食事をしました。
青空の中を白い雲が緩い風に流されていく様は、温かく降り注ぐ陽射しと共に心地好く身体を包んでくれる。
担当区域は拡がったものの、担当する者の数も補充されたためか以前のように頻繁に呼び出される事もなく、一日に数時間の余裕を持つことが出来るようになった。
これは業界内における働き方改革として喜ばれていると業界新聞に載っていた。
後輩と同居を始めて数週間が経つ。
業界新聞を賑わせていた”蜂の一郎さん”についてはいつの間にかぱったりと伝えられなくなり、誰も口にすることも無くなった。
記憶を取り戻し、生者と逃亡を謀った蜂の一郎さんの行方はどうなったのか。
気にしているのは私だけなのだろうか。
(死神のまま記憶を取り戻すことがあるのか)
私が気にしているのはその事一点である。
日当たりの良い屋上にロッキングチェアを出して寛いでいると、軽快な靴音が階段を駆けてくる。
「こんにちは」
姿を見せたのは階下の青年”日向くん”だ。
「良い天気ですね」
両腕に大きな布地を抱えている。
このアパートには各戸にベランダがあるので屋上にまで上がって布団や大物を干すような住人はいないのだが、彼はニコニコと抱えてきた布団を屋上に完備してくれている大物用の物干し竿へと掛けた。
独身者ばかりが入居していると大家は言っていたし、独り者の分ならば各戸のベランダで十分なはずなのだが。
ついでに、ここは数年毎に住人が入れ替わるので私としては暮らしやすい場所である。
「今日はお仕事お休みですか?」
ここに暮らし始めて住人の誰かと個人的に関わりをもったことなど無いに等しい。
彼は自然と私に話しかけ、備え付けのベンチへと腰掛ける。
屋上の三分の一ほどを私の借り受ける建物が占めているが、ここの大家はなかなかに気前良く、住人が気軽に屋上でも楽しめるように簡易的なベンチやテーブルなどを設置してくれていた。
ほとんどの者は上がって来ないのだけれど。
「はい、恐らくは。日向さんはお休みですか?」
話しかけられれば無視するわけにもいかない。
当たり障りのない受け応えくらいはしなければ、怪しまれておかしな噂話とされてしまっては危うい。
「はい!お……ぼ、僕は学生なので週末はほぼ休みなんです !」
返答すると嬉しそうに声を張り上げ、「そうなのですね」と笑んでみれば見るからに喜んだ雰囲気で私をじっと眺めてきた。
こちらも直視してみればいかにも好青年であるように思える。
大きめな目は二重で、鼻筋も真っ直ぐに高く、しっかりと結ばれる口元も健康色だ。
生者であることが顕著で眩しくも感じた。
これといってこちらから話すこともないのだから、意味の無い笑顔の応酬と沈黙があった。
「あの……」
僅かな沈黙のあと、彼は何かを言いかけて止まった。
以前も同じように彼は何かを言いたげな素振りでいたことを思い出した。
彼は私がここに住んでいる事を知っていたような話ぶりであったのだ、私の中に疑問と共に妖む思いが湧く。
彼の言葉が吐き出されるのを静かに待ち構えた。
互いの間に流れる沈黙は背後にある建物の中からの騒音によって破られた。
陶器が砕ける音とともに同居人となる者の喚き声が届いたが、直ぐには動かず頭を抱える私に日向くんはおずおずと「大丈夫でしょうか?」と気を使ってきた。
「そうですね、では、また」と無理矢理に笑顔を作って立ち上がると同時に再び何かが砕ける音に今度は悲鳴が混ざる。
「おいっ!二羽くん、大丈夫か?!」
慌てて家屋へと飛び込み、音の発信元と思われる場所へと駆けた。
背後で「ふた、ば?」と呟く声がしたような気はしたが、それどころでは無い。
「しぇんぱーい、ごめんなしゃーい」
「何をしたんだ?!」
キッチンは粉塗れで、足元の床は陶器の割れた破片の埋まる白い海面状態となっていた。
顔面から白い粉を振り落とす後輩の半泣きに怒りよりも呆れが先立つ。
「お昼ご飯を作ろうと思ったら卵が割れなくて」
眉間にシワを寄せる私を見て、メソメソと現状までの報告をしてくる。
