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RR ー Double R ー  作者: 文月理世
RR ー Double R ー EN
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5 Déjà vu ― 邂逅 ―


 蓮の生活は表面上特に変わることなく過ぎ、カレンダーはいつのまにかゴールデンウィークに入っていた。

  四月の頭に横浜に引っ越しをしてから学校と家の往復をするだけの日に連休でようやく一息つくことができる。知らない場所で始める生活は変に気苦労を感じさせるものがあったが、通学や住宅環境に多少は慣れてきた。


 まとまった休みになったら、蓮は住まいの周辺を少し散策ようと思っていた。

 部屋の手配は祖母が全て行ってくれて、何か昔の知り合いのつてでかなり安く借りることができたらしいが、引っ越しはだいぶ慌ただしく最低限の身の回りのものを揃えただけであったため、いくつか買いたいものもあった。


 蓮の借りているマンションの最寄り駅は元町中華街という駅であった。

 名前の通り中華街が近くにあったが、蓮は引っ越ししてから一度も行っていない。

 興味がないわけではないのであるが、休日になると結構な人が行き交っており、人混みが苦手な蓮は家でごろごろする時間を優先していた。

 時間がある時にゆっくり行けばいいやと思うだけで、休日は近場のスーパーと自宅の往復ぐらいしかしていなかった。が、つい最近蓮は自転車を買っていた。スーパーまで歩くのが面倒なので、時間短縮のために購入したのだ。


 その日はせっかくなので自転車で出かけようと気まぐれに思い立った。

 マンションの周辺は公園が結構あることをすでにネットで調べて知っている。蓮はサンドイッチと水筒を持参してどこかの公園で遅めの昼食を食べようと思い手際よくサンドイッチを作って荷物を用意すると身軽な格好で外に出ていった。



 蓮の家の周辺は坂道が結構多く、電動自転車であっても気楽においそれと登れないレベルである。そして蓮の自転車はただのママチャリだ。必然的に平らな道を走っていると少し先に公園がありその向こうにうっすらと海が見えた。


 人通りが比較的少なく少し休める場所を探した。

 公園の端のほうでよさそうなスペースが見つかり、ひとまずそこに落ち着く。日は少しずつ西に傾きはじめており、その場所はちょうど木陰になっていた。

 蓮は自転車から降りるとかごに入れた使い古したボロボロのバッグからサンドイッチと水筒を取り出す。ベンチに座るとかなりおなかが減っていたことに気づき、景色を見ながら黙々とサンドイッチをほおばった。


 食べきれなかったら持ち帰ればいいと思い、八枚切りのパンまるまる一つ分のサンドイッチを作ってきた。具材はハム、チーズ、きゅうり、ツナ、タマゴを適当に組み合わせてはさんで作っただけであるが、昔から何度も作ってきただけあって、それなりにおいしくできるようになっている。


 あっという間にたくさんあったサンドイッチが残り二つになってしまった。

 おなかはだいぶいっぱいになり、食べようと思えば食べられたが、また自転車で散策して後で食べようとラップに包み、カバンにしまおうとしたその瞬間、何かの視線を感じた。


 何気なくその方向を見るが、誰もいない。気のせいかと思い、視線を感じた方向から鳴き声が聞こえた。猫の鳴き声だ。蓮がもう一度、その方向をよく見てみると、茂みの影から白っぽい猫がこちらをじっと見ていた。視線は蓮ではなくてその手元のサンドイッチを見ている。

〈猫ってサンドイッチ食べるのかな〉

 蓮は考え、ガジェットで〈猫、サンドイッチ〉と調べてみた。


 どうやらパンは猫に食べさせないほうがいいらしい。ただキュウリは大丈夫なようである。

 蓮はサンドイッチに挟んであるスライスしたキュウリを取り出す。ただ、猫がキュウリを食べたところは実際には見たことがない。しかしその熱心な視線を見ると食べなくてもいいからあげてみようと思った。


 投げるのも変な気がして、蓮はキュウリを猫へ届けようとした。

 猫が少し身構える。蓮は近づく足を止めた。

 猫は蓮の目を覗き込むようにして見つめた。奇妙なにらみ合いの時間が過ぎる中、蓮がキュウリを置こうとしゃがんだその時、猫がのそのそと近づいてきた。


 白いと思っていた猫の毛は、どちらかというとベージュ色であった。

 猫の胴体の前からその毛並みに沿って、やけに美しいグラデーションをしっぽに向かってに描いている。しっぽは長くこちらも中々いい毛並みだ。大きさからするとオスであろうと思われる。年齢はよくわからないがおそらく二~三歳ぐらいのような気がした。


 その猫はあまり警戒するでもなく近寄ってきた。

 蓮がキュウリを地面に置こうとすると猫はその手から直接食べ始めた。赤色の首輪のようなものが見える。毛並みもよく健康そうなところからして飼い猫だろうか、やけに人なれしているようであった。

