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1.フィルとウィーナの婚約

よろしくお願いします

爵位を継いだばかりの若きコートレル侯爵ことフィル・コートレルが、没落貴族と名高いカペル子爵令嬢ことウィーナ・カペルと婚約を結んだというニュースが社交界を駆け巡ったのは、社交シーズンの幕開けを一週間後に控えていた頃であった。


コートレル侯爵家は広大な領地を持つ名実ともに国内有数の貴族。


その当主が代替わりをし、未だ学生の身分でありながら爵位を継いだフィルは、今シーズン、結婚を決めたい令嬢たちにとって理想の男性であった。

既に水面下では彼を巡っての戦いは始まっており、学園での彼は、常に多くの令嬢たちに囲まれている状態であった。


そんな彼が選んだのはウィーナ・カペル。


ウィーナ自身は大層優秀な生徒で、成績はいつも上位をキープし、その立ち振る舞いにおいても淑女として申し分ないとご婦人方も一目置いている令嬢であった。


しかしカペル子爵家は先代の大凶作の影響をいまだに引きずっており、領地経営が芳しくないことは有名で、口さがない者は爵位返上も秒読みかと揶揄る程の落ちぶれぶり。


いくらウィーナが優秀でも侯爵家に相応しい土台を持たない彼女が選ばれることは万に一つもないと令嬢たちは高を括っていたのだが、その奇跡が起きてしまった。




こういった波乱の中で今年の社交シーズンは始まったのであった。






時を戻して、フィルとウィーナの婚約が発表になるひと月ほど前。


張り出された試験の結果を見て、ウィーナはほっと胸をなでおろした。

ウィーナ・カペルの順位は三位、残念ながらトップではなかったが、ここ最近の忙しさを考えればじゅうぶん納得のいく結果である。


「ウィーナ様、おめでとうございます」


親しい友人の賛辞にウィーナは素直に破顔した。


「ありがとうございます、頑張った甲斐がありました」

「先週は遅くまで図書館の自習室にいらっしゃいましたものね」

「とても真似できるものではありませんわ」


いつもなら試験勉強は家でしているウィーナであったが、今回はその環境ではなかった。


領地を任せている管財人から資金不足の連絡がきて、両親は夜遅くまで金策に駆け回っており、幼い弟妹の世話はウィーナがしていたのだ。


それでもさすがに試験前の一週間だけは勉強に集中させてもらえた、その間だけ、弟妹専用の使用人を用意してくれたのだ。


両親はウィーナの成績が優秀であることが自慢だったから、彼女に最適な環境を与えられないことを申し訳なく思っていた。


「ハンナの娘さんが泊りで引き受けてくれることになったから、ウィーナはしっかり勉強して頂戴」


ハンナというのは前々から雇っている使用人の女性である、遠方に嫁いでいたその娘がひと月ほど帰省することになり、手伝いを申し出てくれたのだ。


「お嬢様、子供たちのことはわたくし共にお任せください」


ハンナとその娘は笑顔でウィーナに約束し、弟妹も大きくうなずいた。


「僕たちいい子にしてるから、お姉さまはお勉強をがんばって」

「ありがとう、一所懸命やるわ、きっと良い成績を修めるわね」


商人や来客がひっきりなしに訪れる屋敷では落ち着いて勉強はできないと判断し、学園の図書館にある自習室での勉強を選んだ。


毎日、最後の乗合馬車が出発するギリギリの時間まで勉強した。


暗くなってからの来客はない。弟妹はハンナの娘に任せて、ウィーナは帰宅してからも机にかじりついた。


その結果の三位だ。この好成績を早く屋敷のみんなに伝えたい、その日のウィーナは帰路を急いだ。



「カペル子爵令嬢、少しいいかな」



乗合馬車へと急ぐウィーナを呼び止めたのは見知らぬ男子生徒だった。

制服につけられたエンブレムの色からウィーナよりひとつ上の学年、最終学年の生徒であることはわかったが、彼が何者か、ウィーナにはわからなかった。


「あの、失礼ですが?」


そばに友人がいればこっそりと教えてもらうこともできただろうが、その日に限って一番に教室を飛び出してきた為、周囲には知り合いどころかまだ生徒もまばらな状態。


ウィーナは心の中で、とんでもなく高位な方でありませんように、と祈りながら、失礼を承知で本人に問うことにした。


「ああ、これは失礼。わたしはフィル・コートレルです。実は少しばかり相談に乗っていただきたくて」



フィル・コートレル!



