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事件です。



「君のところも忙しかったんじゃないのか?」


「いいえ、僕のところはそれほどでもなかったんですけど、あの忙しさの原因、知ってます?」


「いや?」


忙しさに差が有る事はままあることなので然して気に留める事でもないが、その忙しさの原因には多少なりとも興味がある。

天による人口操作であるのか、それとも気紛れか嫌がらせ。


「僕の担当区域とは反対の先輩の隣、そこの担当者が生者と逃げたんです」


「は?」


後輩のヒソヒソと声を落とした言葉に思わず思考が停まった。


「何故かは分かってないんですけどね、その死神さん、ほら、先輩も事務所で何度か会ったことがあると思うんですけど、あの方ですよ、あの、胸に蜂のブローチを着けてた()()()()


私たちには名前がない。

そのため現世で困らないように総じて”一郎”と名乗るようになっている。

苗字までは決まっていないので自由だが、職務上で面識が無ければ敢えて名乗り会うこともしない。

気にはしないが、専門職といわれる者以外、皆一様に同じ服装であり分別を好む者はアクセサリーを身に着けたり、制服に様々なブローチを着けたりして個人を識別しようと図るのが慣例だ。


「逃げた?」


「ええ。蜂の一郎さん、記憶を取り戻したって話なんです」


後輩は自身で持ってきたペットボトルのキャップを外しながら身を乗り出し喜々として話す。

それは心臓の停止した私の心臓ですら動かしかねない事柄だ。


「まだ噂話なんですけどね、蜂の一郎さんが生者と逃げたために彼を捜索する者が必要で、見知った者がそっちに駆り出されて人手不足になった分を隣り合わせの区域の者に割り振ったってことらしいんです」


「お疲れさまでしたね」と苦笑いの顔で労われると、呆れて溜め息しか出ないはずが、私の頭の中はそれどころでは無かった。


(───記憶が、戻った?)


反応の薄い私に勘づかず、話好きな後輩は次々と聞きかじって来た噂話を勝手に喋り尽くして満足顔で帰って行った。

陽は傾き始め少し気温の下がった風が髪を撫でた。


(有り得るのか?)


部屋の中で呼び出しがかかっていることに気づく。

仕事が入ると自身の指定した場所にファイルが現れる。

その気配を察知することを”呼び出し”と呼んでいる。


最近の死神新聞には大きなニュースが載っていて、業界内を賑わせていた。

私が事務所に長居したくないのはそのことが一因でもある。

人の口に蓋は出来ない……どこから誰が聞き及んで流したのか、躍起になって訂正文を綴り、正しい事柄を周知させて注意喚起する記事が毎回大きく紙面を埋めている。

どれが真実なのか、日が経つ毎に分からなくなっていく。


「大変だなぁ……」


まるで他人事のように呟いてみるが、気にならないわけではない。

だが、どれが正しいのかなど本人でなければ知れる事ではないだろう。


「一郎さん、どうなったのかな……それが知りたいんだけどな」


───私たちには記憶がない。

そこにあるべき名前もない。

番号で呼称されているわけでもなく、何故か全員”一郎”と呼ばれている。

その”一郎”が自分を指しているのかどうか、それも何故だか分かってしまい、呼ばれると間違いなく返事をする。


私が口にした”一郎さん”は今話題となって業界内を騒がせている方のことで、すれ違ったことのあるだけの”蜂の一郎さん”だ───”蜂の一郎さん”は記憶を取り戻したらしい。

転生した人は天の気紛れによって稀に前世の記憶を持ったまま現世に生まれ落ちることがあると聞く。

だが、死神の記憶が戻ることなど耳にしたことがない……が、死神が消える事象は聞きかじったことがある。


死神とて一個の死者だ───罪の償いが終われば輪廻の輪に還るとされる。

どのようにすれば償いとなるのか知りはしない……そもそも自分たちの罪が何であるのかを知らない。

知ったところで償えるすべがあるのかも分からないだろう。

結局、蜂の一郎さんはまだ見つかってはいないようだ。

見つかっていれば紙面を飾るニュースになっているだろうし、何より、皆の好奇の的なのだから()も周知させるために隠蔽いんぺいはしないはず───まぁ、捏造ねつぞうはあるかもしれないが。



大きく息を吐きだし、久し振りの寛ぎ時間を堪能すべく冷蔵庫へと足を運んだ。

後輩に貰った野菜ジュースも残り少なく、そろそろ買い出しに出かけようかと思い巡らせる。

と、その直後、鳴りもしないはずの扉が木の板であることを知らせる音を奏でたのだ。

滅多に鳴らない音に、何の音なのか訝しく自身の半径50㎝を見回したほどだったが、数回も規則的にしっかりと鳴らされるノック音に、それが来訪者を告げる音であると気付いて、戸惑いを隠せずとも人らしく返事をしつつ扉を開ける。


「どちらさまで……ん?」


「あ、あの、こん、こんにちは!」


開けた先には以前見かけた青年が畏まって立っていた。





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