 その猫はもしゃもしゃとキュウリを食べ終えると、不思議な目で蓮を見上げ、舌で口の周りをぺろぺろしたあと、茂みのほうへ戻っていった。



 それから蓮はベンチで水筒に入れてきた紅茶を飲んだ。

 心地よい五月の風が蓮の髪を揺らす。

 公園から見える港に大きい船が見えた。左方向の景色に珍しい形をした建物の並びのシルエットが鍵のギザギザ部分のように澄んだ青空を切り取っていた。

 蓮はせっかくなので見える先のほうまで少し散策することに決め、自転車に乗りゆっくりとこぎ出した。


 少し進むと蓮はふいに先ほどの猫を思い出し、自転車を止め後ろを振り返った。

 だいぶ離れてしまっていたが、蓮が休憩していた辺りにその猫らしき白い物体が小さく見えた。

 その白い物体は何やら一人の男と数メートルの距離で見つめ合っていた。


 顔はよく見えなかったが蓮は不思議と男のシルエットに妙に懐かしい空気を感じる。

 遠目から見るとその男と猫はまるで恋人同士が見つめ合っているようであった。その男は不意にしゃがみこむ。その白い物体がそこに誘われるように近づいていった。


 蓮は視線を前に戻し自転車を前に進めた。

 公園を出ると海沿いに走っていくと少し離れたところに見える変わった形のビルを目指した。



 大通り沿いには建物が並んでいたが、道路の幅がやけに広く、窮屈さはそれほど感じない。

 まるで日本ではないような感じがした。走っていると観覧車のようなものも見えてくる。なんだか意味もなくわくわくした。


 やがて、建物がひしめくブロックに入っていくと、何やらいろんなお店がたくさんあるようであった。多くの人は建物の中にいるようで、外を歩いている人の混雑は、渋谷や新宿と比べると全然窮屈さを感じない。蓮がさらにビルの間を進んでいくと、港の区切りのような行き止まりの場所に着いた。そこは見晴らしのいい公園だった。


 そこに到着するまでにもいくつか公園を見かけたが、なんだか一回り大きい感じがした。

 海沿いの通路は色レンガで舗装されとてもきれいに整備されている。海辺に向かって階段のように段差が設けられており、蓮は見晴らしがよさそうな場所で少し休憩することにした。

 

 少しの間のんびりとした時間を過ごしていたが、ふと持ってきた飲み物をほとんど飲み切ってしまったことに気づく。

 蓮はファミレスで一杯だけお茶でも飲もうと思い元来た道の方向に適当に自転車を走らせた。

 来る道のりにあったちょっとしたショッピングモールのような建物の中にファミリーレストランの看板を目にしたのを覚えている。


 しばらく自転車を走らせると、先ほど見たその建物が見えてきた。

 駐輪場に自転車を止め案内看板で場所を確認する。レストランは二階にあるらしかった。

 近くにあった階段を上がると、すぐにお店の入り口が見えた。ドアを開けて入り中を見ると客の入りは、六割ぐらいだろうか、夕食前の時間にしてはそれなりに混んでいるようだ。


 この一帯は一種のテーマパークやショッピング街のようなもので、店の中はいろいろな年代のグループで賑わっていた。

 蓮は入店すると窓際の席へ案内される。

 その席からは外の眺めが一望でき、景色の少し先に先に重厚感のあるレンガ造りの建物が見えた。蓮は飲み物を頼んだ後ネットでこの周辺を調べてみた。やはり商業施設が多くあり、いろんなお店があるようだ。


 飲み物を待ちながら、蓮はお金のことを考えていた。

 蓮にもほしいものが無いわけではない、今は祖母の少ない年金から捻出された仕送りの中からギリギリで食費をひねり出し、生活に必要なものをなんとかそろえている。

 この間買った自転車も、食費を頑張って浮かした分でなんとか買ったのだ。

 その時ふと壁を見る。張り紙が蓮の目に留まった。

「 アルバイト募集 時給○○円~ 土日は時給百円アップ 日時応相談 連絡先×× 」


 帰り際、蓮はレジを対応してくれた女性のホールスタッフにアルバイトの事を聞いてみた。

 その女性は大学生だろうか、それほど蓮と年は変わらなそうだ。

 背は蓮よりも低いがメイクの仕方がしっかりしていた。その女性スタッフは聞かれたことが何のことかわからないようだったので、蓮は張り紙の内容を伝える。

 すると納得した女性は、少し待ってください、と言ってホールの方に急いで向かい、マネージャーらしき男を連れてきた。


 男の身長は蓮と同じぐらいで中肉中背である。年は四十前後だろうか、顔がほっそりしているというより少しやつれている感じがした。七三に分けた髪には少し白いものが目立ち顔には明らかな疲労の色が見て取れた。

