陽だまりの色
「どっちに転ぶと思う?」
「さあ。どっちでも構わないけど」
「視える者か。貴重だね……仲間に欲しいね」
「おいおい、それも上の采配次第、いや、それはこの”一郎”次第か」
「クス……再び死を味わう気分はどんなだろう。どんな選択をするかな、楽しみだな」
「ああ、楽しみだ」
クスクス、クスクスとさざめく音がする───木々が風に揺れて騒めく。
田圃の青々とした葉が風によって色を替える様は美しい。
農耕機の車輪跡の付いた道が撫でられて土埃を舞わす。
幾重にも混ざる青が眩しく、真っ白な雲が巨大な形を描いて拡がる。
日々何事も起こることの無い暮らしの中、時間だけは誰にも等しく過ぎていく。
個々に与えられた時間はそれぞれ長短あるのに、何故等しいなどと思うのだろう。
『……長くはないでしょう』
そう宣告されて、残りの時間を数えない日はなかった。
地元名士で名主である家は広く、人気の無い屋敷の中に母のお気に入りである大きな古時計だけが毎日規則正しい音を響かせる。
周辺の土地は目にする全てが資産であり、隣近所の家屋は徒歩では十数分かかる程に離れている。
通りを歩けば知らぬ者もいない私には、友と呼べる者は一人だけ。
「陽色!」
そう気軽に呼ばれるのは初対面からではあったが、そう呼ぶ者は馴染みであっても、幾つ年上であっても唯の一人も居なかった。
誰もが『名主の息子』と敬い、腫れ物扱いをしてきた。
病弱な嫡男だから、仕方が無い。
成人まで生きられたら良い。
子種を残すことができたなら、万々歳だ。
閉鎖的な田舎の有力者である家の血が絶えないよう、それくらいまで生きてくれたらと、散財をしてまで高い治療費をかけてくれていた。
近くに居たのは後見人となることで甘い汁を吸おうと企む者ばかりだった。
私を産むことで母は亡くなった。
入婿だった父は幼い私を遺して流行病に罹り遠くで亡くなったというが、本当は身重だった母を置いて他の人と駆け落ちしたと聞く。
母は『家』から逃れられず、直系長子の後継を産む為だけに囚われた人だったらしい。
産まれた私がひ弱であっても”男”であったから、役目を終えたとばかりに息絶えたのだと、乳母は語った。
幼少期から母の傍にいた乳母は、死してやっと自由を手にしたのだと、母を哀れんだ。
家長であった祖父は病弱な私を生かしながらも疎み、面倒は乳母に任せて気にするでも無く、同じ屋敷内に居て顔を会わせる日は殆ど無かった。
私は跡継ぎに必要不可欠であっても、個として存在する意味のない者だったのだ。
そんな環境の中で育った私が、人を敬遠するのは必然で、”彼”とも当然仲良くなるとは思っていなかった。
「今日は天気もいい、川へ行こう!」
直ぐに動悸を起こす私は走ってはいけなかった。
「あの木にカブトムシがいたぞ!捕りに行こう!」
遠くまで出掛けて疲弊しては大事だと学校にも通わせてもらえなかった。
「新しい菓子が入ったらしい!食いに行こう!」
宛てがわれる書物が全てだった私を外へ連れ出した唯一の者、唯一の友が『日向朔』だ。
乳母の遠縁となる朔は、五つで両親を亡くして乳母を頼りに二人の兄弟と共に村へ来た。
朔の兄は直ぐに奉公へと出て行き、弟はまだ幼く、朔は面倒を見る傍ら家の畑仕事の手伝いをしていた。
同じ歳だということで、私の話し相手にでもなればと乳母が気を利かせもしたのだろう。
私の世話をするため乳母は離れに居を構えてもいたし、顔を合わせる機会は多々あった。
休みをもらう度に朔は私を追い、声をかけては外へと連れ出し、乳母に怒られるを繰り返す。
その内乳母の方が諦め、私は朔と共に居る時間が増えた。
十四歳でたった一人の身内だった祖父が逝き、家督を継いだ。
歳を重ねるうち虚弱だった身体に免疫力がついたのか、それとも朔のお陰か、成人出来るかどうかと言われ続けた私は二十歳を超えて名主の役を担えるほどになれた。
それでも油断はできず、数ヶ月に一度は寝込むを繰り返し、周囲に焦燥と野望を抱かせた。
『この家を絶たせるわけにはいかない』
『傍系から起たせようか』
『あれじゃあ後継は望めない』
『いつ死んでしまうか解らない』
『今の内に資産を分配させてはどうだろう』
布団に横たわる隣に集まっては口々に同じ言葉を吐いて、我れが我れがと名を、富を欲しがった。
祖父がいなくなった途端に縁談を持ちかけ、より一層付き纏うようにもなった。
私は自身を惜しむ気力を持っていなかった。
ただ唯一の救いとして、大人となって自身の家を持ち離れても、何ら変わること無く接してくる朔の存在があっただけで生きていられた。
(明日は朔と川へ行こう……そろそろ魚が捕れるだろうから)
身体が痛んでも季節が巡ることを楽しめた。
(明日は山に……あの木には大きな虫がいつも来るから)
共に駆けた日々が希望となっていた。
(明日はあの店に……今度は朔の好きな味を選ぼう)
”明日”へと繋ぐ糧だった。
十八の時に乳母が病死した後、翌年には彼の兄が事故に遭い、その翌々年に彼の弟が友人に騙されるまで、私と朔は笑顔でいられた。
たった数年の間に、朔は家族を持ち幸せの最中から一気に奈落へと落とされた。