つまり、昼ご飯のためにお好み焼きを作ろうとボールを探したが見付けられず、目先にあった丼茶碗に粉を入れ、卵を割ろうと力加減を誤り丼茶碗をひっくり返して落として割り、粉が舞い上がって視界不良となる中で方向を見失い、焦って水を求めた手が背面の食器棚に当たり、中に重ねられていた皿を振り撒いた……ということらしい。
後輩と同居を始めてからこのような惨事は三日に一度は起こる。
だから(またか)という思いしかないのだが、後輩にすれば(またも)という思いに申し訳なさがある様で、「申し訳ありません」と泣きながらの謝罪エンドレスとなる。
「うわぁ……凄いですねぇ。手伝いましょうか?」
謝罪を呆れ顔で受けていると後ろから帰ったと思っていた日向くんが声を発してきたことに驚いてたじろぐ。
「き、君、帰ったんじゃ?」
「あ、すみません、勝手にお邪魔しまして。なんだか凄い音がしたから、つい」
慌てて頭を下げてくるも、その声音に悪びれたところはなく、寧ろ堂々と私の隣をすり抜け惨状へと近寄っていく。
「箒か雑巾、何か拭くものあります?」
物怖じもせず気さくに話しかけ、その落ち着きように後輩は「は、はい!」と返事をしながらバタバタと動き始める。
全身粉塗れなのだから動かれては困る。
「ああ、君は動かないで。私が取ってくるから」
面倒が重なるのではと憂鬱を感じながら洗面所に置いてある掃除機を取りに向かった。
キッチンは意外と早く片付き、以前よりも磨きがかかった状態にまで仕上がった。
後輩が作ろうとしたお好み焼きも、日向くんはとても手際よく簡単に作り上げ、お礼とばかりに三人で両手を合わせて食すこととなった。
前日の約束は早々に果たされることとなる。
「美味しい!日向くんは料理上手ですね!」
「いやぁ、俺、祖父と二人暮らしだったから必然的に覚えただけなんです」
作る様を隣で観察しながら感嘆していた後輩は箸を動かしながらも日向くんを褒めた。
彼も照れながら満更では無い様子で、口調もくだけてきていた。
「片付けだけでなく食事まで、ありがとう」と礼を述べる私に「とんでもない」と嬉しげに鼻をかく。
「従兄弟さんと同居とか、仲が良いんですね」
調理中に日向くんは後輩と自己紹介をしあい、打ち解けたようだが、私は後輩がボロを出さないかと気が気でなく余り口を挟まなかった。
日向くんは機をみてはこちらの情報を探ってくるかのような話を振ってくる。
「そうなんです!僕の仕事場がせん……一郎さんの近くになったので押し掛けたんです!」
気を抜けばご機嫌な後輩は言い慣れた言葉を吐き出しかけ、私の顔色を窺って必死になって飲み込む。
隣ですかさず足を踏んで止めているのだが、それに彼が気付いていないことを願った。
「ふたば、さんは俺と歳が近いと思うんだけど」
チラリと走らせる視線が怪しく思えて警戒心を持たせる。
「えー、そうですか?僕25歳なんですよー」
ヘラりヘラりとした後輩は彼の視線に気付いていないようだが、私は「君は幾つ?」と当たり障りなく問い掛け返した。
彼が何を考えているのか、何者なのか少なからず知っておいて良いかもしれない───
「俺は21歳になりました!一郎さんは?!」
聞いて欲しかったのか、彼は何故か勢いよく返事をし、食い入る様に迫ってきた。
それには後輩も驚いたようで、私と彼とを交互に見た。
「私は27歳です」
僅かに気圧されつつ、自身の象っている姿に近しいと思い、用意してある年齢を答える。
すると「俺、羽山に家があったんですけど、出身はどちらですか?!」と真剣な顔で尋ねてきた。
怪訝に思い、答えに躊躇っているとその場の空気を変えようとしてくれたのか、それともただ単に驚いただけなのか、後輩が手元のマグカップをテーブルから滑らせて落とした。
「わぁ!すみません、濡れませんでしたか?」と焦る後輩に、彼は「大丈夫」と答え、拭くものを取りに動いたことでまた惨事を引き起こしかけて、先程の質問は無かったことになった。
食事も終わりかけで、日向くんの足元が濡れてしまったことと、タイミング良く”呼び出し”がかかったこともあり彼は消化不良な面持ちでありながらも「また一緒に食べましょう」との後輩の言葉に笑顔を見せて帰った。




