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RR ー Double R ー  作者: 文月理世
RR ー Double R ー EN
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6 Obsession ― 執 ―


 六月中旬の土曜日、天気は快晴。

 朝学活の時間、時折窓から入ってくる爽やかな風が心地いい。

 神宮寺高校は体育祭であった。

 伊吹蓮の姿はそこにはない。

〈やっぱりね〉岡田は心の中で忌々しく蓮を軽蔑した。


 先月から体育祭の準備が始まり、実行委員や参加競技を決めたが、蓮は相変わらずクラスの仕事に関わろうという態度を見せなかった。

 岡本の記憶によれば、蓮は何かの競技エントリーする素振りも一切見せなかった。前日準備も見事に早退し、体育祭関連の動きにほぼ参加することはない。


 四月の一件以来、担任の生沼も蓮には及び腰で、腫れ物を扱うような態度をとっていた。そういった状況の中でもクラスには誰も蓮に文句を言うこともなく体育祭を迎えていた。


 岡田は四月に起こったことを片時も忘れたことはなかった。

 自分ではそれほど大げさなことをしたつもりはなかった。しかし、結果として個人だけでの指導で収まらず、学年集会まで開かれてしまった。生活指導主任や学年主任からの指導だけではなく、日を変えて偉そうな態度の副校長に〈節操ある行動をうんぬん〉という話を延々とされたのであった。


 それに加えて、岡田は保護者を学校に呼びだされ、親子ともども大恥をかかされた。それ以来、いまだに親との関係がギクシャクしている。岡田の母親が、こういったことに敏感になるのは理由があった。

 岡田は小学校のときにも同じようなバカなことをして、親が学校に呼びだされることがあったからだ。それも一度だけではなく、何度も学校に呼び出されたという苦い思い出である。母親は何か気に入らないことがある度に、そのことを引き合いに出し、何かにつけてヒステリーを起こした。


 岡田は教員や母親に怒られたからといってその性格が変わるわけでもなく、むしろその歪みに拍車をかけ、抑圧のはけ口として他の生徒へのからかいやいじめを巧妙に誤魔化す能力に磨きかけるようになっていた。



 四月に起きた出来事の当事者が誰なのかは他の生徒や保護者に知らされていないはずであった。

 しかし当然その原因は何であり、やらかしたのは誰かというのは噂になる。岡田や今泉の名前はあっという間にクラスや学年の中に自然と広まっていた。


 しばらくの間、岡田は周囲の冷たい視線にさらされる時間が続いた。その視線に耐え、学級活動やいろいろな係に協力的な姿勢を見せながら、最近ようやく自分の立ち位置を持ちなおしてきていた。

 五月の中旬ぐらいからは、表面的には岡田には何事もなかったかのような雰囲気になってきたはずだ。むしろ伊吹蓮の協調性のなさが、おのずと浮き彫りになってきている感じである。


 岡田は性懲りもなくチャンスがあれば、蓮に絶対に嫌がらせをしてやろうという、粘着質な気持ちを持ち続けていた。

〈また近いうちに、仕掛けてやろうかな〉

 担任の体育祭の注意事項の話など耳を傾けず、岡田はよからぬ思いを巡らせた。




 一方の伊吹蓮である。

 体育祭当日、蓮は朝の早い段階で欠席の連絡をガジェットで学校に入れると、二度寝をし部屋でまったりとくつろいでいた。時間も午前十時に差し掛かろうとする頃、ベッドマットの上で伸びをしながら〈ランニングにでも行こうかな〉と思っていたその時、不意に玄関のチャイムが鳴った。


