活動実績
「ねぇ、なんで昨日は部室にこなかったの」
俺が部活をサボった次の日の朝、ホームルーム終わりに柏木が話しかけてきた。
「すまん、昨日は体調が悪かったんだ」
俺は嘘をついた。あの出来事があってからというもの、俺の心はざわついている。そんな状態で柏木と話したくなかったから俺は部活を休んだ。結局こうして教室で話しかけられてしまったのだが。
いつも教室ではお互い一人、放課後の部活のときだけは普通に話す。それが当たり前になっていたのだが、柏木は放課後まで待てなかったのだろう。我慢できずに教室で接触を図ってきた。
「それなら良くはないけど良かったわ。あのこと気にしてるのかと思って。一昨日はごめん。私は大丈夫だったから心配しないで」
「そうか、ならよかった。今日は部室に行くから心配するな」
さすがにまた休むわけにはいかないし、柏木に直接指摘されてしまったので今日は部活に行くことにした。
「そっか。じゃあまた放課後ね」
そう言い残して柏木は自分の席に戻った。
そんな柏木を見つめながら俺は違和感を覚える。
今日の柏木はいつもの柏木のようでいつもの柏木ではなかったように思う。言葉に、声にいつもの熱がないような、そんな少し寂しい感じがした。
もうあいつと出会って2ヶ月が経つが、今が一番柏木との距離が遠く感じる。一体どうしたものか。
その日の放課後、約束通り俺は部室へ向かい、屋上手前の踊り場までついたのだが、部室への扉がなぜかいつもより重そうに見えた。
「よし」
俺は一呼吸してから扉を開けた。
そこには俺よりも早く着いていた柏木がいつものようにベンチに横たわっていた。
「よっ」
「う、うん」
挨拶を済ませてから俺も一つ隣のベンチに腰掛けた。
部室は静寂につつまれる。各々今できる好きなことを自由にやり、依頼がくるまでだらだらする。ここまではいつもと変わらない。はずだったのだが…。
今日はやけに部室の居心地が悪い。前までは柏木との会話が起きなくても居心地が悪いなんてことはなかった。お互い好きなタイミングで口を開き、適当に会話をする。それが当たり前だった。
でも今日は違う。会話はしたくないのに何か言葉を発するのを求められているようなそんな空気。
誰かこの重い空気を変えてくれ。そんなことを考えていたとき、扉を開ける音が聞こえた。
扉の前には女子生徒が三人。そのうちの一人に見覚えのある顔がある。
そいつの名前は成田千春。
この高校で俺の中学時代を知る数少ないうちの一人であり、俺たちが所属するクラスの隣の生徒である。
俺は高校デビューを成功させるために自宅から通える範囲で、できるだけ同じ中学の人間がいないこの高校を選び進学した。俺の中学校は公立だったため、そこから私立の高校に進学する人間は少ない。それを見越しての選択だったのだが…。こんなに早く接触することになろうとは。
「ねぇ、ここが高援部ってとこ?」
成田が俺たちの部室を見回しながら聞いてくる。
「えぇ、そうよ」
柏木が答える。
「ふ〜ん。ってあれ?なんか見たことある顔してるやつがいると思ったら新田じゃん!高校が一緒ってことは知ってたけど、こんなところで何やってんの」
できるだけ目を合わせないように下を向いていたのだがバレてしまったようだ。どうせじきにバレるというのに何をしているんだ、俺は。
「見てわからねぇのかよ、俺も高援部の人間なんだよ」
「へ〜、高校じゃ部活なんてやってんだー。中学じゃ校内唯一の帰宅部だったくせに。『俺は意味のないことはしない』とか言ってさぁ」
成田は俺の中学時代のことを掘り返しながら、小馬鹿にしてきた。
ついに俺が危惧していた事態が起こってしまった。
俺の中学時代を知らない人間に、それを知っているに人間がそのことを吹き込む。そして高校で出会った人間はそのことを聞いて俺に幻滅する。『あいつってそんなやつだったのか』といった具合に。
