遭遇しました。
「───召喚します」
本日の死者はとても大人しく……と、そのはず、90年以上生きた老齢の女性だ。
「なぜもっと早く呼んでくれないんだ。呼んでくれないからまだまだ生きていられると思って遣りたいこと遣りかけで来ちゃったじゃないか」などと、餅を詰まらせてしまったことを棚上げにして文句を言いながら消えていった。
「申し訳ありません」と、何故だか頭を下げてしまう……私のせいではないのだが。
姿が消えるのを見送り、顔を上げて息を吐き事務処理をするため天を向く。
今日はこれで終わりだといいなぁなどと思いながら手元のファイルを握った。
現世で言えば午後1時を回ったころだろうか。
今回は比較的大人しい死者ばかりだったため早々に帰宅できた。
「いつもこうだといいのになぁ……」
お気に入りのカップに温かなミルクで作ったココアを容れてひと時の寛ぎの時間を堪能する姿勢をとった。
死神業界で発行されている新聞を広げ目を通すのも仕事の一環としている。
現世の新聞も読むようにしているが、それはこの部屋が周囲から浮かないようにするための配慮のためで、私に必要な情報はやはり職場に関係している方となる。
他にも人の中で生活していて浮かないために工夫は必要で、私の借りている部屋は5階建てアパートメントの屋上にある倉庫部屋であって、住んでいることをアピールしなければ勝手に覗きこまれかねない場所だ。
もちろん屋上は共同スペースなのだから誰でも上がることは可能となっていて、だからこそ”人らしく”振舞うことは必須。
滅多に人が上がって来ることはないといっても周囲の建物からの視線もあるため、洗濯物を干し、遮光カーテンを開けてレースカーテンにして風を通し、日差しを招き入れておくことは忘れない。
新聞はたいして現世の物と大差のない内容ばかりで、どこそこの死神Aがどうしたこうしたという事が書いてあったりして、それらは仲間内の会話に役立てなければならない時もある。
人付き合いは死して尚も必要不可欠なものなのだが、私としては面倒以外の何者でもなくおよそ一人でいる方が多い。
「───買い物に行くか」
1時間ほどして一通り目を通した新聞を折り畳み、呼び出しがないことを確認してから部屋を出た。
今日は天気も良く干した物もよく乾くようで、起毛たつタオルが緩い風に靡いている。
生を謳歌するには良い気候だ……出来るならこのような日中は呼び出しがかからないで欲しいと思ってしまう。
アパートの近所は静かな住宅街で緑は少なく、各家庭の庭先やバルコニーにある花木が季節の移り変わりを彩る。
大人は毎日同じ時間を規則正しく過ごし、子どもは大人に倣って時間割り通りの日常を送っている。
よく窮屈に感じないものだと思うが、そうすることが”生きる”ために必要な時間の過ごし方なのだろう。
きっと自分も生きていた頃はそうしていたはずだ。
今はそれに倣った時間の過ごし方をするように心掛けていても、不自然でないように見せられているのか不安が僅かにある。
徒歩で15分ほどの中型スーパーマーケットへ着くと、出入口でカゴを手に取り中に入る。
新聞折り込みを確認してきたため、先ずは目的の安売り品売り場へ向かった。
素早く目当ての物をカゴに入れた後、他に目ぼしい物はないかと店内を一巡することは忘れない。
スーパーを利用する主婦の嗜みと業界新聞にコラムがあったような、なかったような。
私は食事を摂らなくても平気だ。
空腹など感じることもないのだから、むしろ摂らない方が自然なくらいだが、生者と同じように時間を気にして、生者のように暮らす。
肉や魚よりも野菜を好むし、果物もよく購入する。
穀物より葉物、固形物より飲料をいつも多く買ってしまう。
ここは常連と言っていいのか顔見知りとなってしまった店員もいるため、あまり長居をせずに帰宅するようにはしている。
少しでも見かけると何故か声をかけてくる人の良い店員もいて当たり障りなくやり過ごすのに苦労することもある。
人と仲良くなって過ごすことは良い事だが、死した者は年を取らないため居住する場所は数年ごとに替えなければならない。
なるべく顔見知りなど作りたくはないのだが、これも”人”に混ざって暮らすには避けられない事柄なのだろう……などと思案に耽りながら軽く一礼をして買い物を終えようとレジを通過し、持ってきた買い物袋に詰めて店を出ようとした時だった。
「あのっ!」と背後から呼び止められたのだ。
私に声を掛けてくる者は店員くらいなもののため、何か忘れ物でもしたかと身構えもせず振り返った。
「あの、俺……」
見た目に店員ではないことは明らかな青年で、私を見て戸惑いを顕にしながらどこか興奮状態であるように見受けられた。
「何か?」
機嫌を害しない程度に少しの笑顔を作って応じる。
彼は繁々と私を見つめて何やら期待しているようにも思えたが、少しの間のあと私の無反応に落胆したのか「いえ、あの……すみません」と声を尻すぼみにして一歩退がった。
私は疑問符を浮かべ「失礼します」と礼をしてその場を後にした。
誰だろうか?と謎に思いはしたものの深く考えはしない。
このような仕事に就いていれば何百、何千という死者と向き合うが、その全てを記憶しているわけではないし、記憶できるわけではない。
まして、近所の者であったとしても生者との付き合いもなければすれ違うだけの者の顔を覚えているなどということはないし、仮に輪廻の輪によって転生してきた者だとしても私が”担当した死神”であると覚えているわけもない。
例外は存在していると報告はあっても天の采配の下に全ての記憶はリセットされているはずなのだ。
孤独であること───それが現世で過ごす秘訣だ、と業界新聞のコラムにあったような、なかったような。
なので現世に於いて私に声を掛け合う知り合いは同業者でない限りいないはずなのだ。
心地よい風に気分も良く帰宅して、洗濯を取り込み陽の沈むに合わせて時間の流れを過ごす。
と、夕刻に呼び出しがかかった。
「やれやれ」と黒服に身を包み玄関を潜って外に出る。
ホンブルグ(中折れ帽の一種)を被れば生者とは違った次元の住人に戻る。
「……鍵を閉めたかな」
戸締りも確認してファイルの中身を熟知させて目的地へと飛んだ───搔き消える姿のあった場所を階段の陰から見上げる存在になど気づかずに。