暇ではありません。
帰宅すると直ぐに呼び出しの気配がした。
「先輩、お願いします!」
そう言って二羽は手提げ袋を手渡して自室へと急いだ。
どちらの呼び出しなのか目視せずとも解るもので、手渡された手提げ袋を手にキッチンに入り、買い足してきた物の片付けをし始める私の視界に白い布地が入った。
「……何をしている?」
「別に〜」
「先輩、行ってき……く、ぅきゃーっ?!」
「やぁ、二羽くん。元気そうだね」
「あきゃうおぇがっ……はきゃっ?!」
着替えを済ませた二羽がパニックを起こしかけ、舌を噛んだ。
「落ち着きなさい。ほら、行ってらっしゃい」
涙目で震える背中を宥めると勢いよく頷く二羽を瑚白から隠すように見送り、玄関口でかき消える姿を確認してからにこやかに手を振る奴の元へと戻った。
「やっぱり面白い子だな」
堂々と私の定位置であるソファーに寛ぐ瑚白を見ると自然と不機嫌になってくる。
「何の用かな?」
見下ろす私の態度にも平然としたまま笑顔を崩さず、瑚白は座る。
「別に。近くに来たついでにちょこーっと寄っただけさ」
「ならば即帰れ。君と遊ぶ気は無いし、君にその暇もないだろう」
事実、出会って以来、瑚白が姿を見せたのは数えるほどで、出来るなら顔を付き合わせたくは無い相手なのに、二羽と同居して以降なぜかよくこの顔を見ている気がする。
(忙しいくせに)
呆れて息を吐くと瑚白は突然周囲に冷気を放った。
何事かと警戒を顕にその表情を直視する。
「何をする……?!」
「そうそ、俺も暇じゃない……でも仕方ないだろ?これは優先しなきゃなんない仕事なんだ」
「どういう意味だ?」
周囲から音もなく近寄る冷気が足元を這い上がってくる。
ゆらりと立ち上がる瑚白と真っ直ぐに目があった。
「言っただろ?俺に知らない事は何一つ無い。特に”お前に関しては”だ、一郎」
いつもと違い、低く静かな声音が体を縛り、ありもしない心臓が波打ったような気がした。
「な、にを……」
「知る必要は無いよ」
ゆっくりと伸ばす腕からその指先が私の額に触れる。
無感情な瞳から視線も外せず、身動きも出来ない───これは、白い制服の者が力の発現をしていることの証だ。
(まさか、私の記憶を奪うのか?)
何故?などと疑問を浮かべる僅かな思考はあっても、それを口にすることが出来ない。
瑚白に支配され、感覚の全てに自由が効かない。
合わせた瞳と脳内に侵入してくる声に意識を持っていかれる。
「ホント、厄介な奴だよお前は……この俺が忘れろって言ったのになぁ」
冷たい無機質な瞳の中に目を見開いた私が映っていた。
心地好く響くはずの声音は全てを凍りつかせる呪詛のようだ。
”死神が記憶を取り戻すことはあるのか?”と問うた───瑚白に会った、狭間での最後の質問に答えは無かった。
いや、無かったのではなく、正確にはその後を”覚えていない”のだ。
瑚白の纏う空気が変わったのは覚えているのに、気づいた時には現世のベッドの中だった。
それを当然としていた。
不可思議に、疑問にも思っていないのだ。
それを、今思い出した───
(もしかして───)
「何故お前に”選択肢”が与えられたのか考えたことはあるか?」
思考を遮り支配されたままの頭にいつもと違った瑚白の声が触れられる指先から流れ届く。
見開いた目に真っ赤に光る瑚白の瞳と薄く開かれる唇がゆっくりと動く様が窺えた。
(ああ、この”赤い光”は何度か……見た)
なんてことを思った。
「何故、俺がお前の前に現れているのか考えたことは?」
血の通った身体では無いが、感覚として味わっていたもの全てが感じられず、目に映る瑚白の声だけが全身を巡っていく。
「良く聞け……大人しく自分の役割をこなしていろ……生者に関わり惑わされるな。お前はそれを自分で選んだ」
刻むかのように真剣なその声に意識が揺れる。
赤い瞳が静かに閉じられて開く様子を薄らと眺めながら周囲が暗く染まっていく中、瑚白の唇が弧を描いた。
『おやすみ、一郎』




