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RR ー Double R ー  作者: 文月理世
RR ー Double R ー EN
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32-5 Ring Less ― 絶 ― ⑤


 神宮寺高校の入試日程である六連休初日の金曜日。

 凜は正午もだいぶ過ぎた時間に起きた。

 昨晩も相変わらずうまく寝付けず、ようやく眠りについたのは外も明るくなり始めたころだった。


 凜はその日ある決心をしていた。

 それは以前から自分が望んでいたものであったはずなのだが、今では逃れられない呪詛のような重荷となり心と体に重くのしかかっていた。


 ここ数日は食欲もなくなってしまっていた。

 凜は無理やりシリアルバーをかじるとマイロを温めた牛乳で溶かして飲む。カーテンを開け窓の外を見ると、曇り空のどんよりとした雰囲気で沈んだ気持ちをより一層暗くした。


 のろのろと緩慢な動きでシャワーを浴び身支度を始める。髪を整え少し顔の手入れをした。

 外は冷えそうだが、できるだけ見栄えのする恰好をしていきたい。ゆっくりと服を選び着替えると部屋のものを丁寧に片づけた。

 全てを整えると、化粧台上に置かれたケースにしまってあるペンダントトップを取り出し決してなくさないように財布の中に入れるとのろのろと家を出た。

 化粧台の上に残された銀色のチェーンが寂しげに光っていた。



 すっかり慣れた千駄木駅の地下の改札から階段を上り地上に出ると、薄暗い空から雪がちらちら舞い始めていた。一歩一歩を重く感じながら、凜はなんとか前に進んだ。


 目的の建物の近く大きな銀杏の木が立つこじんまりとした公園があり、凜の足はいつもそこで止まっていた。今日こそはと思いながらも、いつものようにそこのベンチに座り込んだ。


〈私が行っても〉

 その先をなるべく考えないようにしていたが、遠ざけたい予感が見えない蜘蛛の糸のように纏わりついて振り払うことができない。

 そこでじっと気配を消し、ぼーっと目に入る風景を眺めた。辺りはすっかり暗くなり、公園にある街灯のくすんだ白い光が、ぼんやりと空中に浮かんだ。しんしんと雪は積もり始め、ゆっくりと地面を白いカーペットに変えていく。


 何もできず刻々と時が刻まれていく中、薄い街灯の光の向こうに通り過ぎていく一つの影を凜は捉えた。

〈!〉

 瞬時に凜の目が見開かれ、心拍数が一気に上がる。

 思わず立ち上がり、足早に去ってゆくその影の後を気配を消してついていった。


 その人影は、凜の目的である建物に入っていった。

 心臓の鼓動が怖いぐらいに激しくなる。胸から飛び出るのではというぐらい激しく波打っていた。呼吸も荒くなり、白い息が口元から漏れる。その影が建物の中に姿を消すのを確認すると、凜は自分の足が震えているのに初めて気づいた。


 そのまま建物の中へ追いかけていくこともできる。

 しかし躊躇する気持ちが凜の足に金縛りをかけた。

 結局少し気持ちが落ち着いてから追いかけようと言い訳を見つけ出し、また公園に戻ってしまった。そして再びベンチに座ると、無意味に時間だけが過ぎていった。


 凜は逃げている自分が情けなくなり泣きそうになる。

 不意にガジェットが震えた。

 蓮からのメッセージだ。今、那珂島の家にみんなで集まっているから遊びに来ないか、とのことだ。凜は、ちょっと家の用事で忙しいから残念だけどいけない、とらしくない無難な返信をしてしまう。

 蓮から、じゃあまた今度ね、とすぐに返信がきたので、もちろんぽよー、とわざとふざけた返信をした。


 次の瞬間、凜は迷いを振り切るかのように素早くガジェットをしまい、目的の建物へすたすたと歩き出した。何の躊躇もせず、正面の入り口からカードキーを使ってエントランスに入る。

