何気ない日常です。
空は青くて、広い。
「───召喚します」
こんなに綺麗な青空なのに、僕は仕事に励んでいます。
(今日は何を食べようかな)
僕がこの仕事に就いてどのくらいの時間が経ったのか、そんな些細なことを気にする程時間に追われる日々を過ごしている訳ではないし、毎日それ程退屈な訳でもない。
「やあ、二羽くん、元気?」
「ええ、元気ですよ。”球の一郎”さんは元気ですか?」
……死神に元気かどうかなんて不必要だと思うんだけど。
「ぼちぼち……ここの所また仕事が立て込んできたりして忙しかったんだけどさぁ」
後続の仲間への引き継ぎ事務仕事のために必ず立ち寄る事務所では、顔見知りになった同僚とこうして日常会話をする余裕すらある。
新人だったころに比べれば僕も大分と成長した。
「───君、"二羽"って名前があるのかい?」
いつも、見知った顔と出会えば軽く近況を語ったりしてから直ぐに別れるのだけれど、"同僚"が一体どのくらい居るのか把握できていないから、初対面であったとしても横からこうした問いかけも珍しくはない。
……と、いうよりも、「そうなんです」とニッコリ笑って答えれば、「へぇ〜凄いね。名前のある奴が居るとは聴いてたけど、自分で付けられるものなの?」と、解りきっているにも関わらず必ず興味本位で返される。
僕たちに固有の”名前”があるのはとても珍しい。
「以前良くしてくださっていた方に付けてもらったんですよ」
だって、僕たちは総じて同じ名前で呼び合うから。
「そうなんだ、羨ましいな」
「ありがとうございます」
嫉妬心丸出しの目を向けられ、このままだと会話が嫌味合戦に発展してしまいそうで、早々に軽く会釈をして離れる。
事務所に来ると必ず絡まれるのが僕のルーティンになった。
名前を持つ僕は、この界隈で有名だ。
固有名詞を持つのは白い制服の者と呼ばれる上位の死神だけ。
僕たちのような黒い制服の者は皆一様に同じ服装に身を包み『一郎』と呼ばれて認知して、知らずと返事をしてしまい、他と識別してもらう為に小さなアクセサリーやワッペン、小物を使って個性を出している。
僕のように別の名前で周知されている仲間は存在しないのだ。
───僕だってある時までは『一郎』だった。
襟に小ぶりな鳥の羽のブローチを着けて識別させていたけれど、憧れていた先輩へ強引にも同居を求めたら、現世で同名では不便だと名前を付けてくれた。
(先輩……)
その先輩は、ある日突然姿を消してしまった。
それは、本当に突然のことで、なんの前触れもなく不意に起こった。
僕は先輩に喜んでもらおうとキッチンで氷菓子を作っていたはずなんだ。
なのに、その日、もう先輩は帰って来ない気がして、急に無気力感に陥り意識を失った。
どのくらいの時間が流れたのか、気付いた時には先輩の痕跡は跡形もなく、確かに先輩と住んでいたはずの部屋は以前から僕独りで過ごしていたかのように、何もかも一人分の生活空間しか存在していなかった。
僕はキッチンに立ったままだった。
先輩のことを何も覚えていなくて、それでも何かがおかしくて、何処か違和感しかなくて、迫る喪失感に焦って部屋中を駆けて回ったけれど、そこには初めから独りだったことを実感させられただけだった。
なのに何故僕に先輩の話ができるのか?
それは、この”名前”だ。
僕たち死神は白い制服の者以外みんな”一郎”なのに、僕だけは誰もが”二羽”と呼ぶ。
毎回届く仕事のファイルの中にも、毎回事務所に提出する書類にも”二羽”と載っているし、筆記の時には自然と手がそう文字を記す。
僕を見知っていた仲間も僕を”二羽”と親しげに呼び止めて来る。
だから、気付いたんだ……呼ばれるたびに微かに頭の中に霞むあの人は確かに僕の先輩として存在し、共に在ったんだって。
部屋の中は僕の好みに揃えられているけれど、窓辺に唯一取り残されたように小さな観葉植物の鉢がポツンと有るのも僕らしくなく、違和感の一つだった。
そうして一つの違和感を解消していくと、朧気だった霞が形をもってきた。
(一郎さんは輪廻に還ったのかな……)
当然、他の仲間たちにこんなこと話せない。
だって、毎日たくさんの仕事があって、いつの間にか仲間が増えたり消えたりする事が当たり前な存在だから。
誰もたった一人の、それも”唯の一郎”さんを覚えているはずもなく、構う事も無い。
僕は現世に強い憧れがあって、先輩の一郎さんはその中でとても長く馴染んでいた、僕の憧れの先輩だった。
先輩との思い出は消えていて何も無いけれど、確かに一緒に過ごしていた時間があるんだと、それだけは覚えていたくて、ずっと、覚えていたくてその面影が消えないように願っている。
(僕たちはいつ輪廻に還るのか、解らないもん……仕方ないよね)
先輩が僕に何も言わずに消えてしまっても、文句は言えない。
今日まで楽しく話が出来ていても、明日には会えなくなるなんて自然なことなんだから。
そうあるのが”人の世”だ。
「───あの、こんにちは」
連日の職務に、やっとの休息を青空の下にロッキングチェアを引っ張り出して寛いでいると、申し訳なさげな声がかかる。
コンクリート上にゆっくりと現れた黒く伸びる影を辿って視線を上げると、清涼感ある青年が笑顔を貼り付けて緊張した面持ちで立っていた。
「こんにちは、下の階の方ですか?」
「あ、はい!先日引っ越して来ました。よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
態々挨拶に来てくれるなんて、礼儀を重んじる人なんだな、と感心しながら差し出された手土産を彼の手に触れないよう受け取った。
───僕は死神だ。
───死神は死者だ。
見た目は生者と変わらないけれど、心臓は動いていないし血流が無いから体温は無く、触れればそれと解るほどに冷たい。
だから知られないように生者とは一線を引き、触れられることの無いように細心の注意を払う。
(暫く空き部屋だったけど、人が入ったのか)
僕の住む場所は五階建て独身者用アパートの屋上、掘っ建て小屋のように取り付けられた2LDKだ。
ここは先輩と過ごした場所で、歳を取らない僕たちの規則に従い一度離れたけれど、数年前に戻って来られた。
先輩を忘れたくないのもあるけれど、殆ど誰も上がって来ないから気楽で、気に入っているのもあって、他の誰にも貸さないように事務所へ申請までしてある。