その名を聞いてウィーナはとっさに頭を下げた。


「コートレル侯爵様とは、大変なご無礼をいたしました」


ウィーナの必死の謝罪にも彼は愉快そうな顔をして、

「なるほど、ますます理想の女性だな」

と、つぶやいている。


理想の女性とはどういう意味なのか、ウィーナがそれを問いかけるより早く、彼はウィーナに手を差し出した。


「ひとまず、落ち着いて話ができる場所に移動しましょう」

「え?ですが」

「急いで、皆が来る前に学園を出たいんだ」


彼の顔は知らなくても彼が令嬢に人気があることはウィーナでも知っていた。

その人気者の彼と一緒にいるところを誰かに見られたらウィーナにとっても困ったことになる。


本当は誘いを断りたいところだが、侯爵位の彼から相談を持ち掛けられてそれを退けることは子爵令嬢のウィーナには許されないことだ。


結局、彼が差し出したエスコートの手を取り迅速に侯爵家の馬車に乗り込むくらいしかウィーナにできることはなかったのであった。




馬車は少し走ったところですぐに止まった。


それは最近人気のスィーツを楽しめる店だったが、普段出歩かないウィーナには分からない。

自分たち以外の客がいない店内を不思議に思うウィーナではあったが、内密な話をしたい彼がわざと流行っていない店を選んだのだろうと思った、本当はフィルが貸し切りにしたのだが。



「なにか食べる?」


フィルから渡されたメニュー表を受け取ったウィーナは一応開いてみたものの予想通りの値段に、紅茶をカップで、と答えることしかできなかった。


ウィーナの選択にフィルは苦笑して、ティーポットの紅茶とケーキを二人分注文し、

「誘ったのはわたしだ、支払いもわたしがするから気にしなくていい」

と言った。


カペル子爵家の困窮は社交界の人間なら誰もが知っていることだ。


今更恥じることでもないのだが、それでも居心地の悪さを感じたウィーナは、自分の精神衛生上、この時間をさっさと終わらせるべきだと判断し、少し早口で彼に尋ねた。


「ご相談事があるとおっしゃいましたが、内容をお伺いしても?」

「実は君にとある提案があってね」

「提案?」

「そう、婚約の提案だ」


あまりに思いがけない言葉が彼の口から飛び出したことでウィーナの思考は停止し、ただ驚きに目を瞬かせるばかりであった。


「わたしと君の婚約を提案しているんだがどうだろうか」


どうと聞かれても困る、答えは否やの一択だ。

それは彼も予測していたようで、間髪入れずに先を続けた。


「失礼ながらカペル子爵家の内情は困窮し、幼い弟妹の学費に頭を悩ませているとか。

それをわたしが支援する代わりに君には婚約者の役を頼みたいんだ」

「ですが、それでコートレル卿にメリットはあるのでしょうか」

「わたしが爵位を継いだばかりであることは知っているね?」

「前侯爵様が病を得て、代替わりなさったと」

「父上はお元気だ、だが大凶作からずっと働きづめでさすがにお疲れになったらしい。

早々に引退して母上とゆっくり過ごしたいとおっしゃられたから病気ということにしたんだ」


なんと、そんな事情があったとは。


確かにあの凶作は国内どころか世界中が混乱した。かく言うカペル子爵家もいまだにその影響を引きずっており、財政難が続いている。


「侯爵家の代替わりと御身のご婚約に因果関係はないように思えますが」

「大いにあるんだよ」


フィルは大げさに首をふり、給仕された紅茶をひとくち飲んでから口を開いた。


「わたしの周囲に令嬢たちが群がっているのは知っているだろう?彼女らは事あるごとに誘ってくるんだ、やれ観劇だ、やれ茶会だ。

正直、わたしはまだ侯爵の仕事に手いっぱいでそれどころではないんだ、学業もあるしね。しかし、いつかは結婚を考えなければならない。

群がるご令嬢の中に将来の夫人がいるかと思うと無下に扱うこともできない。それを詰られたら僕は一生、妻の言いなりになるしかないだろう?

