隣人になりました。
「こん、こんにちは!」
「はぁ……こんにちは?」
「あの、お……いや、先日は失礼しました、僕、真下の部屋に昨日越してきたんです!日向真尋といいます!よ、よろしくお願いします!」
見た目に20歳といった体の青年.日向くんは勢いよく頭を下げると同時に両腕をずいっ!と差し出してきた。その手には小ぢんまりとした箱がある。
「はい、どうもご丁寧にありがとうございます。え……っと」
「一郎さん、ですよね!」
「え?」
差し出されたままの手からゆるりと相手を図りながら箱に手を伸ばした矢先のこと。
彼は名乗りを躊躇う私の名前を呼んだ。
はて?なぜ名前を?数日前が初対面であり、名乗りはしていないのだが。
「いや、あの、大家さんに聞いたんです。上の階に住んでる人がいるなら挨拶しとかなきゃなって思って教えてもらいました」
彼は静止する私に慌てて言い訳をするかの言葉を並べて顔色を伺ってきた。
「───そうですか」
一拍置いて私は気持ちを落ち着かせて、笑顔で「この屋上に住んでいます、”田中”です」と会釈して返した。
「忙しくしておりますのであまり会うことはないかと思いますし、大家さんから聞いていらっしゃると思いますけど家屋以外は共用スペースですから、いつでもどうぞご自由に上がってください」
取ってつけたような挨拶文を述べ、「それでは」と扉を速やかに閉めた。
きっと貼り付けたような笑顔だったであろうに、日向くんはまだ何か言いたげな表情で声を発しかけていたが、その目の前で扉は閉まる。
私は少々怪しくも思いつつ冷蔵庫の前へと戻った。
確かに、大家には”田中一郎”という名を告げている。
それが死神として名乗れる、与えられている名前なのだから、それしかない。
だが、彼は……いや、余計な詮索は止めておこう。
生者と深く関わることは生業に支障をきたすことになる。
私は静かな時間を過ごしたいのだ。
心穏やかな、静かな時間を───音の無い呼び出しに応じて制服に身を包み、ホンブルクを被って玄関扉に鍵をかける。
私たちの姿は生者には見えない。
私たちは何処からであろうと姿を眩ませ中空を駆け指名される者の前に現れる。
「───召喚します」
冷静に、冷淡に声で死者を導くことが仕事だ。
視線の先で顔を覆い、蹲り抱き合う者の姿が掻き消える姿を見つめる。
記憶の消去を行うための部屋へ向かったのだ、召喚終了の手続きを行えば私の仕事は終わりとなるが、送った先の部屋で行なわれることは一通り把握してある。
部屋に着くと別の死神によってその者の心残りの重さが計られる。
それが転生までの時間の長さに関係して来るという噂だが、その”想い”は専門として処理する死神にしか扱えない。
その者の仕事が終わると記憶を消すための部屋へと移され、そこで飲み物を含ませて虚無へと続く道へ送り出す。
虚無に向かった死者はそこで一回分の生から死までの全ての罪を洗い流しながら転生までの時間を延々と過ごす……何時になるのか、どのような姿となるのか、決めるのは天を統べる気紛れな神だ。
(出来るなら、次世でも親子で……は、無理だろうな)
消えた者の跡とファイルの中身とを見つめて、今日は溜息がでた。
連名となる字面に動かない心臓が痛みを感じたかのような感覚を覚える。
死神となってどれほどの時が流れていようと、人一人の死に悲哀の感情が失くなる訳では無いと、失くしたくは無いと私は思う。
私は長くこの身で居続け過ぎているはずなのに。
「もう今日は鳴りませんように!」
そうワザとらしく声に出して事務所へと向かった。
「せんぱーい!お疲れさまでーす!」
事務処理を終えさっさと自宅へ帰ろうと踵を返した時だった。
同じように仕事を終えた後輩が無邪気に駆け寄ってきた。
「お疲れさま。機嫌がいいね」
「はい!僕、担当区域が変わる事になったんですよ!」
「変わる?」
嬉しそうに話す後輩に怪訝な顔を向けてしまう。
なぜなら、一度就いた区域から変わるということは数十年単位、稀に長くて百年を超すこともあり、しかも余程の事柄がなければ行われない事例なのだ。
一つの区域に十数名までの死神が就いている。
それらが生者と混ざって存在するために数年毎に居住を入れ替わっても何ら不可思議でないように、担当する区域は広範囲に渡る。
「確か、君はまだ……」
「ええ、今の所は20年程しか担当してません」
「なのに、変わるって……何か仕出かしたのか?」
心配になり声を落としてみたが、当の本人は笑顔でこちらの様子に嬉々として反論してきた。
「やだなー、先輩。ほら、噂の一郎さんの抜けた穴埋めですよ。未だ見つかっていないから人員移動させて均衡を保つ政策がとられるんです!」
「……そうか。なるほど。でも、何故嬉しそうなんだ?移動が嬉しいことなのか?」
私としては慣れた場所が落ち着く。
身を隠す術を心得ておけば長く留まることは可能であり、まったく新しい場所に赴くのは正直億劫だ。
「何言ってんですかー。新聞読んでるでしょ?人員移動と共に区域改正も行われるんですよ!先輩、僕と先輩同じ区域担当になるんです!嬉しいに決まってるじゃないですか!」
後輩の嬉々とした話に暫し唖然としてしまった。
「なので、僕の住む所が決まるまで部屋貸してください!」
「え?」
「先輩と同じ所で働けるなんて僕はラッキーです!」そう言いながら後輩に腕を掴まれ現世へと戻った。
私の承諾もないうちに空いていた、というより、使っていない小部屋に自身の荷物を運び入れ、リビングに買い揃えた夕飯を並べる。
「先輩と僕の新しい門出に!かんぱーい!」
上機嫌な後輩を目にしながら、何故この現状であるのか理解が追いつかないまま夜は更けて明ける。
正直、慕われることは面倒ではあっても悪くは無い。
後輩とは担当する区域が違っていたからそうそうと顔を合わせるような仲では無かったが、事務処理をする際に出会わせることがあり、何度か困り事が見受けられた時に見兼ねて少しの手助けをしたことがある程度だった。
出会う回数が増える内に話をする機会が増え、現世でも会う機会を設けたりもしたが、互いの生活の妨げになるようなことは一度もない関係で、付き合いやすい間柄だった───はずなのだが。