 建物に入ると横にポストや宅配ボックスがあった。

 そのまま自動ドアを抜け先に進むと、東堂に教えられた通り、左側の共用エレベーターとは別に、少し奥まったところに専用エレベーターが見えた。そこに行くとエレベーターは四階で止まっていた。


〈やっぱりさっきのは〉

 別のカードキーで認証するとしばらくしてエレベーターは無機質な音を立ててその口を開いた。凜は足音も立てず乗り込み四階に向かう。

 エレベーターを出た先にはバルコニーのような細長い通路が数メートル続いており、外からの風が軽く吹きつけていた。

 風に吹かれた雪が手すりを超えひらひらと舞う廊下の突き当りに扉が見えた。


 凜はすたすたと扉の前に行き心を無にして玄関のチャイムボタンに指を乗せる。

 押そうとする指先が震えた。

 それは寒さのせいでは無い。

 何度も押そうとするが、ほんの数ミリに力が入らない。

 思わず手を下ろし、玄関の横に座り込んでしまう。


〈さんざん我慢して、やっとここまで来たのに、私何やってるんだろう〉

 考えても考えても、どうにもならない。

 もしかしたら、あの人が出てきて見つけてくれるかもしれない、と運任せのことも考えた。

 しかし、一向にそんな都合のいい展開は起こらず、無意味に時間が過ぎていく。鋭い突風が空気を切った。不意に凜はガジェットの時間を確認すると、

〈この時間になったら〉そう、固く決心する。

 玄関の横に小さく座りながら見上げる漆黒の闇の空から、無数の白い雪が無限に生み出され舞い降りてくるように見えた。


 時間になる。

 凜は、立ち上がると玄関の前に立ち思考を断った。

 何も考えずインターホンを押す。

 しかしなんの応答も無い。

 かじかむ手に痛みを感じながら、二回、三回、と間隔を開けて押した。

 たはり応答は無い。

 もしかしたらインターホンが壊れているのかもしれないと思い、何度かドアをノックする。

 やはりなんの反応もない。


 凜を支えていた力が急速に失われていった。

 あの建物に入っていった人影は、あの人だったのだろうか、とも考える。

 しかし自分が決して見間違えるはずはなかった。もしかして、またどこかに出かけてしまったのかとも考えた。だが凜が呼び出したエレベーターは四階から来たのだ。専用エレベーターで、である。もし出かけていたら、間違いなく一階で止まっていたはずだ。


 凜はぺたんと、玄関の横に座り込む。

 こうなることはわかっていた。

〈私は拒絶されている〉

 だからあの人は自分の前から姿を消したのだ。

 そんなこと前からわかっていたじゃない、と凜は思う。

 その救われない答えはいつでも頭の片隅にあった。まるであの忌まわしい出来事のように。


 力が抜け疲労感がどっと押し寄せる中、過去の記憶の欠片が断片的に蘇った。

 日常に馴染んだ避難警報、遠くから聞こえる何かの爆発する音、境遇に対する行き場のない鬱屈と孤独。その中で出会った奇妙な安らぎ。


 歪んだ関係であったかもしれないがそこには間違いなく自分の居場所があった。

〈あーあ、こんな最後か〉

 こんなんだったら、あの頃の方がよっぽどマシだったじゃない、と凜は思う。

 でも、もしかしたらという脆い願望にすがりながらやれることはやってきた。

 後悔はある。

 しかし全てが手遅れなのだ。

 もうダメだとわかったら、必死に繋ぎ留めていた気持ちが切れた。


〈死のう〉

 玄関の横に膝を抱えて、凜は小さくうずくまった。

 寒さと絶望感で立ち上がる気力も無い。目から涙が溢れでた。

〈こんなに泣いてもなんで涙って枯れないんだろう〉閉じた眼から伝う温もりを感じながら、凜の意識は懐かしく温かい思い出に溶けていった。








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