感謝
高木先輩が振られてから1週間が経過したころ、俺たちはいつものように屋上でくつろいでいた。
「ねぇ、最近少し暑くない?」
「そうか?まだ肌寒い感じがするけどな」
言われてみれば柏木はいつのまにかブラザーを着なくなっていたな。代わりにベストを着ているが。様子から察するに本当はベストも脱いでシャツ一枚になりたいところなんだろうが、女子はそうもいかない。特にうちの制服は透けやすい気がするし。
そして俺はというと、まだブラザーを羽織っていた。こればかりは個人差があるのだろう。今は5月の終盤。俺の体感だが、まだブラザーを着ている生徒が多い。シャツ一枚でもいられないことはないが俺には少し寒かった。
「私思ったんだけどさ、この部室、夏になったらどうするのさ」
確かに。今はいいが、これから夏になったら俺たちは干からびてしまうかもしれない。この部室は気温だけでなく日差しももろに受けることになるからな。部室と言えど部屋ではないからしょうがないのだが。夏を耐え切ったとしても次は冬がくる。個人的には夏より冬の方がまずい気がする。足が霜焼けだらけになりそうだ。とはいえ今考えなければいけないのは夏の対策だ。ここは一つ柏木に提案してみるか。
「そうだな、気温はどうにもならないだろうからまずは日差しの対策をしよう。ベンチの前に穴あきのテーブルでも設置してそこの穴にパラソルでも挿そう。そうすれば日差しはどうにかなる」
「日差しはどうにかなっても真夏の暑さに耐えれる気がしないわ。やっぱり夏は踊り場に避難するしかないんじゃない?」
この学校は屋上に入る前に少し広めの踊り場がある。そこに長机でも引いて椅子を置けばそれっぽくはなるだろう。
「そうするか、わざわざ暑い中外に出る必要もないな。一応松浦先生に踊り場のスペースを今後使っていいか許可を取っておく」
俺たちの今後の方針が決まったとき、屋上の扉が開いた。松浦先生か?
以前とは違い、ここ最近はたまに顔を出すようになった。とはいえやはり若手の先生は忙しいようで毎日とはいかないようだった。それでも俺たちを気にかけてここに来てくれるのは嬉しかった。それに二人だけだと何かと退屈だしな。
扉から姿を見せた人物は松浦先生ではなく、見知らぬ女子生徒だった。リボンの色は黄色。3年生だな。
「ここが高援部の活動場所であってるのかな?」
「はい、間違いないです」
屋上の扉には『高援部にご用の方はこちら!』と張り紙をしてあるから分かるはずなのだが無理もない。屋上が部室なんて前代未聞だからな。
「どうぞ、こちらのベンチへ」
先輩を扉から一番近いベンチへと誘導する。少し離れていたベンチに腰掛けていた柏木もこちらへと呼び、俺たち三人は同じベンチに柏木、俺、先輩の並びで座った。
「初めまして、俺は高援部部長 新田将也です。で、横のこいつが柏木芽依。色で分かる通り二人とも一年です」
天木先輩のときは自己紹介し損ねたからな。円滑なコミュニケーションを図るためにも自分の情報を開示するのは大切だ。
「ご丁寧にどうも。私は三年の折口朱音。よろしくね」
ここが高援部と知って尋ねてきたということは十中八九依頼で間違いない。ここら辺で依頼内容を聞いておくか。
「早速なんですけど高援部に依頼があってきたんですよね?というかよく俺たちのこと知ってましたね」
「えぇ、依頼があって来たの。高援部のことは松浦先生から聞いたのよ。相談事なら私より先にここを当たってみろって。松浦先生、去年まで私のクラスの担任だったから」
ま、松浦先生…。ありがとうございます。
「そうだったんですね。それで依頼の内容というのは?」
「それがねぇ、最近ずっと好きだった幼馴染に告白されて付き合うことになったんだけど、その彼が何だかとても冷たいのよ」
これはこれは。俺たち二人が至れることができてない遥か上のステージで起きている相談事が降りかかってきましたね
横の柏木はというと露骨に冷や汗をかいている。安心しろ、俺もめちゃくちゃに焦っている。
「そ、そうだったんですねー。こ、心当たりとかはありますか?」
「それが全く見当もつかないのよ。そりゃあ付き合ってたら、そのうちお互いのことをより深いところまで知っていって、そこで理想と食い違うことがあって萎えちゃうみたいなのはあるとは思うよ?でも付き合ってからまだ全然日数も経ってないのよ?だから悩んでるの」
やばい、柏木が尋常じゃない量の汗をかいてる。気を確かに持て!