「アルバイト希望してるのって君かな?」男の少し高めの声で聞いてくる。

「あ、はい。さっき張り紙を見て。高校生でも大丈夫って書いてあったので」

「どこの高校?」

「神宮寺高校です」

「学年は?」

「一年です」

 男は少しの間、蓮を観察した。

 蓮は自分が値踏みされているようで、なんだか嫌な気持ちになったが、そういった状況は今までも経験したことはある。

 少しすると、「週何日できそう?」と男が聞いてきた。

「ええと、二~三日ぐらいできればいいんですけど」蓮は考えながら言った。

「時間帯は?」

「学校終わってからなんで、夕方五時ぐらいからです」

「土日はどう?」

「どちらか一日とかなら入れると思います」

「働けるとしたらいつから?」

「まあ、そうですね連休明けからでも大丈夫です」

「蓮休明けだと来週か」男は独り言のようにつぶやき、また少し考え、

「いきなりだけど、明日試しにやってみない?」と続けて蓮に聞いてきた。

「え?」蓮は思わずびっくりする。

「明日ちょっと人手が足りなくて、簡単なお客さんの案内とかでもいいんでやってもらうと正直助かるんだよ。本採用かどうかは本部に確認してからだけど。試用期間は俺の裁量でできるから、どうかな?」

 展開の速さに戸惑いつつも、「わかりました」と蓮は答える。

「明日のランチからやってもらいたいから、朝十一時ぐらいに来れそう?」

「大丈夫だと思います」

「履歴書もってこれる?」

「これから用意します」

「そしたら今空の履歴書渡すから、それ書いて持ってきて。それと白いスニーカーあるかな。持ってなかったらサイズがあれば更衣室にあるのを使ってもいい。試用期間は二週間あって大丈夫そうなら本採用になると思う」と男は早口で言った。

「わかりました」

「じゃ、これ俺の名刺。もし都合悪くなったらそこの電話番号に蓮絡してくれればいいから。明日はちょっと忙しいかもしれないけど、頼むよ」

「あ、はい」

「やってみて大丈夫そうなら、シフトの話とかしよう」

「よろしくお願いします」

「ちょっと待ってて」と男は言いカウンター奥のバックヤードに姿を消した。


 蓮は普段から目上の人間と話すことが多かったので、礼儀正しい言葉遣いができていた。

 自分ではあまり意識していなかったことが、巡り巡って思いもよらぬことに役に立つものだと思っていると、男はすぐに戻ってきて履歴書を蓮に手渡しながら、

「明日からよろしくね。それじゃ」と言って踵を返した。

「あ、ありがとうございました」と蓮が言い終えたときには、男はすでにホールに向かって歩いていた。


 半ば呆然としながら蓮が店を出ようとすると、先ほどレジで対応してくれた女性スタッフが、蓮を見て小さく手を振ってきた。蓮は軽く会釈すると店を出ていった。

 ディナータイム前の時間にも関わらず、ほぼ満席近くなってきているようだ。これからかなり忙しくなることがうかがえる。おそらく明日の今の時間帯、蓮は同じように店で働いているのだろう。そう思うと、自分にできるだろうかと不安な思いが頭をよぎった。


 しかし、蓮はそれをいい兆候だと思った。不安になるというのは、自分が何かの願いを叶えたいという〈想い〉があるからだ。最近の蓮は、そういったいい意味での不安というものから遠ざかっていた。

 ふと父の言葉を思い出す。

〈何かうまくいってほしいことがあって、そんな時自分が不安になるのは当たり前なんだよ。不安になるから人間は頑張ろうと思うし、努力をするんだ。逆に不安にならないってことは、そこに自分が何も期待していない証拠だ。不安やプレッシャーを感じなくなった時が、実は危ない時だってことを覚えておいたほうがいい〉

 一瞬目頭が熱くなり蓮は考えるのをやめた。

 過去のことを考えても、どうにかなるものとならないものがある。父のことは明らかに後者である、と今までも何度となく自分に言い聞かせてきたからだ。



 自転車で家路につきながら、今日の出来事を思い返した。

 サンドイッチ、公園、船、猫、開けた道路、変な形の建物、観覧車、ビルに囲まれた街、そして、バイト。


 蓮は物心つく前から、この世の全ての出来事は何かしら繋がっていて、どんな些細なことでも何らかの意味をもっていると考えるようになっていた。

 そう考えるようになったのは、実は幼いころに亡くした母の影響であるのだが、そのことは覚えていなかった。


 今、蓮が思うのは、今日偶然にバイトが見つかったのはあの猫のおかげであり、キュウリの恩返しのような気がしてならない、ということであった。








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