誰、でしょうか。
「俺が6歳の夏でした。最初にあなたたちを見たのは」
───その日は両親と旅行に行った帰り、後部座席で横になって眠っていたのに、突如とした激しい衝撃で目覚めた意識は痛みを感じながら朦朧としていた。
圧迫される車の中で身動きしない両親の腕や肩が赤い染みを広げながら歪んで見えていた。
運良く前座席と後部座席の隙間にずり落ちて挟まった俺のボヤける視界に映るヒビ割れたフロントガラス越しにそれは現れ、薄い姿となって振り返ってくる両親を連れて消えた。
「その時は夢か何かだと思ったりもして、信じたくはなかったんです。でも、俺を引き取ってくれた祖父ちゃんが死んだ時、現実だったって知りました……3年前です」
両親のいなくなった俺を引き取った祖父ちゃんは83歳、病床にあって長引く入院生活の見舞いに行くとよく昔の話をするようになった。
俺の知らない祖父ちゃんや父さんの話は面白かった。
特に俺には記憶にない曽祖父との思い出話が多く、アルバムを手元に置いて、中を見ながら写る人たちを懐かしみつつ指さし、『陽色さんのお陰で今がある』とたった一枚しかないものを見詰め繰り返していた。
「父ちゃんは陽色さんに会えただろか……わしも、会いたい」
ある日、そう言って眠りについて、そのまま息を引き取った───
「祖父ちゃんが息を引き取った時、俺は傍にいました……いつの間にか祖父ちゃんの傍にあなたがいたんです」
白い壁に背をつけて、祖父ちゃんが『会いたい』と呟いた瞬間に霞から実体を持つように現れた真っ黒い装束の、見覚えのある顔の人。
何かを発することも無く、冷たい視線を祖父ちゃんにだけ向けていた。
横たわった祖父ちゃんから抜けるように起き上がった半透明な祖父ちゃんが、その人を見て泣いているような、笑っているような顔までもはっきりと見えた。
俺は呆気にとられていたけど、ふいに何を思ったのか温もりある祖父ちゃんの手を握り「連れていかないで!」と叫んでいた。
祖父ちゃんが居なくなると、俺は独りになる───そんな思いがずっとあった。
けれど、咄嗟にでた俺の声が聞こえたのか、祖父ちゃんはふわりと頭を撫でてくれたような感触を残して、黒い服のあなたと一緒に消えた。
「あの時も、俺はあなたと目が会ったんです」
真っ直ぐに交わす視線に、それが虚偽では無い事が示されている気がした。
やや大きく利発的な目が蒼白な顔の私を捉えていた。
”も”という事は先日の事を指すのだろう……やはり、日向くんは
「一郎さんは、”陽色さん”、ですよね?」
私たちが”視える”……そう確信して発せられる言葉に息を飲んだ。
「あなたをこの街で見掛けた時、他人の空似かと思いました……陽色さんに親類は居ないと聞いていましたから。けれど、確かめたくてあなたに何と言えばいいのか躊躇っている内に、あなたが消えたり現れたりする所を見てしまいました」
『陽色』……誰かの声が聴こえた。
「あなたの手、とても生きている人の手とは思えない」
近くに樹林など無いのに響く蝉の音。
空に輝く太陽の光を含んだ風に、熱気を吸い込んだ地面から立ち上る土埃。
「いったい、」
煽られて鳴るガラス風鈴の音と、はためく暖簾の傍らに添えられた古い木造のベンチ……隣にいつも座る君の笑顔───『陽色』と呼ぶ柔らかな声たちが彩りを持って頭の中を巡る。
「何者ですか?」
喉が、渇く。
「───アウト」
足下が揺らぐような目眩を感じると、愉悦を含んだ声が頭上から届き、触発されて意識を保とうと足に力を込めた。
陽の陰り始めた部分から、覚えのある冷気が全身に纏わりつく。
辺りが一瞬にして暗転すると同時に、目の前の日向くんが驚愕した顔で私の隣を見た。
二人して突如起こった事象に戸惑い、把握しようと焦って頭を働かせた。
「なるほどね」
「瑚白!」
白い制服をゆらめかせて、コンクリートの屋上に小さく耳に届く程度の靴音を立てて瑚白が降りて来たのだ。
にんまりと口元は歪められているのに、赤い瞳は冷たく刺さり背筋が凍る。
「何で……」
「お前は俺たちのことが視えるのか」
瑚白の視線は私を素通りし、戸惑う日向くんの顔を覗き込む。
当然のことながら瑚白は制服を着用しており、生身の正常な者にはその姿を捉えることなど出来ないはずだ。
だが、話しかけられた日向くんは突然空から現れた瑚白に後退りして身構えた。
「声も聞こえるようだな……ま、こんな間近に居れば解かれてしまうのも当然か」
「何をしに来た?!」
瑚白の登場に凍りつく日向くんを慌てて背中に庇い、にやついた瑚白を牽制する。
が、間に割って入る私に、人を揶揄うような態度を見せていた瑚白の顔が変貌した。
「お前次第だよ」
「は?」
「お前次第でこの生者の処遇が決まる」
「どういう意味……」
冷淡な表情の瑚白が言葉をゆっくりと吐き出すと、その後ろに音もなく白い制服の者がもう一人現れた。
にたりとしたその顔は、間違いなくつい先日事務所で見かけた白だ。
「どうやら”視える者”と知り合っていたようだね」
「接触し続けたから、やはり解けたみたいだ」
「そっか、それは仕方無い」
美しいと思える顔がクスリと嫌味っぽく歪むと悪寒が走る。
私の後ろで日向くんは落ち着くためなのか、口を閉じて喉を鳴らす音をさせた。
「いったい、何故こんなところに?」
二人で意味の解らない会話をされることに苛立ちをみせて声音を強めてみた。
白が現世に現れたことも、生者の生活圏に於いて境界を張って場を隔離する行いも異例であって、起こってはならないことではないのだろうか。
今、生者に正体のバレた私が言えたことではないが……いや、バレたからこそ現れたのだろうか。
(やはり、私は監視対象だったのか)
そう考えが過ぎった時、瑚白が腕を伸ばして私の額の前に手のひらを翳してきた。
「選択の時間だ」
「え?」
何を言っているのか、何をしようとしているのか解らず硬直する。
瑚白の後ろに現れた白が動き、私を通り越して日向くんへと腕を伸ばした。
反応出来ず見送ってしまうと、一拍置いて背後で日向くんが崩れ落ちる音がした。
「お前の知りたい事を教えてあげるよ───そして、選択するんだ。お前次第であの生者の処遇が決まる」
「どう、いぅ……」
「頑張れ」
眉を顰める私に笑みを見せてくる顔が、ぐにゃりと歪んで遠のいていくと、糸が切れるように意識を失った。