「そのことは今はいいだろ。で、ここに来たってことは依頼があってきたんじゃないのか?」
ここは事態を悪化させてしまう前に切り替えよう。ここで無理に昔の自分をフォローしようとすると逆に痛手を負ってしまう可能性があるからな。
「そうそう、依頼よ、依頼。なんか掲示板で見かけてさ。依頼したら何でも解決してくれるって」
「そうか、じゃあそこの空いてるベンチにでも座ってくれ」
そして俺は成田一行を近くの空いているベンチに座らせた。
この学校の屋上にはベンチが左右に3個ずつで計6個設置されている。ベンチとベンチの距離はそこまで近くないため、何かを話し合うには微妙な距離である。かといってベンチには5人も座れることはできず、3人がちょうどいいくらいのサイズだ。
そこで今回のようなこともあろうかと用意していたパイプ椅子の出番だ。踊り場に4つのパイプ椅子を少し前に松浦先生に手配してもらっていた。
一声かけて俺がパイプ椅子を取りに行き、ベンチに座っている3人の対面に俺と柏木が持ってきたパイプ椅子に腰掛けた。
「それで、依頼の内容は」
「単刀直入に言うと、プールの掃除をして欲しいんだよね〜。この前ここにいる2人と他の子たちで先生に外のプール使わせてくださいってお願いしたら交換条件にプールの掃除をしてって頼まれちゃってさ。全く、高い学費払ってるんだからプールくらいタダで使わせて欲しいわよ。ね〜」
成田は他の女子2人に同意を仰ぎ、女子2人はそれに応える。
なるほど。今回は単純な肉体労働ってわけか。それなら頭を使う必要がなくて助かる。
「そうか、じゃあ掃除をする日と時間を教えてくれ。俺と柏木で手伝いにいく。柏木も大丈夫そうか?」
「うん、問題ないわ」
俺は天木先輩や折口先輩たちのような人間関係に関する依頼が今後も持ち込まれると勝手に考えていたが、このような依頼もあって当然だった。久しぶりに体を動かすのも悪くないし、汚れたものを綺麗にするのは気持ちいい。
たまにはこういう依頼も良いなと考えていたそのとき、成田が首をかしげながら喋り出した。
「えーっとさ、手伝いにくるって話してたけど、それって私たちも掃除に参加して、そこに2人も加わるってこと?」
「あぁ、俺はそうしようと思っていたんだが何かまずかったか?」
「まずいっていうかさ、私たちも掃除に参加しなきゃダメだの?2人が全部やってくれるんじゃないの?」
正気かこいつら。俺もこの学校の外にあるプールは何度か見たが、たった2人で掃除する大きさじゃないぞあれは。
「あなたたちこの学校のプールの大きさ見た?とてもじゃないけど私たち2人だけで掃除しきれる大きさじゃないわよ」
柏木も同意見のようだ。
露骨にイライラしているのが伝わってくる。本当になんでこの性格であんな八方美人な人間を演じていたんだろうか。いつか破綻しただろうな…。
「でも何でもやるって書いたのあんたたちでしょ?ちゃんと責任持って今回は頼まれてくれない?2人もそう思うよね?」
「「うんうん」」
成田と取り巻きの女2人がそう訴えてくる。
限度というものを知らんのか限度を。確かに何でもと書いたのはこの俺だ。できる範囲のうちでって、どこかに小さく注意書きでもしとくんだった。
横を見れば柏木が先ほどよりもヒートアップしている。まずい、今にも噴火しそうだ。
そういえばこの学校にはもう一つプールがあるはずだ。体育館横に設置されている屋内専用の温水プール。水泳部が季節に関わらず練習できるようにと作られたらしい。さすが私立高校。
そこで俺は掃除が不要な中のプールを使えばいいんじゃないかと提案してみることにした。
「なぁ、屋内のプールなら使えるんじゃないか?水泳部が休みの日とかなら使えるだろ。後の掃除ももともとが綺麗だから外のプールほどは大変じゃないだろうし」
「あんた馬鹿なの?私たちは夏っぽいことがしたいんだよね。屋内のプールとかそこまで夏っぽさないし。そんなのつまんないじゃん」