現に母上は父上の独身時代の失敗についてしょっちゅう小言を言ってるよ、わたしもそうなりたくはないんだ」


ちょっと袖にしたくらいで結婚後にまで言い募る女性はそうはいないように思う。

ということは、前侯爵は余程の何かをしでかしたのかもしれない。


ウィーナには婚約話よりもそっちのほうが気になったが、フィルはそれについて語る気はないようで先を続ける。


「だから君と婚約することで一時的に彼女らをかわすことができればと考えているんだ。

弟妹の学費と婚約者役というのは我ながら釣り合いの取れた提案だと思っているが、どうだろうか」


フィルの提案にウィーナは素早く計算した。


妹はともかく、弟はもうなにがしかの学院なり私塾なりに通わせなければならない年齢になっている。

将来のカペル子爵を継承するのは彼なのだから、その教育費を惜しむことはできない。


実はそれについてウィーナには、自身が家庭教師(ガヴァネス)になって学費を捻出するという計画があった。


ウィーナが必死で勉強し淑女としてのマナーも完璧に身に着けているのはひとえに、ガヴァネスとして雇うのに申し分ない娘だと周囲に認識させたいが為だった。


もっとも子爵はそれに反対しており、つい先日も話し合いをしたばかりだった。


ウィーナがガヴァネスを目指していることを知った彼はウィーナの婚約者探しを始めると言い出したのだ。

家同士の繋がりができることで領地経営がプラスに働く相手であれば言うことなしだが、子供たちを愛してやまない彼に打算的な考えはなく、単純に娘に苦労させたくないという思いからだった。


もちろんウィーナは反論した、ガヴァネスを目指している自分に婚約者は必要ない、と。

カペル子爵が子供たちを愛しているようにウィーナもまた家族を愛しているのだ。家族のために働くことなど苦労でもなんでもない。


ただしウィーナはまだ二年生、卒業まであと一年以上は必要だ。

弟の教育はすぐにでも始めなければならず、今、必要な資金をどうするかで頭を悩ませていたのは事実だ。


それを目の前にいる美しい御仁が埋めようと言っている。


「婚約期間はどのくらいになるでしょうか」


フィルの申し出を悪いものではなさそうだと判断したウィーナは気になることを質問する。


「最低でも半年、できれば一年間は頼みたい。一周すれば侯爵の仕事もさすがに把握できるだろう」

「契約について家族には伏せておきたいのですがよろしいですか?」

「それはむしろわたしから依頼しようと思っていた、女性除けの婚約など褒められたものではないからね」


ここまでの彼の返答は特に問題がない。最後にウィーナは意を決して自身がどうしても譲れない条件を口にした。


「わたくし、学園は卒業したいのですがその許可はいただけますでしょうか」


ウィーナの希望にフィルは驚いている。


それはそうだろう、卒業まで居残る令嬢は全体の半数ほどだ。

彼女たちにとっての学園は出会いの場。婚約者を定め、学園を去ることが令嬢にとってのステータスのようなもので、相手が決まった後も居残る令嬢はそう多くはない。


しかしウィーナのそれはただの婚約契約だ、いずれ終わることが決まっており、将来を約束されたものではない。

となればウィーナは予定通りガヴァネスへの道を模索しなければならない。


彼との関係が終わるとき、その支援も終わる。しかし弟妹の学費はそのあとも必要になるだろうし、たとえ必要なくなったとしても困窮している子爵家の働き手はひとりでも多いほうがいい。


フィルは少し考えたあとで頷いた。


「わかった、君に夫人教育は必要ないしね。母上にはそのように伝えて学園を続けられるようにしよう」


ウィーナは婚約者の『役』を演じるだけ、役者に教育は必要ない。


「ありがとうございます」


こうしてウィーナはフィルと婚約することになったのであった。

お読みいただきありがとうございます

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