32-2 Ring Less ― 絶 ― ②
凜はビルのエントランスを抜け、天井が高い一階ホールの少し先にあるエレベーターを使って目的のフロアへ向かった。何度も見慣れた事務所の受付に行くと、そこにはすでに東堂が待っていた。
東堂はヒールを履いている分、凜より背が高く見えるが、実際の身長は少しだけ高いぐらいである。
しかし凜と明らかに違っている目を引く特徴があった。ふくよかな胸にウエストのくびれ、そしてそこから美しい曲線を描くヒップラインである。凜のプロポーションもかなりのものであったが、どうしてもまだ少女っぽさが抜けていない。
東堂の服装は、その体にフィットしたダークグレーのジャケットに膝丈のスカート。顔のメイクは完璧で、まるで何かの雑誌の表紙を切り抜いたようであった。
こっちよ、案内されるまま、凜は事務所の奥にある応接室に無言でついていった。
東堂は髪を後ろにまとめ上げており、白いうなじに怖いぐらいの色気を感じた。いかにも男が夢中になりそうな大人の女性という感じがして、それも凜の気持ちを妙に逆なでる。
ヒールのカツカツという音とともに、小気味良く揺れる小さなお尻が目に入ると、無視され続けた鬱憤もあり無性に蹴り飛ばしたくなった。しかし、ここで東堂を蹴っとばしたところで何もいいことはないので、凜はぐっとこらえる。
案内された部屋は十畳ほどの広さの応接室であった。
部屋の真ん中に長方形の大きいテーブルがあり、その周りにイスが何脚か置かれていた。窓に備え付けのブラインドは上がっており、そこから東京の夜景が一望できた。
窓から見下ろすと、地上は黒い絨毯のように見えた。その絨毯の上を、車のライトが夜光虫のように行き交っている。
高層ビルが何棟も見え、その窓がキラキラと輝き、どこかの遊園地のエレクトリカルパレードを不意に思い出させた。
東堂に座るよう言われると、凜は窓際の席に座り、投げるように小さなバッグをテーブルの上に置いた。どんなときでも感情をコントロールできる力がそれなりにあると思っていたが、今はどうにも怒りを抑えることができずにいた。
東堂から何の連絡もなしに半月以上無視されたのもイライラに拍車をかける原因でもあったが、その約束の内容が普段の凜を完全に失わせていた。
「ごめんなさいね。ちょっといろいろ時間がかかっちゃって」東堂は、その半月分をたったその一言で片づけた。
凜は何も言わない。ここで変に怒ったところで、自分の目的に何も変わりはないと自分言い聞かせる。むしろ東堂は、自分の目的のために動いてくれているのだ。
東堂は、凜の態度を全く気に留めることもなくおもむろに説明を始めた。
「これが建物のエントランスのカードキーと鍵、表の入り口はどっちかだけでも大丈夫だけど、裏口は先にカードの認証しないと鍵が反応しないから気をつけて。
それとこれが専用エレベーターの認証キーと番号、これも両方使わないと扉が開かないからね。専用エレベーターは入って奥の右手のほうにあって、左にある一般用のエレベーターは上までいかないようになっているから間違えないで。
後は部屋の玄関の鍵なんだけど、どうしても手に入れられなかったから。本人が自分で交換したみたいで、こちらではスペア注文できないようになってるの。で、これが住所と連絡先」と流れるように説明しながら、カードや鍵、そしてメモ書きを凜に渡した。
彼女のその動きは、明らかにそれらを渡したくないという意図が読み取れるほど緩慢であった。
凜は差し出されたものを無言で素早く手前に引き寄せる。メモには住所と連絡先が書かれていた。視線がくぎ付けになる。
「あなたがこの先どうするつもりかわからないけど、お父さんやお母さんに心配かけるようなことはしないでね」東堂が言う。
その声は凜の耳に聞こえてはいるが、内容は全く届いていない。
凜は大切そうにカードや鍵をバッグにしまい込むと不意に立ち上がり、頭をちょこんと下げ、挨拶もせずにそそくさと部屋を後にした。
凜が出て行った後、東堂はふっと息を吐き窓の外に視線を走らせた。
視界の先に東京タワーが鮮やかな朱光を放っている。
一瞬その煌びやかなランドマークが、天に向かって真っすぐ伸ばした血にまみれた凜の細い腕に見えた。凜は鮮血に染まったその赤い手で、必死に失われた何かを虚空の暗闇から掴もうとしていた。