そんなことも分からないのと言いたげにこちらを鼻で笑いながら成田はそう主張する。
ただでさえ噴火直前だった柏木がここでついに爆発した。柏木は勢いよく椅子から立ち上がり、言葉を発した。
「さっきから聞いてればあなたたち何様なの?無茶振りな依頼をさせようとしてるくせに、ここに入ってきて早々に新田のことバカにしたり、ずっと高圧的な態度とってこっちを下に見て、こっちの事情はお構いなし。少なくとも私はあなたたちの依頼なんて聞くのは絶対にイヤ!私たちにだって依頼を選ぶ権利はあるんだから!」
思いの丈を言い終えたころには柏木は息を切らしていて、肩を揺らしながら体で呼吸を整えていた。
並みの相手ならこれで決着はついていただろう。男である俺でさえ柏木の気迫にはくるものがあった。だが相手はあの成田千春。俺の記憶が正しければ成田千春はこの程度で引き下がるほどやわな女ではない。そもそも、普通の人間ならば、あのような荒唐無稽な依頼は頼んでこないのである。
そして俺の想像通り、成田も反撃へ出た。
「あんたたちってさ、依頼を選べる立場にあるの?私は少なくとも掲示板を見るまではこんな部活あることすら知らなかった。おそらくこの部活の存在を知る生徒はあまりいない。そうよね?」
成田はそう俺たちに問いかけ、発言を続けた。
「つまり、依頼に来る生徒だって少ない。この学校のルール知ってる?活動実績が認められない部活は廃部になるの。依頼がなければ当然活動実績だって作れない。だから受けるしかないんじゃないかしら?」
それを聞いた横の柏木が狼狽え始める。
「そ、そんなの知らない。ほ、本当なの?新田」
成田の言っていることは間違っていない。ただそれを俺は柏木に伝えることはしなかった。柏木に重荷を与えるようなことはしたくなかったし、それを伝えてしまうことで柏木はもちろん、俺自身にまで活動に義務感が出てしまいそうな気がして嫌だったからだ。
俺はこちらに視線を送ってくる柏木に本当のことを答える。
「あぁ、本当だ。俺たちに課されたのは部活発足から2ヶ月間の間で活動を証明できるような実績を作ること。松浦先生からは廃部回避の知らせを聞いていないから、まだ俺たちの実績は不十分なんだと思う」
「やっぱりそうだったのね。それで受けるの?受けないの?」
「べ、別にあなたたちの依頼なんか受けなくたって!」
「柏木」
俺は意地を張ろうとする柏木を制止する。
「受けるよ、お前たちの依頼。別に手伝わないで見てるだけでもいい。だからその依頼受けさせてくれ」
「よっし!じゃあ決まりね!掃除するのはテスト最終日の週明け月曜日の放課後。そういうことだからよろしく〜」
そう言い残して成田と女子生徒2人は屋上から去っていった。
再び柏木がこちらに視線を向けてくる。そして柏木は口を開いた。
「なんで受けたのよ、あんなやつらの依頼。私はやりたくない…」
「安心しろ。お前に無理強いはしない。やるもやらないも自由だし、もしやるにしても疲れたなら途中で帰ってもいい。あとは俺がやる」
もとより俺の調子づいて書いたポスターが原因なのだ。責任は俺が取らなければいけない。それを柏木に付き合わさせる権利は俺にはない。
「そういうことだからよろしく頼む。そういえば明後日からテストだったな。テストが終わるまで部活はなしにしよう。俺はプールの掃除があるから次ここで会うのは来週の火曜だな。それじゃあ俺は今日のところはもう帰るよ」
この雰囲気のまま部室に残ってもいいことはなさそうだし、いつもより早めに退散することにする。
それにテストのおかげでプール掃除まで部活を休めることができそうでよかった。今日のせいでより柏木と気まずくなる予感がしたからな。
「わ、分かった。私もプール、掃除しにいくから!」
俺は柏木に手で返事をし、部室をあとにした。