高援部を設立するときにこのような事態が発生するのではないかと危惧はしていたがこんなにも早く起きてしまうとは。とはいえ逃げようはない。経験がなかろうと俺たちが今まで見てきたアニメやドラマ、意図せず耳に入ってきたクラスメイトの色恋沙汰。それらの情報から導き出される最善の策を教えればいい。
できることをできる限りやればいいんだ。
このことを先輩にバレないように隣で焦りまくっている柏木に小声で伝える。
「おい、柏木。俺たち自身に経験はなくとも今まで見聞きしてきた他人の情報ならある。そこから策を考えるんだ」
「わわわわ、分かった。頑張ってみる」
こいつ、入学当初は陽キャラ女を演じていたくせに。友達に恋愛相談されたらどうするつもりだったんだ?結局今現在はクラスでぼっちだからそんな状況にはならずに済んでいるようだが。
「どうしたの?何かあるの?」
「い、いえ。こちらの話です!」
どうしよう。このまま黙りこくっていたら先輩に俺たちのことがバレてしまう。高援部の活動をより良いものにしていくためにもそれだけは回避しなければ。
「そうですね。もしかして好き避けというやつでは?相手が好きだからこそ恥ずかしがって避けてしまう。ドキドキしてしまう心を避けることで落ち着かせる。そんなところでは?」
俺は深く考えず、思ったことを口にしてみた。
「うーん、でもそれって付き合う前の男女がすることじゃない?付き合い始めたら普通これまでにできなかったことをするために距離を縮めていくものよね?」
はい、先輩の言う通りです。
大体な、無理な話なんだよ。恋愛弱者にこんなハードルの高い依頼。松浦先生は依頼内容を知って俺たちに託したのか?だとしたら先生は俺たちの認識を改めるべきだ!
そうだ、柏木に聞いてみるか。なにか案が浮かんだかもしれない。
「確かにそうですね。な、なぁ柏木。お前は何かないか」
「ワ、ワタシデスか?ソ、ソウデスネ。イワユル"スキサケ"トイウモノ、ナノ、デハ」
あかん!こいつロボットみたいにしか喋れなくなってる!俺のフォロー全く効いてないじゃん。本当にポンコツだなこいつは。
「す、すみません。こいつ上級生と話すのが慣れてなくて、たまにこうなっちゃうんですよ。そのうち普通になってくと思うんで気にしないでください!ところで本当に心当たりはないんですかね?」
「は、はぁ…」
まずい、明らかに不審がられている。
「あ、そうだ!私、演劇部やってるんだけどね、そこで部活仲間の男の子と活動の打ち合わせのためによく話したりするのよ。もしかしたらやきもち妬いてるのかもしれない。それか変な誤解をしちゃってたり」
原因の一つとしてはあり得そうだ。恋人を束縛する人間は少なくはないし、その度合いだって人によって違う。別に異性と話したっていいし、自分の目が届かない場所で異性がいる友人グループと遊んできたって構わない。そんな人間もいれば、異性との交流を一切絶たせるために連絡先を全て消させる人間だっている。
「確かに可能性としてはありそうです。こういうときは直接誤解を解くに限ると思います。部活の打ち合わせで話しているだけだよと教えてあげましょう!」
「そうね!今メール送ってみるわ。彼、既読つけるのは早いからすぐ返事が来ると思う!」
よし、これで一件落着か?そうなってくれればありがたいのだが。
「あ、返事きた。『別に君が誰と話そうが自由だよ。僕にそれを束縛する権利はないからね』だって」
文面から察するに俺たちの予想は違ったようだ。
どうやらそう上手くはいかないらしい。
「違かったみたいですね…。他の理由を考えましょう」
ここでさっきまで黙っていた柏木が口を開いた。
「もしかしたらこっちに原因があるんじゃなくて相手に原因があるんじゃない?例えば折口先輩の他にキープしていた女の子がいて、学校内で一緒にいるところを見られたらまずいとか。それか、"浮気"とかね」