遠く離れた場所で朔の兄は体が不自由となって働けなくなり、弟は借金を抱えて子どもが産まれたばかりの朔に泣きついた後、精神を病んで酒浸りとなった。
何一つ朔に落ち度など無いのに、光の如く明るかった朔の表情に陰りが見え始めた。
私に相談してくれれば苦労などせずに済んだのに、朔はそうしなかった。
会う頻度が減り、会えても見る度に窶れていく姿に、私は何度も手を差し出そうと提案した。
なのに、朔は笑って「大丈夫だ、心配するな」と頑なに拒んで、拒み続けた挙句、倒れた。
朔は自身の家族だけでなく、兄の家族や弟の生活、借金までも背負って、働いて、働いて、働いて身体を壊した。
夏の陽射しの強い昼中だった。
「お願いです……助けてください」
そう言って頭を下げてきたのは朔の愛する妻だった。
誰にも後ろ指を刺されないように大事にしている朔の家族が飢えないように、そっと送っていた金銭では賄えないほどの苦労が、すす汚れ痩せ細ぼった姿から伺えた。
「一生をかけて、お支払いしますから!」
そう言って泣き崩れる彼女に、私は自身の愚かさを知った。
無理にでも押し通し行動すべきだった。
細やかな金銭など、何の役にも立っていなかった。
いつ尽きてもおかしくは無い命に大金をはたいて、安穏と眠っていた自身を呪う。
いつ尽きるかも知れない命はこちらなのに、何故、真面目に生きる者が死の淵に立ち、苦しまなければならないのだろうか。
(自身を救ってくれている者に、何故対価を支払わせられようか)
財があるというだけで、名を持つというだけで何不自由なく暮らしているその隣で苦しむ者を知りながら、”友”と名乗りながら何をしているのだろうか。
屋敷に存在を示す大きな古時計は、常に時を刻んで一定の調べを鳴らし続ける。
「私の命は如何程でしょうか」
医師に尋ねた。
「正直に、正確にお願いします」
言葉を濁す医師に乞うた。
『長くはない』と、そう言われた頃から『成人すれば善い』と言われるまで、私は予想を裏切って生きた。
毎日同じ音調で鳴る振り子時計はこれからも揺れて時を告げ、時を繋げていく。
言い渋る口が「明日とも図り知れません」と告げてくる。
同じ名で同じ歳、幼き日々を同じ敷地内で過ごし、同じ時を生きた。
この先を共に歩むことは叶わないと、解っていたあの頃から幾分多く歩むことが叶った。
時の流れは全てに平等であるのに、人に与えられる時には長短がある。
私はそれを嘆くことはしない。
生きるのに必要な時間は彼のお陰で十分に過ごせた。
「これを明日、朔に渡してください」
朔の妻へ手紙を預けた。
子を成す力の無い私に、名ばかりの親類からは縁談や養子縁組の話が寄せられ続けていたことも煩わしく、古い家柄に固執する亡者たちに辟易していた。
貪欲な者に遺すより、確かな者に譲る方が後の為になるだろう。
私の宝など朔と共に過した記憶と、時を告げ続けてくれた母の形見だけで十分だ。
「朔、すまない……君の望む事ではないけれど、私はこれ以上君が苦しむのは見ていられない……愚かな私を許してくれ……朔」
どうか、無事に手元へと届きますように。
どうか、彼が私を恨みませんように。
真夏の夜には似つかわしく無い涼しい風の吹く日、古時計が一際大きく時を奏でる音が聞こえた。
”友”であるから頼りたくは無い気持ちは理解できる。
”友”であるから頼ることを躊躇う気持ちは理解できる。
黙って差し伸べる手を掴むことが出来ない気持ちが理解できる。
『日向陽色の財産は全て恩人、日向朔へ譲渡する』
私の全てをかけて”友”へ───生きている限り私の望むようにはならないだろう。
それならばいっその事、この命は望む事のために尽くそう。
私の死を待ち望む者たちに渡る前に、私を救ってくれた者へ手渡そう。
『朔、友となり、ありがとう。君に私の大切な古時計を贈る。好きに使ってくれ』
翌日は墨色の雲が空を覆う風の強い日だった。
息を切らせて駆け付けた薄暗い屋敷の中、朔は血を吐いて倒れる陽色を見つけた。
死因は、服毒死。
日頃飲んでいた薬と同じ梱包で毒物の混入されていた物が見つかったことから、予め用意されていたものと判断された。
それが陽色本人によるものか、または他の者が紛れ込ませていたものか審議、捜査されたが、日向朔が譲り受けた古時計から見つけられた遺書により、自身の命運を悲観しての自殺と断定された。
古時計の中には遺書の他、遺言状と共に数束の現金と、『陽色』から『朔』へ書き換えられた書類の在り処を示した手紙があった。
陽色と顧問弁護士により、争いの渦中にあった膨大な資産は、全て名指しされた朔の物となる正規の手続きがとられていたが、傍系の抗議、反発にあったことと、朔自身が拒んだため、故人の意向を汲み半分を朔へ、半分を傍系が分けるという形に落ち着いた。
それでも借金は完済できたうえに、兄弟不自由なく暮らせるほどに余裕が持てた。
朔は陽色が遺した古時計と手紙を生涯の戒めとして大切に保管し、『陽色のお陰で今がある』と言い続けた。
『いつか、会えたら怒鳴ってやるんだ』
それが口癖だった彼は、患った病が元ではあったけれど、それから十七年後に微笑んで天命を全うした。
偶然か、その日も夏の最中の涼しい夜だった。