 こういった場合、ほとんどが何かの訪問販売の営業だったりすることを蓮はこの数か月で学んでいた。

 応答せず居留守を使ってやりすごそうとしていると、二度目のチャイムと同時に蓮のガジェットが音を立てた。

 ディスプレイには祖母のとり江からの名前がでていた。

 蓮は仕方なく電話に出る。どうやら先ほど玄関のチャイムを鳴らしたのは祖母らしい。

「はい」蓮は抑揚のない声で答えた。

「蓮ちゃん?今家の前にいるんだけど、中にいるんでしょ」

「そうだけど」

「ちょっと入るよ」と言って、とり江は電話を切った。


 蓮は建物一階のオートロックを解除し、祖母が上がってくるのを待った。

 しばらくして玄関のドアがノックされる。蓮がドアを開けると紙袋を持ったとり江がいた。祖母は玄関に入ると、部屋には上がらず、蓮を問いただした。

「学校はどうしたの?」

「体調悪いから休む」蓮の昔からの決まり文句である。

「今日は運動会でしょ。ちゃんと行かないと」とり江は紙袋を蓮に差し出しながら言った。中身は弁当だということは察しがつく。

「本当に体調悪いんだって」

「またそんなこと言って、中学の時も行事に全然出なかったんだから、高校はしっかり行かないとだめでしょ」とり江は蓮を諭すように言う。

「行きたくない」

 そんなやり取りをしばらく続けたが双方譲らない。

「蓮ちゃんが行かないなら、私はもうここから動かないよ」

 これには蓮もまいってしまった。

 とり江の頑固さはかなりのものだ。自分がこうだと言ったらよっぽどのことがない限り譲らない。それは蓮の父親に引き継がれていたものでもあり、蓮も同様にその性格を受け継いでいた。


 中学の時は、とり江と同居していたので、何かあっても家の中だけで済ませることができたし、気に入らないことがあれば一時的に蓮が家を出ていけば良かった。

 しかし、今一人暮らしをしている部屋の玄関に居座られたら普段の生活ができなくなってしまう。それに、祖母は言うからには行動を実行する人間であることを蓮はよく知っており、こうなったら蓮が折れるしかなかった。



 着替えが済むと、自分ひとりで学校に行けるからついてこなくていい、と蓮が言っても、とり江は聞き入れなかった。

 とり江は駅まで歩く途中でタクシーをつかまえると蓮に乗るように促した。後から乗り込んだとり江が行き先を告げると、車内は沈黙が続いた。タクシーのドライバーも二人のぎくしゃくした空気を感じ取り何も話さなかった。


 無言のまま学校の正門に着くと、二人は正門を入ってまっすぐ行ったところにある本部校務センターに向かった。

 校務センターは職員室の別称である。学校には本部校務センターのほかに、学年ごとの校舎にそれぞれ職員室があった。通常の授業中は各学年の教員それぞれの所属する建物にある学年職員室を使っているのだ。本部公務センターは、職員連絡会や何かしら全体の打ち合わせのときに使うらしい。


 そこには体育祭のせいもあってかほとんど職員はいなかった。とり江は職員室に残っていた副校長に、よろしくお願いします、と挨拶をした。蓮も仕方なくそれに続く。

 その後建物を出ると、とり江は蓮に「しっかりね」と言い、正門のほうへ向かって帰っていった。

 蓮は仕方なく一年の校舎へ向かう。ここで適当にごまかして帰っても、なんだかかっこ悪い気がした。


 キャンパスの通りにはあまり生徒はいない。

 少し歩いて学校の中ほどに行くと体育祭特有のざわめきや歓声、アナウンスが大きくなってくる。蓮は道路を渡す歩道橋から下の通りをのぞいて見ると、ジャージ姿の生徒が行き交っているのが見えた。


 ちょうど昼食が終わり、午後の部が始まったくらいだろう。通りを先に進むと体育館にも人の出入り多くがあり、予定されたプログラムが着々と進められているようだった。

 せわしなく行き交う生徒たちは、おそろいのクラスシャツを着ていたり、クラスカラーと思われるハチマキを頭に巻いていた。制服姿の生徒はほとんど見られなかった。

 すれ違う生徒が、見るともなしに制服姿の蓮に視線を泳がせているような気がしてならなかった。祖母に作ってもらった弁当がひどく重く感じた。



 蓮が一年校舎にある学年職員室に行くと、留守番役の教員が対応してくれた。

 事務的に受け答えを済ませ、その教員と一緒に教室に向かう。校舎にはほとんど生徒は残っておらず、自分の教室に行くまでにすれ違った生徒は一人だけであった。


 蓮が自分の教室に近づくと、そこから楽しそうに話す声が聞こえてきた。

 その声が聞こえてくるとあたりから、蓮は教室に入るのは乗り気ではなかった。しかし目の前を歩いていた教員は蓮のそんな気持ちを察するわけもなく、何の躊躇もなく扉を大きく開けた。