「確かに一理あるな」
「や、やめてよ。付き合ったばっかなのにそんなの最悪…」
落ち込む先輩を見て付き合うことがゴールじゃないんだなと考えさせられる。人間関係は複雑で日に日に変化していく。どこかで俺は好きな人と付き合えたらそのままずっと一緒に、なんて甘い考えを持っていた。うまくいかないのが現実というやつだ。そもそも好きな人すら今現在作れていないというのに。
先輩の彼氏はもしかしたら浮気をしているかもしれない。好きな人すら作れていないこの俺を差し置いて二人目の彼女だと?なんだかムカついてきた。一人の女の子を愛し通さない男など死んでしまえばいい。俺は覚悟を決めた。
「折口先輩、今すぐ彼に聞いてみましょう。もし正直な返事が帰ってこなくても反応で何か手がかりが掴めるかもしれません」
「で、でもなんて送れば」
「カマをかけるんです。他に好きな人でもいるの?って。もし違っていたなら依頼が解決した後で俺が発案して聞いたってことを先輩の彼氏に伝えます。そうすれば先輩が彼氏を疑ったことにはならないはずです」
「わ、分かったわ。送るわよ?」
するとまたすぐに返信がきた。
「き、きたわ。『僕はまだ君を好きでいるけど、他の恋も探している。今はまだ見つかっていないだけで、今後君に新しい恋の相談するかもしれないからその時はよろしく頼むよ』ですって…」
先輩は少し考えた後、口を開いた。
「ど、どうしよか?」
こんなに大胆に浮気を公言する男がこの世にいるとは。許せない、俺が成敗してやる。
「先輩、そいつの居場所を教えてください。俺がそいつをぶん殴りに行きます。女の子を泣かせたんだ。そんな男に彼氏を名乗る資格はありませんよ」
折口先輩は泣いていた。俺たちに悟らせないように隠したつもりだったようだか、俺は先輩が一瞬流した涙を見逃さなかなった。
「いいのよ、私の見る目が間違ってたんだわ。だからもういいの。私から言って別れてもらうから。それで終わり」
「先輩は良くても私はよくない!こんなクズ男、死ぬべきだと思うから!」
柏木…。お前もそう思っていたのか。
「めずらしく意見があったな」
「えぇ、やってしまいましょう」
「二人とも…。分かった、彼に今どこにいるか聞いてみるから少し待っててちょうだい」
俺たち二人は血の気を抑えるのに精一杯で今すぐにでも部室を飛び出したい気分だった。
それから少しして例の男から返事が来た。
「どれどれ。『今は三年のフロアのラウンジで自習しているところだよ。何か用かな?』だって」
「分かりました。そこで待っているように伝えてください。俺たちはもう向かいます」
「行くわよ、新田。決着をつけにね」
「くん付けはやめたのか?ま、別にかまわねぇけどな」
「いいじゃない。だって私たち"仲間"でしょ?」
あぁ、そうだな。俺は柏木の言葉に無言で頷き返事をした。そして勢いよく扉を開け、三年のフロアに向かった。
◇
あいつか。
ラウンジには例のクズ男が一人だけ。これからドンパチやるには都合がいい。他の空いている席に荷物がないことから誰かが離席している可能性はうすく、残された一人のあの男が例のクズ男で確定ってわけだ。
男はこちらに背中を向けていて顔は分からない。だがそんなものは関係ない。クズにはクズに相応しいお仕置きが必要だと俺は考えている。だから正面から殴り合う真似はしない。不意打ちでズドンだ。肩を叩きこちらを振り向いたところにグーをぶち込む。ただそれだけ。
「やるぞ、柏木」
「えぇ。1発目はあんたにやるわ」
任せとけ。俺はやる時はやる男だ。
男に気づかれないように忍び足で近づく。そして肩を叩ける距離まで気づかれずに到達することに成功した。
よし、あとは肩を叩いて拳を打ち込むだけ。やるぞ!
