眠りの中で
カッチ、カッチ、カッチ……と、規則正しい音は薄暗くもゆらりとした淡い光の中に響き渡る。
カッチ、カッチ、カッチ……と、揺れる振り子はくすんでいるのにガラスの奥でも僅かな光を受けて鈍く煌めきを発していた。
「───すまない……許してくれ……」
眼前のガラス扉を開き、水滴の滲んだ封書を今一度握り締めてから、身の丈ほどの振り子の揺れる間をぬって奥へと差し込んだ。
静かに閉じたガラス扉に微かに写る瞳に生気はなく、愛しげに触れていた扉から名残惜しげにゆっくりと離れていく。
壁に貼り付けられた大きな振り子のからくり時計はその姿を追うことも出来ず、ただ規則正しい音を打ち続けるだけ───託された封書を隠して、カッチ、カッチ、カッチ……と、いつまでも、いつまでも『許し』を乞うかのように”音”を響かせる。
”音”は一定の間隔毎に殊更大きな音を発して時を告げる。
「───選べ」
何だ?
眠っている意識を揺り起こすように、遙か遠くの方から届く声がする。
「……そうか」
聞き覚えのある声だが、誰だろう?
「……いいだろう」
何が?
「許さ……る……か……」
何?はっきり聞こえない……なんて言ったんだ?
「わす……な」
遠くで誰かが何かを言っている。
「───……ぃ」
「選ん……」
大切なことだ……遠い、遠いな……動かなきゃ……動いて声のする方へ行かなきゃ……何故、こんなにも”ココ”は暗いんだ?そうだ、光、光はどこだろうか?
「……───ろ」
……行かなければ……あの声の者の近くに───近く……あの音はどこだろう?
「───」
ココは暗い、な……暗い……ああ、私の手足は、どこだろうか?
身体の感覚がない。
この暗闇に目が慣れれば見えるだろうか?いや、私は寝ているのか?……とても瞼が重い。
「───い」
遠くから何かが聞こえる。
そうだ、”音”……あの時計が知らせてくれるはずだ。
あれはいつも手入れがされていて、いつも正しい時を告げてくれているから。
あの音が鳴れば……音───
「───ぱい!せんぱいっ!!」
音……オト?トケイって、何だ?
「先輩っ!大丈夫ですかっ?!」
突然差し込んだ光とガクガクと全身を揺り起こされる反動で頭が眩む。
何が起こったのかと、安眠していた思いから眉間にシワを作って渋々目を開けてみた。
「な、何?二羽?」
「せんぱぁいっ!!」
抱きついてくる二羽の喚く声に耳が痛い。
何事かと揺れる脳を落ち着かせ、視界を鮮明に保とうと瞬きを繰り返した。
自身の現世にある6帖間、清潔な白いシーツに包んだ柔らかなベッドの中だ。
「何事だ?」
「”何事だ?”じゃないですよ!先輩三日も寝てたんですよ?!突然魘され始めるから、声かけても起きないし!何事かと思ったのは僕の方です!大丈夫ですか?!」
無理に目覚めたからか、目に鈍痛のような感触と霞かかった頭に、二羽の慌てようが直ぐに理解出来なかった。
「三日?」
重たい頭を支えるように手を当て、覗き込んでくる二羽の顔を見つめた。
いつも以上に青白く焦燥感が窺える。
「一体何があったんだ?」
「それはこっちのセリフです!三日前、僕が帰って来た時にはもうベッドで寝ていましたよ!それから一度も起きてこないし、声かけても起きないし、ホントに死んじゃったのかと思いましたよ!」
大きな素振りで大粒の涙を見せる二羽は、ベッドに半身を起こす私に抱きつき、大袈裟なほどに益々喚き散らした。
「いや、落ち着きなさい。元々私は死んでいるよ」
「そういう問題じゃないんですぅっ!」
しがみついて泣きわめくその背中をポンポンと宥めるも効果は薄いようで、およそ10分間は二羽の思うままにしておいた。
目線を回し、辺りを注視するも部屋の中に特段変わった様子もなく、三日も眠ったままだったのかと記憶を辿ってみる。
真っ暗な中で微かに誰かと会話していたように思えた。
(誰だったか……)
「日向くんも心配していましたよ!」
「日向くん?」
「ええ、昨日お裾分けにって西瓜を持ってきてくれたんです。先輩に会えなくてしょんぼりしてましたよ」
「食べます?」と言いながらやっと離れた二羽はいそいそと部屋を出ていった。
後ろ姿に息を吐き、三日前のことを思い出そうと試みた。
そういえば、瑚白が来たような……いや、そもそもアイツが用事もなく訪れることは無いのではないかと再考し始める。
そう、二羽が取りこぼした時のように何か起こっていないと来るはずがない、と。
(誰かと何か重要なことを話した気がする)
死神となって以来夢など見る機会はなかったのに、いや、そもそも夢などというものは見ないのだけれど、妙に気になる分別のつかない記憶が確かに残っている。
「……”ヒナタ”くん?」
そうだ、確か三日前、階下に越してきた青年”日向”くんと食事を……した……した?
(会った、気はするが)
遙か昔の事ならば覚えていなくても仕方の無い私だが、三日前の事なのに記憶が曖昧な事に不可思議な思いが湧いた。
しかし生者との事など考えても仕方ないことだと諦めて頭を振れば、ニコニコとして大皿を持った二羽が扉から顔を覗かせた。
「よく冷えてますよ」と手にする赤い西瓜を掲げ嬉々とする顔に、ついこちらまでつられて笑顔になる。
リビングへ移るために立ち上がると、僅かながらにふらついてしまった。
私にしては珍しく、自身の事ながらも何事かと訝しむ。
「大丈夫ですか?」
程良く冷えた赤い実を噛むたびにシャクシャクと小気味良い音がする。
喉の渇きを充分に潤してくれるのは良いが、少々種の多さが難点だ。
「ああ、平気だよ」
心配してくる二羽に応えてにっこりと笑んでみせれば、眉尻を下げた多少の不服感は窺えても、以降口にはしてこなかった。




