた。「テーマは水文学に関する問題です。」
最初のグループは5人の女子生徒で構成されていた。彼女たちが発表を始めると、教室の空気が変わった。しかし、熱心に聞いているのは教師だけのようだった。他の生徒たちは、おしゃべりに興じたり、他の科目の問題を解いたりしていた。驚いたことに、教師はこの状況を黙認しているようだった。
第二グループの番になると、原田と他の4人の男子が立ち上がった。彼らは躊躇することなく、「先生、すみません。僕たちは発表の準備ができていません。」と告白した。
教師の反応は意外なものだった。「来週までに提出しなさい。それと、グループ全員の授業態度評価から10点減点します。」
その言葉が教室に響いた瞬間、全員の動きが止まった。驚愕の表情が教室中に広がる。この成績至上主義の学校で、10点の減点がどれほど重大なことか、誰もが理解していた。
俺は教師のこの対応に違和感を覚えた。授業態度の評価なのに、実際には宿題の提出状況で点数をつけている。しかも、授業中にさぼっている他の生徒たちには何も言わない。この矛盾した状況に、俺の中で怒りが湧き上がってきた。
「次は第三グループです。」教師の声が、再び教室に響いた。
俺は、山田と他の3人の男子と同じグループだった。互いに顔を見合わせたが、誰も前に出ようとしない。居心地の悪い沈黙が教室を支配した。
「おいおい、もしかして君たちも準備できてないの?」第二グループの誰かが、からかうように声をかけてきた。その言葉に、さらに緊張が高まる。
隣の佐藤が、俺の腕をそっと叩いた。「ねえ、君たちの番だよ。わかってる?」彼女の声には心配が滲んでいた。
俺は無言で頷き、グループのメンバーを見渡した。しかし、誰も動く気配がない。深いため息をつきながら、俺は立ち上がった。講台に向かって歩き出す。山田の肩を軽く叩き、一緒に来るよう促した。
コンピューターの前に立ち、俺は自分のアカウントでログインした。そして、既に準備していたファイルを開いた。山田に向かって、「よし、発表しよう。内容に沿って読み上げればいいから。」と声をかけた。
山田は驚きの表情を浮かべた。「えっ? 共有フォルダーには何も入ってなかったじゃないか。朝、聞いたときも準備できてないって言ってたよな?」
俺は彼に向かって微笑むだけで、質問には答えなかった。そして、静かに自分の席に戻った。
山田の困惑した表情を背に、俺は自分の行動の意味を考えていた。確かに、朝は準備ができていないと言った。でも、実際には個人的に資料を作っていた。なぜ嘘をついたのか、自分でもよくわからない。仲間を助けたいという気持ちと、自分の努力を認めてほしいという矛盾した感情が、俺の中で渦巻いていた。
教室の空気は緊張感に満ちていた。クラスメイトたちの視線が、俺と山田に集中している。教師も、少し困惑した様子で俺たちを見つめていた。
グループのメンバーを助けることはできたが、同時に彼らの怠慢を許すことにもなったのかもしれない。
しかし、俺はこれが現状での最善の解決策だと考えていた。
教師に実際の状況を説明することもできたかもしれないが、そうすれば予測不可能な要素が多すぎる。
あの奇妙な性格の教師のことだ。もしかしたら、チームワークがないという理由で俺も減点されるかもしれない。そして、クラスメイトたちが俺に恨みを持つかもしれない。それは俺の望むところではなかった。
しかし、今更考えても始まらない。俺は深呼吸をして、山田の発表を聞く準備をした。これからどうなるのか、そして自分の行動が今後のグループワークにどんな影響を与えるのか、俺には想像もつかなかった。
.......
山田の発表が終わると、先生は「練習していないようだね。発表がスムーズではなかったから、今後は気をつけるように」と言った。その口調には少し失望が混じっていたが、原田たちに対するほど厳しいものではなかった。山田は恥ずかしそうに頭を下げ、素早く自分の席に戻った。
先生はそれ以上何も言わず、俺は肘に頭を乗せてほっと息をついた。心の中の緊張感がようやく解けたが、それに代わって複雑な感情が湧き上がってきた。クラスメートを助け、重い処罰を避けることはできたが、同時に小さな嘘にも加担してしまった。この矛盾した感覚に、少し不安を覚えた。
佐藤は俺の表情を見て、事の成り行きを察したようで、「本当にこれでいいの?」と俺に尋ねた。彼女の声は小さかったが、気遣いに満ちていた。彼女の目には、心配と不承認の色が混ざっているのが感じられた。
俺は「たぶんね」と答えた。この返事は自分で聞いても自信なさげに聞こえた。この話題をこれ以上掘り下げたくなかったし、自分の行動の是非について考えたくもなかった。
曖昧に事態をやり過ごそうとした。俺は体を向け直し、教科書をめくるふりをして佐藤の視線を避けようとした。しかし、この件が本当に終わったわけではないことはわかっていた。それは俺の心に小さな引っかかりを残し、この競争の激しい環境では、どんな決断も予想外の結果をもたらす可能性があることを思い出させるだろう。
教室の雰囲気は徐々に通常に戻り、クラスメートたちは小声で話し始め、次のグループの発表の準備を始めた。しかし、この一見平穏な表面下に、俺は不安な潜流を感じ取った。この経験を通じて、完璧を追求するこの世界では、時として真実と善意の境界が曖昧になることがあると気づかされた。
この作品を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。良い一日をお過ごしください。