そう決心して俺は男の肩を叩く。
「ん、誰だ?うっ、ぬわぁ!」
俺は全ての力を振り絞り、男の顔面に渾身のパンチをくらわせた。男はすごい勢いで椅子から転がり落ちた。
その時、男の顔がチラッと見えた。その顔は先日見たあの先輩にとても似て、、。
そう思った矢先、柏木がうつ伏せに倒れ込んだ男の背中に罵倒しながらポコスカ背中を殴り始めた。全く痛くなさそうである。
「この、クズ男が!お前、みたいな、男は、女の、敵よ!」
「お、おい柏木。もうやめろ!その先輩は!」
俺が暴走する柏木を止めようとした時、一足遅く駆けつけた折口先輩が大声を出した。
「もうやめて!もうやめてあげて!」
「折口先輩、、、」
柏木は折口先輩の言葉を聞いて動きを止めた。
そして折口先輩は倒れている男に駆け寄った。
「もうやめて!大丈夫、陽介?」
そのとき俺の疑いが確信に変わった。
そう、俺が拳で殴り、柏木が背中をタコ殴りにした男は俺たち二人がもっとも尊敬する先輩、高木先輩だったのだ。
でも一体どうしてこんなことに。
「う、嘘よ。あのクズ男があの高木先輩なわけ…」
「あぁ、俺もまだ状況が把握しきれていない…」
折口先輩が高木先輩を仰向けにして抱き上げた。
「よ、陽介!起きてよ!陽介!」
なんだろう、この状況だと俺たちがすごい悪い奴らみたいじゃないか。第一、浮気をした高木先輩が悪い。先輩は当然の報いを受けただけだ。というかそのセリフだと死んじゃったみたいだからやめてね?もしかしてこの学園をサスペンスの舞台にするのって俺自身だったの?
待てよ?あの尊敬すべき高木先輩が本当に浮気などするのだろうか。それに振られて間もないにも関わらず、すぐに他の女の子に告白して付き合うなんて考えられるか。
ここで俺は今までの出来事を整理する。高木先輩が振られたこと。それを俺たちが屋上から見ていたこと。折口先輩の悩み。折口先輩の質問の内容と高木先輩の返信の内容。
そして全てが繋がったとき、俺は全身の血の気が引いて倒れそうになる。
「ちょ、新田。急にどうしちゃったのよ」
柏木が倒れそうになった俺を支えてくれる。
「よく聞けよ柏木。俺たちは1週間前、高木先輩は振られたものだと思っていた」
「うん」
「だけど、そこから俺たちは間違っていたんだ」
「どういうこと」
つまり導き出される結論は一つ。
「高木先輩は振られてなんかいなかったんだ。もう言わなくても分かるか?」
それを聞いた柏木は少し考えた後、俺と同じような状態に陥る。どうやら全てを理解したようだ。ポンコツの柏木でも頭は悪くない。この学校の入試を突破したんだからな。
そう、高木先輩は振られていなかった。俺たちは二人の身体の動きしか目撃していなく、会話の内容は聞いていない。女が手を握り返さなかっただけで振られたと判断してしまった。
あの時、手を握り返さなかっただけで実際に言葉ではオーケーの返事をしていたのだろう。一部始終を目撃していた俺たちでさえあの興奮のしようだったんだ。本人たちだってきっと冷静じゃなかったに決まっている。焦って手を握り返さなかったのだろう。そして恋が実った充実感からなのか、その場の雰囲気に耐えきれなかった羞恥からなのかは分からないが、女、すなわち折口先輩はその場から走り出してしまった。二人は幼馴染だったみたいだし、おそらく理由は後者だろう。それかどちらともということもありえる。
一方の高木先輩は嬉しさのあまりに意識が飛んでしまい、結果倒れた。倒れた理由は振られたからではない。その逆だったんだ。
そして俺たちは救助した高木先輩に告白の間違った結果を教えてしまった。その後高木先輩は自分は振られたのだと勘違いをし、折口先輩を避けるようになってしまった。
そういう流れだ。これを考慮すればメールの返信の内容の受け取り方も変わってくる。
「ねぇ、どぉしよぉ!新田〜!」
この泣き虫め。俺だって泣きたい。そして全てをなかったことにしてこの場から立ち去りたい。
ん?全てをなかったことにする?