 教室でそれまで楽しそうに話していた声がピタリと止む。

 教員が教室の中に入ったあと蓮はのろのろと続いた。複数の生徒の視線が一斉に蓮に集まる。窓際に男子三人に女子二人。一人だけ知っている女子がいた。四月に蓮に嫌がらせをしてきた例の女子だ。


 あの出来事の後、その女子とは何の接点もなく過ごしてきたが、相手が蓮に対して良い感情を持っていないことは容易に理解できる。蓮はその女子の顔は覚えていたが、名前は忘れた。

 他の男子三人ともう一人の女子は見たこともないので、たぶん別のクラスの生徒だろう。もしかしたら同じクラスかもしれないと思ったが、そんなのはどうでもいいことだ。

 蓮と一緒に来た教員が、今から担任に連絡するので、ひとまず教室にいるように言い、教室を出ていった。


 蓮の席は廊下側の後ろであった。

 席に着くと、机の上には今日のプログラムと何かの知らせのプリントが置かれていた。窓際の五人は小声でひそひそと何か会話をするようになった。


 蓮はなんだか面倒なのでワイヤレスイヤホンをつけ音楽を聴きながら、今日はこれからどうしようかと考えた。考えていたら、今日は朝から何も食べていないことを思い出した。そう考えたら急におなかが減ってきたので、おもむろに祖母に作ってもらった弁当を開ける。


 弁当は三段重ねになっていた。開けると、蓮のすきな芋の煮物やきんぴらごぼう、ミートボールや卵焼きなどがぎっしり入っていた。食べてみると、芋の冷え具合や、卵焼きのやわらかさ、きんぴらごぼうの味加減など、相変わらず絶妙なものであった。


 蓮がもぐもぐ食べ始めると、窓際にいた生徒たちは呆れた顔をして、そそくさと教室を出ていった。

 誰もいなくなった教室で、蓮は一人弁当を食べながら、祖母のとり江はどんな思いで、いつも弁当を作ってくれているのだろうか、と思った。


 小学校の時も、中学校の時も、祖母は何か行事があると一生懸命弁当を作ってくれる。蓮が食べようが食べまいが、必ず作ってくれる。今の蓮にわかるのは、少なくとも祖母は、蓮にこんな風に食べてもらうために作ってくれているのではないのだろう、ということぐらいであった。


 以前はクラスメートと一緒にご飯を食べ、たあいもないおしゃべりを少しはしていたと思う。

 それを思い出せるのは、小学校のころまでであった。中一の夏に父を亡くしてからは、人が変わったかのようにクラスに馴染むことができなくなってしまった。

 実際人が変わってしまったのだろう。いや、人生が変わってしまったのだと思う。

 その夏以降、中学では他の生徒とほとんど会話もすることなく、行事などもほぼ参加していない。そして、その名残は今でも続いている。


 そんなことを考えながらでも、おいしいものはおいしい。

 蓮はあっという間に弁当を完食した。水飲み場で容器を洗い、自販機で飲み物を買って教室でくつろいでいると、しばらくしてさっきほどの教員が教室に顔を出し、担任からの伝言を簡潔に伝えてきた。


 担任いわく、蓮が係や参加競技が無ければ最後の学活にだけ出るか、早退したければ職員室に一声かけて帰ってくれればいいとのことであった。

 担任の生沼はアホだが、四月の件以来、蓮に対して極力距離をとり、かかわらないようにしてくれているという点だけは評価できるところである。

 そう言われると気楽になったもので、体育祭には全く興味はないが、適当に何か競技でも見て帰ろうかな、という考えになるのも不思議なものであった。








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