そうだ!このこんがらがってしまった状況を解決するには全てをなかったことにすればいい!
幸いにも高木先輩はまた今日も意識を失っている。
やるしかない。
◇
「あ、あれ、僕は一体どこで何を」
「何言ってるのよ、陽介が私をここに呼び出したんじゃない」
そ、そうか。僕は告白するために朱音ちゃんをこの愛し杉の下に呼び出したんじゃないか。それなのに杉にもたれかかって寝ちゃうなんて。早く起きないと。
そうだ!手紙を用意してきたんだ。それを読み上げてから告白をする。そういう流れだ。
あれ?手紙がないどうしよう!
「本当は陽介から言ってくれるのを待とうと思ったんだけど、この前は陽介から言ってくれたから今日は私から伝えるね…」
こ、この前って何のことだ?
ダメだ、なぜか記憶が抜け落ちてる。それに顔と背中がヒリヒリするし…。
「ね、陽介聞いてる?一回しか言わないからね!」
「え、う、うん!」
「じゃあ、言うよ?」
どうしよう、胸がドキドキしてきた。鈍感な僕でもこれから何を言われるのかが予想がつく。
「陽介のことが子どもの頃からずっと好きでした。どうか私と付き合ってください!」
もし付き合ってもいいならこの手を握ってと彼女は僕に向かって手を差し出した。
そんなの、握り返すに決まってるじゃないか。
「よろしくお願いします!」
「ほ、本当?」
「本当だよ、僕も朱音ちゃんが好きだ」
「や、や、や、やったー!今日から本当の本当に私たちカップルなんだよね!ずっと一緒なんだから!」
「ちょ、ちょっと待ってよ朱音ちゃん!そんなに走らなくても」
そしてこの景星学園に新たなカップルが一組誕生した。
◇
「今回はとんだ災難だったな」
「いいじゃない、依頼は解決できたことだし」
俺と柏木はまた屋上から杉の下で告白する男女の様子を見守っていた。
「これは依頼解決と言っていいものなのか?俺たちが高木先輩に間違った告白の結果を教えたことで生じた依頼だろ?マッチポンプみたいじゃねぇか」
「見てみなさいよ、あの二人の喜びよう。そんなのきっと気にしてないわよ。私たち二人には感謝してるかも」
俺たちはあの後、折口先輩に事情を全て話し、1週間前のあの日をもう一度やり直すのはどうかと提案した。そして折口先輩はこちらの心情を理解してくれたのか快く引き受けてくれた。
「まぁな〜。告白2回目にして高木先輩は気絶せずにすんだようだし、これにて一件落着か」
「なんだか羨ましいわ。あの二人を見てると。今人生で一番幸せですって感じ」
「卒業するときには俺たち二人もああなってるといいな」
俺たちの目標は卒業までに友達と恋人を作ること。そして充実した高校生活だったと思えるようにすること。すなわち高校デビューの成功である。
「ね、私ね、最近学校が楽しいんだ。それはきっとこの高援部のおかげ。高援部の活動を通してだんだんとこの学校の知り合いが増えていってる。まだクラスに友達はできてないけど。だからありがとう。全部新田のおかげ」
柏木はこちらに目を合わせずそう呟いた。きっと俺と目を合わせたら照れてしまうのが分かっているから。
俺もその方が助かる。急な柏木の言葉に少し感情が揺さぶられてしまった。もしかしたら顔に出ているかもしれない。
俺もなんだかんだ柏木には世話になっている。この放課後の時間は正直嫌いじゃない。好きまである。男として言わせっぱなしというのも良くない気がするな。だから俺もこの機会に柏木に感謝の言葉を伝えようと思った。
「俺も柏木には感謝してる。お前とあの時、ここで出会わなかったら今の生活はない。きっと今ごろクラスでもぼっちで、部活なんてしないで家に帰ってたさ。きっかけをくれたのはお前だよ、柏木。だ、だからこれからもよろしく頼む。頼れる相棒としてだな…」
やはり俺も柏木の方は見ずに呟いた。今あいつはどんな顔をしているんだろう。それを確かめたいのに胸が張り裂けそうで横を見ることができない。ただ首を横に動かすだけでいいのに。
それから少し柏木の返事を待ったが、柏木からは何も返ってこなかった。さすがに柏木の様子が気になった俺は勇気を出して首を横に動かす。するとそこには見慣れたあの光景が広がっていた。
「おい!危ないから降りろ!本気で飛び降りるつもりか!」
「だってぇ!だってぇ!なんか新田が最終回みたいなこと言うし、この雰囲気に耐えきれなくてぇ!」
「別に飛び降りることはねぇだろ!それに何でまた泣いてんだよ!」
「う、嬉しかったから…。ありがとうって言われて」
「じゃあ、尚更飛び降りるな。そのぐらいいくらでも言ってやるよ、このバカ。っておい!危ねぇ!」
フェンスから降りようとしていた柏木が足を踏み外し、屋上のタイルに落ちそうになる。
高さからしてこのまま落ちたらただではすまない。
俺の身体は迷いなく動いていた。柏木を守るべく、良作される落下地点へと。
「い、いてて。お、おい、大丈夫か。柏木…っておい!」
落ちる瞬間、受け身を取ろうと思ったのか、柏木は体の正面がタイルに向かうように俺を下敷きにして倒れ込んでいた。
「か、柏木。は、早くどけよ…」
早くどいてもらわないと困る。今までそういう目で見てきたことはなかったがこの状況はまずい。
俺に当たる柔らかい感触。柏木の綺麗な髪の毛。顔の肌、耳で感じ取れる柏木の息遣い。少し速い俺たちの心臓の音。そして柏木の甘い匂い。
「ご、ごめん!」
柏木は謝りながら体をどかした。
これがラッキースケベというやつなんだろうか。
ならばここは喜ばなければいけないとき、なんだろうが…。
何故か俺は喜べずにいた。
柏木を異性として強く意識してしまったことへの違和感。柏木の身体へ触れてしまったことへの罪悪感。いつもと違う柏木の様子。
それら全てが嫌でたまらなかった。
でもそう感じてしまう明確な理由は分からなかった。
柏木は一体どう思ったんだろう。
俺と同じように思ったのかな。それとも…。
「だ、大丈夫だったか?」
「う、うん。大丈夫」
「そうか。ったく今度から気を付けろよ」
「わ、分かった…」
そして沈黙が訪れる。
「…」
「…」
俺たちはお互いの顔を見れずに斜め下を向いたままでこの気まずい雰囲気は晴れない。
そして柏木が先に口を開いた。
「きょ、今日はもう帰ろっか。もう時間も遅いし」
「あ、あぁ。そうだな。そうしよう。それじゃあな」
「う、うん。ばいばい」
そして俺たちはその気まずさのままに部室をあとにした。
そして次の日、俺は屋上には行かなかった。